アゲハ蝶と毒蜘蛛

九浄新

第1話 私と青年


 鬼谷ルツという青年は、二十代前半にしては可愛らしい性格で、人懐っこくて、外見も韓流アイドルかってくらい整っている。

 そんなアイドルのような青年をある四十代の女が囲っているという噂はまだ巷には流れていないが、そのうち流れるだろう。


 売れてない小説家、日出野みつるが二十も年下の青年を囲って、毎晩ほど身体を重ねているのだから。

 まあ、私、売れてないから、いいか。




「あっ、ああぁ」


「あ、先生危ない。眼鏡落ちちゃう」


 私の後ろから意外に逞しい腕が伸びてきて、激しい律動のせいでずり落ちそうになっていた私のウェリントンタイプの眼鏡を奪う。

 いや、何も見えないんだが。

 まあ、こんな行為、はっきり見ていたくないけど。


 今私は、二十も年下の男に後ろから犯されている。


「先生、ここ、ベッドサイドに置いておくね」


「ん」


 ルツはそう言って、眼鏡をベッドサイドのテーブルの文庫本の上に置きながら、私の身体をまさぐり、あまつさえ首筋に口づけてくる。


「や、め、それ、いや、ぁあ」


「いや?……なんで?」


 ルツの普段は明るい声が急に低くなる。少し怒っている証拠だ。

 けど、私は、その行為で付いた所有印を見るのが嫌だった。


 自分が、淫行を働いている証拠だから。


 私が理由を言えず———言うと酷くされるから。意外にルツには嗜虐性がある———黙り込む。というか、すでに会話ができない程度には揺さぶられている。

 ルツはそんな私の本音を知ってか知らずか、私の長く野暮ったい髪を項から退けると、そこに、がぶりと噛みつき———しかも思い切り———、その痛みで嬌声を上げる私を笑った。


「ふふ。先生、俺から離れられると思ってんですか?」


 こいつは、蜘蛛だ。

 私を張り巡らせた糸で離そうとしない、蜘蛛だ。


 しかも、猛毒を持つ、毒蜘蛛だ。


 一度、こいつの毒を飲まされたら、狂ってしまう。


 ———鬼谷ルツに。




 私は、煙たい感じがして目を覚ましたが、身体が気怠くて思うように起き上がれない。

なんでだっけ?なんか運動したか?

……したわ。年甲斐もなく、セックスしたわ。三ラウンドくらい。


「ん~~~~~~~……」


「先生?何唸ってるの?」


「……いや、お前のせいで身体が怠いんだわ」


「ああ、すいません?」


 ルツはふふ、といやに色気がある笑い方をする。

 それが年不相応で、四十代くらいの美丈夫を思わせた。


 私は、気怠い身体を何とか起こし、私側のベッドサイドに置かれた眼鏡を取る。

 ルツが、ああ、と何かを思いついたように声を出した。


「先生、最近出かけるとき以外は眼鏡だね」


「いや、家にいるときやることと言えばパソコンに向かってるか、お前とヤッてるかだからな?後者だと、お前とヤると一時間は寝るからだよ」


 ルツはまた「ああ、すいません?」と笑う。

 しかし、それが何かを咥えたままのような発声で、私は不思議に思いルツを眺めた。


 煙草、だ。


「お前、煙草始めたの?」


「うん、先生とお揃い」


 ルツはセブンスターの無印の箱、つまりタール十四ミリの箱を取り出す。

 若いな。


「違うんだなぁ」


「え!!」


「私のはタール十ミリ」


ルツは自分の煙草の箱と私が差し出した私の愛用のセブンスターの箱を見比べて、「最悪」と吐いた。

 ルツがあからさまに肩を落として項垂れる。

 そういうことで一喜一憂するとこはまだ二十代なんだよな。

 ルツはそういう二面性?みたいなのがある。


 子供っぽい表情を見せたと思ったら、急に大人じみた顔したりね。


「まあまあ、言ってくれたら買ってやったのに」


「これは自分で買いたかったんですよ」


 ———俺も大人だって先生に知らしめたかった。


 私は、そういって拗ねるルツがなんだか可愛くて、彼のミディアムくらいの天然パーマを撫でた。

 ルツは、下唇を突き出しながら、口元で、『私のそれとはお揃いではない』煙草を弄ぶ。


「なんか、急にまずく感じる」


「あはは、単純だな。まあ、確かに初心者でタール十四はキツイかもな」


 ———ほら、コンビニ行くぞ、着替えな。


 ルツが一瞬ぽかんとするが、私の言葉の意味が分かったのだろうか、にこっと笑い、天然パーマの髪を揺らしながら着替えを始めた。



—第一話 了—



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