第2話 俺と先生


 先生を初めて見たのは去年の秋くらいだ。

 当時、俺は、四年制の音楽系の専門学校の作詞専攻の二年で、高校時代は主に楽器屋でバイトをしていたけど、もっと文学的なものを学びたいと、大きな書店でもバイトを始めた頃だった。


 先生は、その書店に時より現れる爆買いお姉さんだった。(先生に『お姉さん』っていうと「おばさんの間違いだろ」って笑うけど)

 来るときは恋愛系のエッセイや、恋愛系の小説などを大量に買っていく。


 その姿を初めて見たのは、秋。

 初めて言葉を交わしたのはその冬だった。


「凄い量ですね」


 初めて俺の担当するレジに来てくれた時、俺は「この人から何か学べるんじゃないか」と思って彼女に声をかけた。


「……ああ。仕事だからね。敵情視察も兼ねてるんだよ」


 仕事?敵情視察?

 俺はある結論に至った。


「……もしかして、小説家さんとか?」


 爆買いお姉さんは、ふっと少し右の口角を上げて笑い、「売れてないけどね」と言って支払いを済ませる。


「ありがとうございます、あ、あの!」


「うん?」


「また来てくれますか?」


 お姉さんは、青みがかったサングラスの奥の瞳を揺らがせ、酷く色気のある含み笑いをした。


「日出野みつるの小説を読んでくれるならね」


 お姉さんは、「またね」と言って紙袋に入った大量の書籍を重そうに持ちながら店外に消えていった。


 『日出野みつる』、それがお姉さんのペンネームなのはすぐに分かった。

 俺は休憩時間に先生の情報を調べ———でも、顔写真はメディアには出ていないようだった———、バイト終わりに、財布の有り金をほぼほぼ使い切って先生の小説を五冊買った。


 どれも恋愛ものらしく、俺はわくわくしながら自宅に帰って先生の作品を読み進めた。


 平凡で、でも、愛情がこもってて、ほんわかする。

 そんな物語たちだった。


 俺は、休日を消化して、五冊すべてを二日で読み終えた。


 なんだか、気持ちが高揚している。

 今、詞を書いたら。


 その詞はもれなく学校ですごく評価された。

 あの後書いた詞が学校で評価されたことを伝えたい。

 あの邂逅から二週間後、俺は悶々と思考を巡らせながらバイト先に向かっていた。


 次は、いつ会えるだろう。

 先生に会いたい。


 そして、ふと、初恋を覚えたその日と同じ思考回路になっていることに気付く。


 待て待て。


 先生って確か四十くらいじゃん。

 結婚はしてないみたいだったけど、恋人くらいいるだろ。


 でも。


「あんたが、欲しい」


「は?何が欲しいって?」


 店の出入り口から、先生がまた大荷物を持って出てきたところだった。


「せ、先生!!」


「よせ、先生はやめろ」


 先生は、眉間に皺を寄せた。

 今日は前よりぱっちり化粧をしてる。

 デートの、後なのかな……。


 でも、俺は、諦めない。


「先生」


「はいはい、何?」


 先生はコートのポケットから煙草を取り出して、咥える。

 セブンスター。俺でも知ってる銘柄だ。


「俺、あんたが欲しい」


 先生のその時の瞳の揺らぎを俺は見逃さなかった。


「好きだ」


 俺は、先生の咥えた煙草を奪い取り、最愛に口づけした。




「オレも若かったなぁ」


「あ~?何が。私からすりゃ今も若いわ、お前は」


 先生とスルと加減できなくていつも事後に先生が不機嫌になるんだよね。

 先生、ごめんね、って俺はうつ伏せでベッドに項垂れる最愛の頭に口づけする。

 先生の髪の毛艶々で好きだなぁ。


「……で?お前、いつが若かったって?」


「去年。先生に告ったとき」


 ああ。先生はそう短く言って、顔を枕に埋めてしまった。


 怒ってる?


 違う、これは、照れてるんだ。


「思い出して照れてるの?」


「違う」


「じゃあ、こっち向いて」


「嫌」


 抵抗するけど、無駄なんだよなぁ。

 先生、あんまり食べないから細いし。

 なにより男女の差がねぇ。


 俺は、こちらを向かせるように先生の態勢をひっくり返した。


「わっ」


「ふふふ、やっぱり真っ赤」


「うるさい」


 ———先生、今も俺の気持ちは変わらないよ。大好き。


 俺が笑顔でそう囁くと、最愛は、真っ赤な顔を更に赤くして悪態を吐いた。


 可愛い。可愛いね、先生。


 大好きだよ。



—第二話 了—

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