かつかつと、【耐竜装フォース】で強化されたブーツの音が、天井の高い物流層に響く。ゆっくりと時を刻むように、確実に歩みを進める音だ。

 シバタ・アカネ少尉は、層内に吹き下ろす風を肌寒く感じながら、【南東京詰所サウス・トウキョウ・ステーション】から北東へ抜けるための坑道へと近づいた。お下げに結われた真っ白な二つの髪の塊が風にさらされて揺れている。

「――まだ諦められないの?」

 【東南連絡坑シン・アクア・ライン】の入口、吸い込む強い風にあおられながら、ハギワラ・ミツキ中尉が現れた。アカネと同期であったかれは、既に第二部隊長に指名され、階級もアカネよりひとつ上になっていた。

 真っ黒に染められ、赤い簡素な髪飾りに結わえられた髪がさらさらと流れた。

 アカネたちが【ブイ】となってから相当の日々が経過した。この【詰所ステーション】がまだ使われていなかった頃かれらは新兵で、この坑道の先にかつてあった【旧東東京詰所オールド・イースト・トウキョウ・ステーション】に配属され、戦闘と生活をしていた。

 その時の部隊長を、アカネはまだ探している。

「諦められないよ。もう」

 もっとも、次の夜明けが来れば、アカネは正式に第一部隊長になり、階級も中尉に昇格する予定であった。

 今日までは、アカネは第一部隊副長兼部隊長「代行」であったし、第一部隊長であるエレナ・ペトローヴナ中尉はまだ部隊に所属したままであった。

 それが、アカネの言葉の意味であった。

「そう、私はもう、諦めているけれどね」

 自分の敬愛していた上官を亡くす悲しみは、ミツキもよく知っていた。だからこそ彼女は、元々緑だった髪の色を黒く染め、上官を亡くした時に髪をばっさりと切り落とし、【V】にとって命の次に重要であるはずの武器まで変えたのだ。

 ――それは諦めているとは言えないよ、ミツキちゃん。

 と、アカネは心の中でだけつぶやいた。

「辞令を渡すときに戻ってこれないと、始末書ものになるけど、それでも探すの?」

 アカネの後ろを、控えめだけれど確かな足音が続く。

「ミツキちゃん」

 アカネは向き直った。

「わたしは最後まで探すって、決めたんだ」

 名前通りの真っ赤なその目はミツキの何をも捉えていなかった。

「そう」

 そう言われるのはわかっていた。

 ミツキの答えは、ひとつだけ。

「なら、私も行く」

「うん、ありがとう」

「勘違いしないで。私は、あくまでもあんたが暴走しないかどうか、見ているだけだから」

 ミツキは冷たく言い放つ。

「帰れなかったら、ミツキちゃんも怒られちゃうもんね」

 そう言いながらアカネは【耐竜装フォース】から幅広の両刃剣クレイモアを取り出した。身の丈ほどもある両刃の剣は、使い込まれ過ぎて【ドラゴン】の血との反応で真っ黒に染まっている。

 ミツキも得物を取り出した。時計の針のように細身の、長い刀身の剣だった。得物を変えてからも度重なる激しい戦いを物語るかのように、同じく漆黒に染まっている。

 ふたりは競うように【耐竜装】から翼を広げると、【東南連絡坑シン・アクア・ライン】に低空飛行で駆け込んだ。

 およそ百キロメートルほどある【東南連絡坑】の中継地点である【東南連絡坑中継基地シン・アクア・ミッドポイント】――通称〈ウミホタル〉――までは北東側に、すなわち、【南東京詰所サウス・トウキョウ・ステーション】から風が吹き抜けているので、かれらは追い風の中を飛び続けられる。〈ウミホタル〉は【詰所ステーション】間の換気塔や通信塔、作業員用臨時事務所などを兼ね備えており、それを越えて【旧東東京詰所オールド・イースト・トウキョウ・ステーション】に向かう時は、〈ウミホタル〉に向けて風が吹くから下りの向かい風となる。

 今、【旧東東京詰所】は【ドラゴン】たちが占拠しており、そこから容易に向かうことの出来る〈ウミホタル〉にも【竜】がそれなりの数いる。だからアカネ率いる第一部隊も、ミツキ率いる第二部隊のいずれも当番を決めて〈ウミホタル〉までは哨戒を行っていた。つまりここまでの戦況において、〈ウミホタル〉こそが互いの防衛線であり、そこから先は不可侵であると暗黙に決まりつつあった。

「昼見た時は【竜段レベル3】までしか見当たらなかったけれど、期の変わりで、何か仕掛けてくるかもしれないから、気をつけて」

「うん」

 真面目な注意を上の空でかわされたことに若干のいらだちを覚えつつも、いつものことだと思いなおし、ミツキは小さくため息をついた。

 ――一度決めたら止まらないのは、〈部隊長シストゥラ〉譲りよね。

 ミツキはいまだに、この同期の【志願者ナチュラル】の【ブイ】が自分を追い越して第一部隊長エースになったのかを理解しきれないでいた。ミツキは【純粋兵コレクテッド】で、いわば【V】になるべくしてなった者であるから能力が高いのは当たり前であるが、アカネは孤児院からそのまま就職した、元は人間であった【志願者ナチュラル】であり、その理由も、元第三部隊副長であったミズタニ・ナナ中尉がたびたび出身地の孤児院に足を運んでいるのを見て、自分も仲間達を守りたいという気持ちでこの仕事を選んだのだという。ミツキには理解不能であった。

「ミツキちゃん、いつもついてくるけどさ、つまりそれ、〈ウミホタル〉より先に行くなってことだよね?」

 アカネが大声でそれを確認した。

「当たり前でしょ? 死にたいの?」

 このやりとりも、何度かやっている。

 やりとりが変わらなければ、この後アカネはミツキにとって理解不能な回答を返す。

「でも、多分わたし、死ねないよ」

 これも何度聞いても、ミツキには理解できなかった。〈ウミホタル〉より先は死地だ。実際、ミツキの上官だって、作戦上とはいえそこに突っ込んで行方不明になったのだし、言うまでもなく、【旧東東京詰所】には【黒曜竜クロノス】はもちろん、【終末竜ラグナロク】がいる。それでいて「死ねない」とはどういうことか。ほっておいたらかれらすら、アカネは倒してしまうつもりなのか。

 ミツキはそこに、アカネの底知れない恐ろしさを感じており、言ってしまえばここが、自分がアカネに対し【V】としてなおも至っていない部分であると思いながら、至りたくないと感じる部分でもあった。

「わたし、もう【竜】には絶対負けない気がする」

「それ、気がするだけでしょ」

「うん、でも、ここまで戦ってきて、一度も傷を受けていないし、負けそうになったことすらないよ」

「あんたね、たまたま運がよかっただけだから、それ」

「そういうの、ミツキちゃんだけだよ。ありがとう」

 これもミツキには理解不能だった。

 ――なんで「ありがとう」なのよ。

 それが判る日が来るのか、ミツキはそれすらもわからないでいる。

 確かに、アカネはこれまでほぼ無傷で敵を倒し続けてきた。現在の討伐数もアカネがトップを独走しているし、新記録を樹立し続けてもいた。

 一方で、ミツキは副長だった際に部隊長が【竜】と化し、戦う相手を喪ったそれと交戦する際に多大なる負傷をし、その後の作戦でも敗北し身体を大幅に損傷した。いずれも自力では帰還できなかったほどの負傷だった。

 その【竜】が、のちに【終末竜ラグナロク】と呼ばれ、【零式レイシキ】以来最大の人類の脅威と呼ばれるようになった。つまり、ミツキの負傷は当然でもあったし、戦死していないだけミツキも部隊長を任されるに足る圧倒的な能力を誇ることは明らかであった。

 しかしながらそのわずかな差は、同期で互いにいろいろな比較をされていた中で、決定的な差となった。討伐数もミツキの記録をアカネが塗り替え、第一部隊長のエレナが失踪した際も、副長であったアカネを部隊長代行として第一部隊を続行させ、第二部隊と入れ替える、いわゆる「総替え」を行わなかった。それまでミツキが実質的にアカネを上回る評価だったが、この負傷をきっかけに差が埋まり、いつの間にかアカネが上回るようになっていたのである。

 もっとも、ミツキはこの評価の逆転が「いつかは起こること」だと認識していた。

 【終末竜ラグナロク】に二度も敗北し、負傷を重ねた結果、ミツキはそれまで手にしていた大きなまさかりを捨て、新しい得物を【耐竜装フォース】から創り出し、それを手に馴染ませることに専念していたし、最近のアカネとの訓練ではずっと負け越していたから、単純な戦闘能力ではアカネにもう迫ることができないとかれは誰よりも深く認識していた。

 最低限の坑内灯しかない中、アカネは眼前に仄かな明かりを見た。

「ミツキちゃん、〈ウミホタル〉が近い! 気をつけて!」

「わかってるわよ!」

「その言い方、〈部隊長シストゥラ〉っぽい」

「うるさいなあ」

 アカネはたびたび、ミツキの言動に部隊長エレナを見る。

 意図しているわけではないが、ミツキが察するに、ふたりとも異例の速度で昇進し、若くして部隊長になり軍部から――ほんの少し上振れした――高い評価を得ているところと、勝ち気の裏に隠された冷静沈着で神経質、それでいてどこか不器用な部分が似ているから、パターンで言動が似るのだろうと思っている。

 ミツキはエレナを苦手と感じていたし、同じ部隊になったこともなく、お互いに言葉を掛け合うことは少なかった。けれど、【零式】を討ち、【南東京詰所】まで逃げてきたあの日、エレナがかけてくれた言葉は、エレナがただの勝ち気な部隊長ではなく、人知れない苦労が滲み出るものであった。アカネにとって自分とエレナが相似形に思えるのも、今となっては無理からぬことと感じている。

「やば、でかい!」

 アカネが叫び、翼を広げ急停止した。直後、ミツキにもアカネの言葉の意味がわかり、低空飛行のまま伏せた。

 ふたりの先には強大な橙色の鱗の【竜】が一体、通せんぼをするように〈ウミホタル〉の入口を塞いでいた。

 アカネと【竜】の目が合った。

「やっぱりアカネじゃないか!」

 その声とともに、ふたりの眼前に驚きの光景が広がった。【竜】がたちまち見覚えのある者の姿に変わったのである。

「アリシアさん?」

 アカネは目を疑った。

 かつて【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】時代、第三部隊で一緒に戦ったアリシア・ジョンソン准佐がそこに立っていた。

「ああ、アリシアだ」

 アカネもミツキも、得物をしまわずにアリシアに近づいた。アリシアの身体を覆っていたはずの【耐竜装フォース】は見当たらず、かれは運動着のようなラフな恰好で立っていた。薄い橙色の髪は肩口で乱暴に切られているし身体の線も薄いから、一見男のように見えた。

「やっぱり来ると思っていたよ。

 ――ハギワラも一緒なのは、意外だったが」

 アリシアはアカネに手を振り、ゆっくりと近づく。

「〈姐御シストゥラ〉を探しているのだろう?」

「ええ、その通りです」

 アカネの声色が少し暗くなったことに、ミツキだけが気づいた。

「ところでアリシアさん。

 ――【糧食Cバー】、食べます?」

 アカネは【耐竜装】から【糧食Cバー】を取り出して、振った。

 アリシアは立ち止まり、首を横に振った。

「ありがとう。せっかくだが、要らないんだ。この身体はもう、そんなものが必要ないんだよ」

 次の瞬間、アカネの姿が消え、アリシアは危機を察知して飛び退いた。右腕は得物の小太刀コダチが握られていたが、左腕は消えていた。

「なっ……」

「要るって言って欲しかったなあ」

 アリシアの後方で、アカネはつぶやいた。

「要るって言ってくだされば、少なくとも左腕を斬らずに済んだのに」

 アカネは両刃剣クレイモアをぶん、と振り、アリシアの血肉を吹き飛ばす。

 ミツキは驚愕の表情を浮かべた。

 アリシア・ジョンソン准佐は第三部隊長を務めた先の作戦で殉職し、その変異体である【竜】もたった今確認されたばかりだった。大きさからすれば、少なくとも【竜段レベル5】、ひょっとすれば【竜段6】に相当するもののはずだ。

 ――まさか、【竜】から人間に戻るような術があるとは。

 そんなことが可能な【竜】を、ミツキは一体しか知らなかったし、その【竜】はかつて自分の目の前で討伐されたはずだった。

 しかし、ミツキはそれ以上に、アカネがその現実を受け入れた上で、アリシアを殺すために動き、実際に左腕を取ったことに驚いた。

「お前ならそう言うと思ったよ、アカネ」

 アリシアはふふ、と苦笑いし、何かを踏ん張るような表情をした。

 たちまち左腕が再生される。

 その先は右腕と同様に小太刀も握られていた。

「なんだ、簡単に再生できるんですね」

「まあ、簡単ではないし、誰もが、というわけではないがな。

 ――もちろん、この姿になることだって、誰もが出来ることではない。この私ですら努力した結果だ」

 アリシアはミツキに目を向けてそう言った。

「私はお前――たち――に、〈姐御シストゥラ〉からの言づてを伝えに来たんだ。今、お前たちと刃を交えるつもりはない」

 しっかりと間合いを計るアカネと、隙あらば飛び込むつもりのミツキの両方をしっかり見て、アリシアは言い、得物をしまった。

「〈姐御シストゥラ〉は、私たちと運命を共にすることにした。そこで、もしよければ、アカネ――そしてハギワラ、お前たちも『こちら』へ来てくれないか?

 ――それが〈姐御シストゥラ〉の願いだ」

 それは余りにも唐突だった。

 ふたりは致命的な時間、固まった。【稲妻ライトニング】の称号を与えられるほどの素早さを持つアリシアなら、問答無用でその首を刎ねられたほどの時間だった。しかし、かれは言葉の通り、ふたりを攻撃しなかった。

「断ったら、どうするんです?」

 ミツキが言った。

 アリシアはその言葉に肩をすくめた。

「私は単なる伝言役だ。お前らを殺せ、とは言われていないし、そんなことをしようとは思わない。出来もしないことは請け負わない主義だしな。

 ――ただ、私も〈姐御シストゥラ〉と同じ意見でね。だから――私が死ぬまでお前らを『こちら側』へ勧誘し続けるよ」

「どうして? 【ブイ】がなぜ、【ドラゴン】になろうというのです?」

 ミツキの声に、アリシアはかぶりをふった。

「ハギワラ、その言いっぷり、どうやら私たちと比較して前提の知識が欠けているとみえる。お前らしくもないな。

 ――【ズィー】が始動した。この言葉をお前に預けよう。あとは自分で調べるがいい」

 アリシアはさっと身体を翻し、【竜】の姿へ変異した。

「逃げるんですね」

 アカネの言葉にアリシアは憮然としたままうなずいた。

「ああ、出直してくる。さっきも言ったがお前たちはそもそも前提の知識を持っていない。このままでは納得しないだろう。信じろとも言えないしな。

 ――もちろんまともに戦って勝てるとは思えないし、〈姐御シストゥラ〉もそれを望んでいない。言っておくが私の称号は【稲妻ライトニング】。追うのは勝手だが、逃げ足で勝てると思うなよ」

 アリシアはひゅっ、という風切り音と共に姿を消した。

 後には、何の気配も残らなかった。

「流石に、戻って報告するでしょ?」

「――うん」

 ミツキの言葉に、アカネは何かをためらいながら、それでもうなずいた。

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