【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】にオリガ・イワノーヴナ少尉――即時に二階級昇格するのが殉職者へのルールだ――の殉職が伝えられた。【零式レイシキ】はオリガの犠牲をもって退却したため、リー大佐はいったん警戒を解いた。

「あれ、セリナ」

 ハルカは自分よりも先に祈りを捧げているセリナに声をかけた。

 セリナの指先をよく見ると、土に汚れていた。

 訓練場に使われている、【旧東京居住区オールド・トウキョウ・レジデンス】の端に、ひっそりとした区画がある。

 そこには様々な形の墓標が思い思いに刺さっている。簡素な形ではあるが、【V】たちの墓であった。旧【詰所】で亡くなった者から、最近亡くなった者まで、その身体がなくても、ここで墓を作るのが、いつの間にかできあがったならわしだった。

「第三部隊のジュリア、いただろ? そいつの墓、作ってやろうと思って」

 セリナは土に刺さった鉄材の切れ端を指してそう言った。

「ジュリア・ベイカー伍長だっけ?」

「うん。知り合いなんだ」

 セリナでなくとも、誰かが作りそうなものだけれど、とハルカは思ったが、かれの想いに水を差すだろうと思って口を噤んだ。

「どうせアリシアあたりが作るかもしれないんだけど、それより先にウチが作りたくて」

 セリナはどこか気まずさを感じたのか、沈黙を声で埋めようとしていた。

「そうか。オリガよりもジュリアに気を配るのが、ちょっと不思議だっただけ。ごめんね」

 そう言ってハルカは本来の目的を果たそうとする。

 区画の中央、一番目立つのが、両刃の長剣が突き刺さっているものだった。薄く幅の広い剣の刀身には、「コウサキ・アヤ」と刻まれている。

 その前に立ち、ハルカは祈りを捧げる。

「オリガって、ハルカの同期なんでしょ?」

 アヤは廿期、最初の世代の【純粋兵コレクテッド】であった。

 ハルカたち廿八期は、アヤの死後すぐに【V】となった者たちなので、アヤは【V】としてのオリガを知らないことになる。

「――僕は最後の同期が亡くなったことを、アヤに教えたかったんだ。廿八期で生きているのは、僕だけになってしまった。僕より前から戦っている【V】は、もうこれでフミコさんだけだ」

 廿九期も自分だけだと言いそうになって、セリナは口を噤んだ。なんとなく、言っても仕方がないと思ったからだ。

 セリナは手癖で煙草の箱を取り出したが、重い足音を聞いてすぐに煙草をしまった。

「あら、二人ともいたのね」

 エレナ・ペトローヴナ曹長は、白い百合の花を携えていた。まぶたは重く腫れていた。

 ああ、やっぱり綺麗だなあ。

 セリナはどこか羨望の念を抱いていた。

 実際、エレナは【詰所】のだれもが振り向くほどの美貌を持っていた。金色の髪はいつ見ても内側にくるくると巻かれており、すらりとした長い手足を覆うその緋色の鱗は、大理石の彫刻のようなかれの顔を引き立てていた。

 白い百合の花が月光に照らされ淡く光ったように見えた。もしエレナが純白のドレスを着ていたなら、月の神と結婚する花嫁と思うだろう。

 羨ましいと思いつつも、セリナは実際に自分がそういう恰好ができないことも知っていた。おそらくそうする機会があっても、こそばゆいと言って断ってしまうだろう。しかし、だからこそ、エレナのその美貌を羨ましく思うし、ハルカの恋人であったアヤにも似たような気持ちを抱いていた。

 エレナは声高に歌った。

 メゾ・ソプラノの重厚な歌声が響き渡る。


 勇壮な歌の残響が、廃墟に長く響いた。


ソヴィエトの軍歌ポーリシュカ・ポーレよ。私、この歌一番好きなの。オリガもきっと好きだと思って」

 再び静寂に包まれる場で、エレナは静かに言った。

「勇ましい歌で、オリガにも似合う歌だと思います」

 セリナは正直に述べた。エレナは深く頷くと、区画の端にできた真新しくも細い石柱の前に、百合の花を置いた。

 質素なオリガの墓には、「勇壮なる【死神ジュネーツァ】、その魂はここに眠る」と記されている。

「称号も、記すのですね」

「そうよ。【V】にとって称号は、その強さを讃えるために与えられた名前なのだから。オリガは、その大鎌と、白くて細長い身体がそう思わせたのね。襲い来る【ドラコン】を全て刈り取っていった」

 エレナは跪いて、石柱にくちづけをした。

「私は、オリガを私たちの【死神ジュネーツァ】にさせないために戦う必要がある」

「そうですね。

 ――【竜段レベル5】の【ドラゴン】が、南東からこちらに向かっているとのこと。出現場所や態様を考慮して、リー大佐はその【竜】を【冥王竜ハデス】と名付け、討伐対象に指定しました」

 ハルカは静かにそう言った。

「そう。悪いけれど、司令に言って明日にでも第三部隊を出撃させる。私に討たせて頂戴。

 ――この前、丁度九十九体目を討ったの。あなたたちならこの意味、わかるでしょ?」

 エレナは、ふたりに対峙しそう言った。有無を言わさない迫力が、その声に現れていた。

 ――僕は、できれば君に殺して欲しいと思っている。

 オリガの言葉がセリナの脳裏に響いた。

 無理だよ。こんなこと言われたら、身を引くしかないよ。

 セリナは口を噤んだ。

「それがいいと思います。私たちは【零式レイシキ】を警戒する必要がありますから。

 ――ところで、曹長はどなたに称号を名付けてもらうつもりですか?」

 ハルカが口を開いた。

 エレナは少しうつむいて、考え込んだ。

 【人間チェラヴィエク】を信じろ。

 オリガの最期の言葉は、エレナに多少の行動を変容させる力があった。

「そうね、それは【冥王竜オリガ】を討った時、考えることにするわ。では、また明日」

 エレナは決然とした表情で、廃墟を後にした。



部隊長シストゥラ、多分あれです」

 南側から近づいてきた【竜段レベル5】の影を最初に捉えたのは、やはりシバタ・アカネ一等兵であった。先の功績が評価され、特例で二等兵から昇格していた。

 【志願者ナチュラル】においては、一般兵の期をまたがない昇格はハルカやセリナすら凌ぐスピードで、極めて稀な功績であった。

 アカネの指さす先に、真っ白な竜が朝焼けに輝いて飛んでいる。エレナには、ゆっくりと優雅に飛ぶその様が祝賀会でダンスを披露するオリガそのものに思えた。

 第三部隊の全員が、紛れもなくオリガの変異体、【冥王竜ハデス】だと認識した。

「オリガ……」

 エレナは得物を構えた。それはいつもの鎚矛メイスではなく、身が細く、鋭い尖槍スピアだった。

「全員、散開して! 【冥王竜オリガ】を取り囲むのよ! あとは私がやる!」

 第三部隊特有の「狩り」の陣形である。巨大な【ドラゴン】に対し使用する陣形で、薄く球状に散開して【竜】を取り囲み、その中で部隊長と副長が敵を「狩る」という作戦だ。囲みから抜けようとすれば副長が速攻をしかけ、取り残されたものは部隊長の鎚矛に蹂躙される二段構えで、これらはほとんどの場合成功を収めていた。

 【冥王竜ハデス】はこちらに気づくと、目にもとまらぬ速さで攻撃をしかけてきた。

 ワン・リーフェン一等兵は目を疑った。さっきまで豆粒くらいだった【竜】が、たった一瞬で目の前に現れ、爪を振り下ろそうとしていることを受け止めきれなかった。

 甲高い金属音がして、かれは致命傷を避けたことを知った。

「危なかった!」

 シバタ・アカネ一等兵は幅広の両刃剣クレイモアで爪を受け止め、【冥王竜】に押し返した。急に現れた白いお下げの新兵に、ワンはどう言葉をかけたらよいのか一瞬逡巡した後、ただ、

「ありがとう」

 と言った。

「助かってよかったです!」

 アカネは笑顔でワンに振り向き、【冥王竜】へと立ち向かった。アカネの視線の先にいるはずだが、素早く立ち回るためワンの目には見えない。

「あなた、見えてるの?」

「どうにか見えます!」

 ワンは驚愕の表情を浮かべた。【純粋兵コレクテッド】、その最たる例のアリシアを訓練で打ち負かした新兵が、これほどまでに能力が高いとは。それも、これだけ強く大きな【竜】の前では、戦う意思すら喪失しかねないというのに、かれは物怖じせず倒そうとしている。

 負けていられないな。

 そう思ったとたん、不思議とワンの目にも、敵の姿が捉えられるようになってきた。

部隊長シストゥラの反対側から挟みましょう! ワンさんのハンマーなら、十分圧力になると思います」

 エレナは遠く、2時の方向だった。確かに回り込んでふたりがかりで【冥王竜】を押していけば、エレナのサポートができるかもしれない。

 ワンはアカネに並んだ。かれの鎚はエレナの鎚矛メイスと比べるとずっと短いが、その分大きかった。鎚で急所を打てれば、あるいは有効打になるはずだった。ワンは【冥王竜】の爪を必死に防ぎながら、アカネと協力して徐々に敵を押していく。

 しかし、敵は強大だった。

 【冥王竜】は痺れを切らし一直線にワンの懐に飛び込むと、ぐさり、と爪を突き刺した。

「ワンさん!」

 アカネが即座に反応し、ワンを刺した爪を脚ごと斬った。【冥王竜】は悲鳴をあげわずかに怯んだ。

 その刹那。

 きん、と高い金属音とともに、【冥王竜】の頭にエレナの尖槍スピアが突き刺さった。尖槍は一本、また一本と増え、【冥王竜】の頭には四本の尖槍が突き刺さった。

 アカネはその隙にワンを抱きかかえた。ワンの【耐竜装フォース】が徐々に消失していく。

左様ならダスヴィダーニャ、オリガ」

 エレナはそうつぶやくと、【冥王竜】の頭に鎚矛メイスを振り下ろした。

 【冥王竜】の動きが止まり、揚力を失った身体は黒々とした海面へ吸い込まれるように消えていった。

「ワンさん、しっかりしてください!」

「いや、シバタ。私はもうダメだ」

 アカネが抱きかかえているうちにも、ワンの【耐竜装】は崩壊し、黒い鎧は徐々に鱗に変換されていく。

「アカネ」

 エレナはアカネに近寄り、首を振った。

「でも!」

「ありがとうシバタ。もういいんだ」

「でも!」

「アカネ!」

 エレナの声が諫めるように響く。

 アカネの真っ赤な瞳から涙がこぼれ落ちる。泣きながら必死で首をふっている。

「ワンに従いなさい。貴女が、とどめを刺すの。このまま、送ってあげなさい」

 エレナの声はなぜだか、優しかった。

「頼む」

 ワンの身体はみるみるうちに黄色い鱗に包まれていく。もはや猶予はなかった。

「ごめんなさい」

 アカネはワンを放り投げると、手にした剣でかれの首を刎ねた。

 ワンの身体と首は二手にわかれ、はるか下へと墜ちていった。

 ありがとう。

 アカネにはワンの唇がそう動いたように見えた。

「みんな、よくやってくれたわ、帰りましょう」

 エレナは集合の号令をかける。【竜】たちを取り囲んでいた第三部隊はすぐさま部隊長のもとに参集した。

部隊長シストゥラ、わたし、ワンさんを救えませんでした」

 アカネはまだ泣きじゃくっていた。

「――アカネ。貴女は多くの命を救ったのよ。ワンを斬ることによって、より多くの命を救えた。ワンも、いえ、ワンだけじゃない。オリガだってそう。わたしたちの仕事は、そうして人間チェラヴィエクの命を救っていくことよ。さあ、前を向いて、涙を拭きなさい。泣いている暇なんて、どこにもないのだから」

 アカネに語りかけながら、エレナは、途中から自分自身にも語りかけていることに気づき、涙があふれそうになった。

「はい」

 アカネは涙を拭う。生えかけの鱗が少し痛かったが、気にしなかった。

 帰投の陣形をとったとき、エレナの【耐竜装】が緊急通信を受信した。

「こちら第二部隊長、司令より伝言、直ちに戻って! 【零式レイシキ】よ!」

 コギソ・フミコ曹長からの通信だった。第二部隊が通信を使用して伝令したことは極めて稀で、中でも部隊長を通じたものは初めてだった。

「第三部隊長、了解。【詰所】へ全速帰投する!」

 みんな、急ぎましょう!

 ただならぬエレナの声色に全員が事情を察し、部隊は全速力で【詰所】へ向かった。

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