出撃した第三部隊は南東に進路をとり、海上へ出た。

 水平線が僅かに光っているのを、シバタ・アカネ二等兵が見つけ、副長に知らせた。

「2時の方向に反射物があります。事前情報から【零式レイシキ】の可能性が高いです」

 アカネは事務的に伝えた。

 恐れないのだな。

 オリガは驚いた。

 新兵であれば、それだけ強大な【ドラゴン】を見れば、恐怖で飛べなくなる者すらいるというのに。

 オリガは即座にエレナに伝える。

「行きましょう」

 エレナは即座に前へ進み出て、光の方角へ進んだ。

 それは徐々に大きくなり、すぐに正体を顕わにした。

「【罪深き竜グリェシュニク】!」

 エレナの言葉で全員はすぐさま散開し、迎撃態勢に入る。【耐竜装フォース】からめいめいの武器を取り出し、高速で向かってくる「それ」に備えた。

 ジュリア・ベイカー伍長が前に出た。厳しい表情で重たい騎士槍ランスを向け、【零式】へ向かっていく。その後ろ、焦りを浮かべた表情でアリシア・ジョンソン伍長が後を追う。

 【零式】の口が開き、エレナは青ざめた。

「ジュリア!」

 エレナの叫びは【零式】のブレスにかき消え、ジュリアは白色の炎に焼かれた。直後に爆発が起き、第三部隊は爆風に散り散りになる。

「くっ!」

 エレナは鎚矛メイスを握りしめ、翼をはためかせた。

 はるか下にアリシアらしき影を見た。間一髪でブレスを躱したらしい。躱せたアリシアがあれだけ離れていたら、直撃したジュリアの影も形も見つけられるとは思えなかった。

 どうする。このままではあっという間に全滅する。

 部隊長としてなすべきことを、この一瞬でエレナは見失いそうになった。

部隊長シストゥラ!」

 オリガは叫んだ。

 エレナと目が合った瞬間、メッセージが送られた。

 僕が行く。

 君は退け。

 【人間チェラヴィエク】を信じろ。

「オリガ!」

「行け! 早くヴィストラ!」

 オリガは大鎌サイスで【零式】の爪を弾き返した。

行けないニェット!」

「何言ってるんだ! 行け! 部隊長は君だ!」

「貴方を置いて行けない!」

生きろトゥイ・ヂベーシ!」

 オリガは再び叫んだ。それは悲痛な響きにも聞こえた。

「わかったわ。――全員、退却!」

 第三部隊は、オリガを残してエレナのもとへ集合する。

 敵と衝突する前から五人減っていた。たった数分で四人も殺されてしまった。エレナはその事実に震え上がった。オリガがいなければ、これ以上の被害になることは明らかだった。全員、無言で一団となり、【詰所ステーション】を目指した。



「さて、邪魔者はいなくなったよ。どうだい? そろそろ本来の美しい姿に戻ってくれないかな?」

 全員を見送り、オリガは【零式】に向き直って、そういった。

 白銀の巨大な【竜】は、きらりとまばゆい光を放つと、ひとりの少女へと変化した。その姿は【V】にどこか似ていた。異なる点は、【耐竜装フォース】らしき黒い鎧がなく、白い一枚布の装束であることと、四肢に鱗がないことであった。プラチナ・ブロンドの長い髪が、風にさらさらと揺れている。

「イリーナ――いや、レイ。約束を守ってくれてありがとう」

 オリガは大鎌を構えたままそう言った。

「仲間を四人も見殺しにするなんて、酷い人ね」

「血の気の多いかれらに、本当のことを言えるわけないだろう。とにかく、エレナを守ってくれてありがとう。これで――僕は本気を出せそうだ」

 オリガの目が鋭くなる。

「生きるのを諦めたわけじゃないのね。あなたってどこまでも馬鹿なひと。たったひとりぽっちでわたしに勝てるわけないじゃない」

 レイと呼ばれた少女は、どこからか得物を取り出した。小柄な彼女の身長を大きく上回る刃渡りの大太刀オオダチだった。

「本当は、この姿の方が殺しやすいのよ。【ドラゴン】の姿は大きすぎて狙いにくいから」

「どちらでもいいさ。僕は僕の決着をつける。あまり人間チェラヴィエクを甘く見ない方がいい」

人間チェラヴィエク? あはは、笑える! あなたがそんなことを言い出すとはね!」

「君に比べれば、【ぼくら】は等しく、人間チェラヴィエクさ。

 ――【死神ジュネーツァ】、オリガ・イワノーヴナ、君の命を貰い受ける!」

 オリガは吶喊の声をあげ、猛烈な速度でレイに迫る。誰にも見せたことのない素早い刈り取りは、しかし全てレイの大太刀に阻まれる。この間、レイはほとんど動くことなく右腕だけでオリガを躱した。

「なるほど、コウサキ大尉が敗れるだけのことはあるね」

 オリガの表情に少し疲労が見えた。

「余裕ぶってるつもり? じゃあ教えてあげる。【あなたたち】が所詮、わたしの未完成品デッドコピーに過ぎないことを!」

 レイの翼がはためく。その風圧にオリガは思わず大鎌で身を守った。

 次の刹那。

「っ」

 レイの大太刀がオリガの身体を【耐竜装フォース】ごと貫いた。

「身体は遺してあげるわ。これで仲間達に、また逢えるでしょう」

 【耐竜装】が警告音を発し、瓦解していく。

 レイは大太刀を抜き、オリガを振り払った。オリガの身体は猛烈に高度を失っていく。

「うっ……」

「今まで、楽しかったわ。さようなら」

 レイは姿を消し、オリガの傷口が鱗に包まれていった。みるみるうちに【耐竜装】に隠された部分が白い鱗に包まれていく。

「くそ、最初からこれが目的だったのか……エレナ、すまない……」

 挑発して身体を両断されれば、【竜】になるのを防げたはずだった。それすら、レイ――【零式】には見通されていたのだ。

 オリガの身体全てが鱗に包まれ、かれの呼吸は失われた。



 【詰所】の付近までたどり着き、着地をしたエレナは、通信リストからオリガが消えていることに気づいた。

「ああ、そんな……」

 人目もはばからず、エレナは泣き崩れてしまった。

「オリガ……どうして」

 唇を噛みしめて、エレナはうずくまった。

部隊長シストゥラ……」

 新兵のシバタ・アカネ二等兵が見かねて駆け寄った。

 真っ白なおさげの髪が跳ねる。

 この部隊では、部隊長エレナのことをそう呼ぶように指示されているから、オリガでなくともエレナのことをそう呼んでいた。

「シバタ、貴女、【人間チェラヴィエク】だったわよね」

「はい」

 アカネは孤児院で育った。現在の第四部隊長であるミズタニ・ナナ軍曹が定期的にそこを訪れていたことで【V】の存在を知り、自分の命が少しでも多くの命を救えればと志願したのだった。

「教えて。この感情を。どう打ち消せばいいのか。私にはこれがわからないの」

 第三部隊は【純粋兵コレクテッド】がほとんどを占めていたが、ジュリア・ベイカー伍長をはじめ、いま殉職した者がほとんど【志願者ナチュラル】であり、生き残った【志願者】はアカネだけであった。

 【純粋兵コレクテッド】は、元々人間である【志願者ナチュラル】と異なり、初めから【V】として完成した状態で創り出される。また、専用の教育施設で基礎的な教養は与えられるものの、研修期間を経て【V】として配属されるまでは基本的に外出不可能で、通常の人間との接触は非常に限られていた。

 エレナは、オリガを失って初めて手にしたこの感情の正体がわからなかった。自分を不意に突き動かそうとする大きな感情に恐れを抱いたのである。

「すみません。私にも、よくわかりません」

 アカネは深く首を落とした。

 そして、少しの間考えた。

「でも、副長を失った悲しみは、部隊みんなが背負っているのだと、思います。みんなで、副長の勇気と覚悟をたたえませんか?」

 その提案に、部隊の仲間はみなうなずいた。

 エレナは涙を緋色の腕で拭い、部隊に向き直る。

「わかったわ。そうしましょう。みんな、オリガ・イワノーヴナ軍曹――いえ、少尉に、敬礼!」

 エレナの号令とともに、かれらは南東に敬礼をした。一陣の風が吹き、エレナの涙は飛んでいった。

「シバタ――いえ、アカネ、ありがとう」

 エレナはアカネの肩に手を置き、礼を言った。

 金色の髪が風になびいた。アカネはエレナを見上げながら、ちいさく頷いた。

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