第一部隊と第三部隊の全員が【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】最下層の司令室に集合するのは、七十二期に入って初めてのことだった。当然、七十二期であるハギワラ・ミツキ一等兵とシバタ・アカネ二等兵にとっては、最初の緊急招集だった。

「哨戒警備している無人機より報告があり、【竜段レベル7】の【ドラゴン】の影を認めた。ここより南東の海洋上である。知っていると思うが、【竜段7】の大きさで存在が確認されているのは、【零式レイシキ】以外にない。従ってこの影は【零式】である可能性が高い」

 リー大佐は大きな身体を震わせ、モニターに表示されたレーダーの一点を指した。

 【零式レイシキ】とは、現在の【V】たちの最終目標にして、史上最強の【竜】である。

 【竜段7】という規格はこの【竜】の登場によって設定されたものだ。

 【旧東京防衛統括本部オールド・トウキョウ・センター】、【オールドモスクワ防衛統括本部センター】をはじめ、世界中の人間の拠点を襲撃し、破壊し尽くしている。各地で様々な名前で呼ばれているが、標準的な呼び名は、日本語である【零式レイシキ】であった。

「大佐、討伐部隊を直ちに編成してください」

 サエグサ・ハルカ曹長は手を上げ意見を述べた。

「早まるな。哨戒していた無人機は帰還していない。先程の言葉と矛盾するようだが、この影が【竜段レベル7】を示しているからといって必ずしも【零式】がそこにいるとは限らない」

「ハア? 何を言ってるのよ! その大きさで【罪深き竜グリェシュニク】でないわけないでしょう! 第三部隊を中心に、出撃の許可を!」

「【零式】は非常に大きいが、素早い個体でもある。仮にこのレーダーが【零式】だとしても、別の方向から襲来する可能性だってある! そうなったら【東東京詰所ここ】をどうやって守る?」

 大佐がふたりを一喝する。

「ここでは第三部隊を出撃させ、第一部隊は【詰所】の守備へ温存する」

 大佐の決定に、エレナは深くうなずいた。

「安心して。私たちは【罪深き竜グリェシュニク】を今度こそ沈めてくるわ。【人間チェラヴィエク】にあれは無理だもの。ねえ?」

 エレナは挑発するようにハルカを見つめた。

「ペトローヴナ曹長、お言葉ですが、その【人間チェラヴィエク】であるわたしに、訓練で一度も勝ったことがない点からすると、むしろ自分では沈められないとおっしゃっているように聞こえるのですが。ここでわたしとの戦績を公開してもいいのですか?」

 ハルカは静かな怒りを表明した。セリナはたまらずオリガを見た。オリガは素知らぬ顔をしている。

「ふん、せいぜい吠えるがいいわ。どうせ次は勝ってみせるから、覚えておきなさい!」

 エレナは大して気分を害することもなく、副長のオリガを連れて司令室を出た。

 セリナは昨日のオリガの態度がどうにも気になって仕方がなかった。



 十五対一。

 昨日、セリナは初めてオリガに有効打を与えた。オリガの大鎌サイスを至近距離で躱し、鉈を首元に打ち込んだのだ。【耐竜装フォース】が甲高い音を立てるのと同時に、オリガはセリナを抱きしめた。

「やっと勝ってくれたね」

 オリガはセリナが勝つことをなぜか確信していた。オリガの体温が伝わる。少しだけ冷たい。セリナはめまいを覚えた。オリガが手当たり次第に女たちを抱く理由もわかるような気がした。きっとかれはそうしないと死んでしまうくらいに寂しいのだ。

「今日君に勝ってもらわないと困るんだ」

 オリガは耳元で囁く。

「多分、僕はもうすぐ死ぬ」

「まさか」

「おそらく」

「やめろ。身体を遺して死ねば、【竜】になるぞ」

 軍事的に隠されていることだが、戦友を喪った者であればだれもが知っているし、【V】であればいつかは直面することであった。

「僕はかつて、【旧モスクワ防衛統括本部マスクヴァ】最強の【V】だった。【死神ジュネーツァ】の称号は、君も知っているだろう。武器が大鎌サイスだし、白い鱗が骸骨を彷彿とさせたのだろうね。それこそ、サエグサと同じか、それ以上の【竜】――『先輩たち』を葬ってきた」

 オリガの寂しさが徐々に、セリナに染み渡ってくる。

「でも、それは何かの間違いで僕が死んだとき、僕も【罪深き竜グリェシュニク】と同じようになってしまうことに気づいたんだ。【V】としての力が強ければ強いほど、死後に強力な【竜】になる。だから、エレナが第一部隊に配属された時、僕は本当にうれしかった。僕を殺してくれる【】が現れた、ってね」

 セリナは、思わずオリガを抱きしめ返した。ああ、こうしてオリガは女たちを沼に引きずり込むのだ、とセリナは気づいた。けれど自分が沈みきらないのは、セリナもどこかで同じようなものを持っているからだと、同じく気づいてしまった。

「あんたって、実はウチの身体好きだよね」

「気づいてたんだ。――ああ、好きだよ。本当に好きだ。抱かせて欲しいくらいね」

「やっぱり」

 ハルカはそうではなかった。自分の悲しみがオリガと根本的に異なるのもわかっていた。自分の中にあいた穴を満たすことは、きっともう許されないのだ。セリナはぎゅっと身体を縮めた。

「お願いだ。もし僕が死んだら、エレナとサエグサと共に、僕を殺してくれ。――他の誰かを殺す前に。僕は、できれば君に殺されたい。【黄昏タソガレ】のセリナ、君に」

「その称号使うの、あんたとハルカくらいだよ」

 オリガは【死神ジュネーツァ】、ハルカは【神風カミカゼ】と称号が与えられているが、同じように、セリナには【黄昏タソガレ】という称号が与えられていた。称号は受けるべき【V】が、名付けて欲しい【V】を指名する。【黄昏】という称号はハルカが名付けた。

「エレナと僕では指向が違う。エレナは僕のことが好きだけれど、僕はそうでもない。それに、どうせ僕は身体しか愛せない」

 セリナはオリガをふりほどき、その目を見つめた。紫の斑のない瞳に、セリナの悲しげな顔が映っている。

「明日にでも、この近くで【罪深き竜グリェシュニク】が出るだろう。そして、第三部隊が出撃することになる。僕はおそらく、彼女と二人きりになって、そして死ぬ」

「彼女って、【零式レイシキ】のこと?」

 その問いにオリガは答えなかった。けれど、答えたも同然であった。

 オリガは実戦経験があった。結果として討伐には失敗し、【旧モスクワ防衛統括本部】は壊滅、オリガとエレナ以外に戦力となる【V】は生き残っていなかった。かろうじて生き残ったふたりは、【罪深き竜グリェシュニク】と戦うために【東京防衛統括本部】へ異動した。

「なあ、オリガ」

「なんだい?」

「本当にあんたが死んで【竜】になったとしてもさ、多分【竜段レベル7】にはならないわけじゃん。それなら、【零式】――【罪深き竜グリェシュニク】は、もともとどれくらい強い【V】だったんだろうな」

 セリナの疑問は、オリガにある事実を示すことになった。

「いや――彼女は、おそらく【V】じゃない」

「最初から【竜】だったってこと?」

「違う、そうじゃない。もともと、【ぼくら】とは違う存在のように思う。でなければ、あんなに強いはずがない」

 僕と、コウサキ大尉のどちらもが倒せなかった【竜】は、彼女だけのはずだから。

 オリガは意を決したように地面を踏みしめ、訓練場を後にした。

「悪いけどさ、ウチには無理だよ。あんたの『介錯カイシャク』は」

 オリガに聞こえないようにセリナはそっとつぶやいた。



「セリナ、どうしたの?」

 ハルカにのぞき込まれて、セリナは自分がずっと物思いに耽っていて全然動けていないことに気づいた。

「いや、なんでもない」

 ちょっと煙草が切れちゃったかな、と無理して笑って誤魔化そうとしたが、ハルカの表情は変わらなかった。

「オリガ――イワノーヴナ軍曹に何か嫌なことを言われた?」

「いや、それはない」

 ただ。

 気がかりだった。

 かれはこの事態をあらかじめ知っていた。どのように知り得たのだろう。

 ――彼女と二人きりになって、そして死ぬ。

 オリガは確かにそう言った。「彼女」が【零式】のことを指しているのだとすれば、なぜ二人きりなのか。第三部隊全員で戦いに臨むはずではないのか。

 そもそも、オリガはなぜ【零式】を「彼女」と言ったのか。

 オリガが何かを知っているらしいということはわかるものの、それをハルカに伝えるべきか、セリナは悩んでしまった。

「正直、今の第三部隊では【零式】を倒せないと僕は思う。そして、ペトローヴナ曹長とオリガの性格から考えると、おそらくどちらかが犠牲になって帰ってくると思うんだ」

 ハルカの声が聞こえた。

「多分、死ぬのはオリガだと思う」

「何か言ってたんだね」

「うん」

「無理に言わなくていい」

 ハルカは低い声で、きっぱりと言った。

「わかった」

「でも、オリガの言葉に囚われないで。君は第一部隊で、部隊長は僕だ。わかったね?」

 ハルカはそっと突き放すように、そう言った。

「そうだな。悪かった」

「謝る必要はないよ」

 ハルカはこれで終わりとばかりに、すたすたと歩いて行ってしまった。

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