第50話 涙と説法の朝




「実に気高い御方ですな。レイモンド殿は……。」

「はっ!? ……はぁぁ~~~っ!?」



 一瞬、アドソンさんの言葉が頭に入らなかった。

 大きく目を見開き、瞬きを何度も繰り返す。信じられない気持ちが込み上げ、思わず語尾を裏返して叫び、勢いよく立ち上がってしまった。



「そうではございませんか。

 あの方が我々の無理難題を受け入れ、ああして身を捧げている。そう簡単にできることではありません」



 しかし、アドソンさんはまったく動じなかった。

 顔と上半身に滴る汗をタオルで拭い、僧衣の袖に腕を通して、身を包んだ。



「あれのどこがですか! どこがっ!」



 納得ができなかった。

 私はますます興奮し、唾を飛ばしながら怒鳴り、村長宅を力強く二度指さした。



「アオイ殿、よく考えてご覧なさい。

 メアリーの未練とは、恋人を想うが故のものです。

 だが、ご承知の通り、想いを遂げようにも相手はゾンビ……。その想いは絶対に遂げられません」



 それでも、アドソンさんは落ち着き払ったままだった。

 激昂した私を宥めるように、アドソンさんはゆっくりと息を吐いた。



「ならばこそ、メアリーが恋人を想う心の上に、新たな想いを上書きすれば良い。

 レイモンド殿はそう考えたのではないでしょうか? 恋人への想いが消えれば、メアリーの未練もなくなるのですから」



 私は言葉を詰まらせ、心臓がぎゅっと締め付けられる。

 アドソンさんの静かな説得力に押され、胸の奥がざわついた。



「ぐっ……。でも、だからって、あんな方法っ!?」



 でも、目の前の村長宅を見上げて、怒りと悔しさが混じり合い、どうしていいか分からなくなる。

 たまらず視線を素早く落とし、地面を睨みつけながら垂れた手に力を込めて拳を作った。



「なるほど、一理ありますな。

 しかし、甘い言葉を囁き、愛をゆっくりと育む時間が我々にあるでしょうか?

 レイモンド殿の言によれば、この村はメアリーを起点として、呪いが日毎に強まるとのこと。

 であるならば、多少性急な方法であっても、それもまた愛の語らい。きっと、我が神はレイモンド殿をお許しになってくださることでしょう」



 肩がブルブルと震え、拳の中で指先が白くなるほど力を込めた。

 顔を跳ね上げて、アドソンさんを睨み付ける。


 私はどうしても納得できなかった。納得したくもなかった。

 もしアドソンさんの言うことが正しいのなら、レイモンドさんとメアリーさんがああなったのは、そもそもの原因が私になってしまう。


 それに、自分がここまで憤っている理由さえ、自分でもはっきりとは分からなかった。

 それでも必死に反論を探し、涙で視界が滲む中、声を震わせながら怒鳴り続けた。



「それは、アドソンさんがレイモンドさんのことをよく知らないから言えるんです!

 レイモンドさんはスケベなんですよ! この前だって、私が水浴びしているのを覗いていたし、スケベで、スケベでどうしようもないんですよ!」



 だけど、その反論はお粗末極まりなく、理屈として成立してはいなかった。

 息は荒く、頬は涙で湿っている。胸の内は感情がぐちゃぐちゃに絡まり、言葉にならない思いが一気にこみ上げていた。



「う~~~……。どうしたんだニャー……。

 ……って、ニャーは寝てるんだニャ! ぐーーーーー!」



 そんな騒がしさに、タリアさんは寝ぼけ眼を擦りながら、のっそりと上半身を毛布から起こした。

 つい私はキッと鋭く睨んでしまい、タリアさんは身体をビクッと震わせると、素早く毛布を頭から被った。あとで謝っておこう。



「では、アオイ殿。逆の立場で考えてみてはいかがでしょう?

 確か、恋人の名はロバートでしたな。今回の事件の発端がメアリーではなく、ロバートだとしたら……。

 アオイ殿、あなたはロバートの未練を無くすため、アンデッドであるロバートを、愛をもって抱くことが出来ますかな?」

「そ、それは……。」



 アドソンさんの問い返しが頭に届いた瞬間、心臓が跳ね、全身の力が抜けたように感じた。

 視界がわずかに霞み、呼吸が浅くなる。よろめきそうになる私を、厳しさを増したアドソンさんの眼差しが踏みとどまらせた。


 でも、涙が止まらない。

 頬を伝い、唇を濡らし、次々と溢れてくる。



「この際ですから、正直に申しましょう。

 私は僧籍に身を置いて、十六年になりますが……。未だご遺体に嫌悪感を覚えます。

 例え、それが役目であっても、出来るなら触れたくない。……それが本音です。

 ましてや、それを抱くなど、以ての外……。例え、美しい女性だったとしてもです。

 であるが故に、感じたのです。なんと、気高い御方だろうと……。

 そして、自分の不甲斐なさに涙が溢れ、頬を伝い落ちていきました。どんなに説法を学ぼうとも、それを実践できなくては意味が無いと、深く痛感したのです」



 アドソンさんもまた、静かに涙を流していた。

 背後に昇り始めた朝陽を仰ぎ、眩しさに目を細めながら、はらはらと涙をこぼしていた。



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