第2話 魔族営業マンたちの流儀

 翌日。朝からショールームの中はやけに慌ただしかった。ガラス張りの正面から差し込む光が、まだ誰も座っていない商談ブースの机を照らしている。


 俺――佐藤悠真はデスクに座りながら、昨日セリア店長に言われた言葉を思い返していた。


 ――我々は車を売っているんじゃない。我々自身を売っているんだ。


 あの時は正直、意味が分からなかった。けど今なら分かる気がする。俺の接客はきっと間違っていた。三か月売れなかったのは、車の知識が足りないんじゃなくて、客に俺自身を見せられてなかったからなんじゃないか。


 今日の目標は決まっていた。

 売れている先輩たちのやり方を見て、学ぶこと。



鬼山課長の商談


 午前十時、最初の客がやってきた。麦わら帽子の日焼けしたおじさんで、農業用に軽トラを検討しているらしい。鬼山課長が応対に出る。


「佐藤、見とけ」


 課長は低い声でそれだけ言って、客を商談ブースへと案内した。俺は少し離れた席に座り、メモ帳を準備する。


 おじさんが腰を下ろすなり、課長は開口一番こう言った。


「佐藤さん、田んぼの具合はどうだ? 今年は雨多かったろう」


「そうそう、もう田んぼぐちゃぐちゃでなぁ。機械が何度もハマっちまったよ」


 課長は腕を組んで大きく頷き、声を上げて笑った。


「ハハッ、やっぱりか! わしの知り合いもみんな同じこと言っとる。――そういや孫は今年も手伝いに来とるのか?」


「ああ、来とる来とる。泥だらけになっとるよ」


 商談なのに、軽トラの話には全然入っていかない。二人は田んぼと孫の話題で大盛り上がりだ。


 やっと車の話になったのは、それから十分以上経ってからだった。


「軽トラはこの新型がええ。荷台の強度が上がって、燃費も落ちん。来週、孫さん連れてもう一度来なさい。試乗させちゃる」


 おじさんは笑顔で頷き、店を後にした。


 ……車の説明なんてほとんどしてないのに。契約が決まった空気だった。



先葉(さきば)先輩の商談


 昼前、新婚夫婦がやってきた。車は奥さんの希望らしい。先葉先輩が応対に立った。


「いらっしゃいませ。先日はご来店ありがとうございました」


 落ち着いた笑顔。けれど言葉に無駄がない。


「今日はどんなお気持ちで来られました?」


 奥さんは少し不安げに「広い車が欲しくて……」と答えた。


 先輩は一瞬で空気を読み取ったようだ。


「前回、広さは気に入っていただけたようですね。今日はご主人も一緒だから、安全性能が気になっているんじゃないですか?」


「……ええ、まあ」


 ご主人は少し驚いた顔をして頷いた。


 そこからの先葉先輩の説明は簡潔だった。安全装備の仕組みを三つのポイントに絞り、わかりやすい言葉で伝える。奥さんが不安そうに眉をひそめた瞬間、すかさず旅行の話題に切り替えて空気を軽くする。


 まるでお客さんの感情を全部読んでいるみたいだ。



奥田先輩の商談


 午後一番。奥田先輩が中年夫婦と向き合っていた。


「旦那さん、この前ゴルフ行くって言ってましたよね? このSUVならキャディバッグ四つ余裕で積めますぜ」


 声がでかい。でも客は嫌そうな顔をしない。


「奥さん、この前の旅行写真見ましたよ! めっちゃ楽しそうじゃないですか。荷物、どれくらい積んだんです?」


「結構積みましたねぇ」


「でしょう? じゃあ次はこの広さで行ったらもっとラクっすよ!」


 豪快でテンポがいい。客が笑いながら「そうだな」と頷いている。


 ――と、奥田先輩が席を立ってカタログを取ろうとした時だった。


「ちょっと待っててねぇ〜……あ、いえ、待っててくださいよ!」


 一瞬だけオネエっぽい口調が出た。本人はすぐに男らしい声に戻したが、客の奥さんがクスッと笑ったのを俺は見逃さなかった。


佐藤が鬼山課長や先葉先輩、奥田先輩の商談を必死にメモを取りながら見ているその時――。


事務所の奥、わずかに開いたブラインドの影から、一対の赤い瞳が静かにその様子を見つめていた。


セリア店長だ。


「……佐藤。少しは営業らしくなったか」


小さな独り言。誰も聞いていない。


鬼山課長がちらりと視線を送ったが、セリアは気づいていないふりをして書類に視線を落とした。


だが、その手元は一向に進んでいない。



 夕方、ショールームが少し落ち着いた。俺はデスクで今日一日を思い返す。


 鬼山課長は田んぼと孫の話で客を笑わせ、信頼を勝ち取っていた。先葉先輩は客の心を読み取り、安心させ、自然に契約の流れを作っていた。奥田先輩は豪快で頼れる兄貴分で、時にオネエ口調が混じっても親しみやすさに変わり、客はむしろ心を開いていた。


 みんなに共通していたのは、最初から車の話をしていなかったことだ。客の生活や趣味、家族のことを大切にして、その人自身と向き合っていた。だからこそ客は彼らを信用し、「この人から買いたい」と思うのだ。


 俺が三か月間やってきたことは、ただの台本通りの接客だった。車の説明は完璧にしてきたつもりだが、客の顔も気持ちも見ていなかった。


 ――車を売るんじゃない、自分を売るんだ。


 セリア店長の言葉の意味が、ようやく胸の奥に染み込み始めた気がした。


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