うちのカーディーラー店長が魔王な件について ~新人営業マンの俺、地獄で初契約を勝ち取ります!~
@takuya_0528
第1話 地獄のカーディーラーへようこそ
――ここが、俺の新しい職場か。
国道沿いに、やたら存在感のあるガラス張りのショールーム。整備ブースからはインパクトレンチの乾いた音が途切れなく響いて、オイルとゴムの匂いが鼻にまとわりつく。看板には黒い炎のロゴ、「ディアブロ・モータース」。最初に見たときは、センスが攻めすぎだと思った。今は意味が分かる。ここは地獄だ。
入社して三か月。俺、佐藤悠真はまだ一台も自動車を売っていない。
いや、正確に言えば、売れそうで売れない。見積もりは取れる。試乗も盛り上がる。なのに、最後のひと押しをかける前に、客は「ちょっと家族と相談して……」と笑顔で帰り、二度と戻ってこない。今日もデスクの引き出しには、未成約の見積書が分厚くたまっている。
自信は、あった。
車の知識なら誰にも負けない。学生時代からエンジン形式やサスペンションの構造をノートにまとめ、各メーカーの年次改良の履歴まで頭に入れてきた。ここに入ってからも、先輩たちに「佐藤、お前説明上手いな。ちょっとこのお客さんに新型の安全装備、噛み砕いて説明してやってくれ」と呼ばれて、横から補足に入ることが多い。
――なのに、売れない。
「おはようございまーす!」
開店前の朝礼。ショールームの中央に全員が円を作る。そこへ、ヒールの音が規則正しく近づいてきた。
セリア・ディアブロ店長。
漆黒のパンツスーツに整った黒髪。笑えば、客は大抵その瞬間に財布の紐をゆるめる。だがその笑みが、社員に向けば意味はまったく変わる。背筋が勝手に伸びるのは、俺だけじゃない。
「各自、先月の数字を確認したな?」
低く、よく通る声。
社員の中には、どんなに頑張っても隠し切れていない“種族性”がある。鬼山課長の角は今日も立派だ。奥田先輩――オーク族の彼は、スーツがパツパツで今にも背中の縫い目がはじけそう。サキュバス先輩は、社内規定ギリギリの色気を完全に心得ていて、視線を浴びても表情一つ崩さない。
整備ブースを見やると、骸骨――スケルトンたちが無言で工具を整えている。白い指骨がレンチを摘み、カラカラ小さな音を立てて並べる様子は、最初こそ震えたが、今では頼もしさすら覚える。
「目標を超えた者、二歩前へ」
サキュバス先輩が軽くウィンクして、するりと前に出る。奥田先輩は胸を張ってドスン、と床を鳴らす。鬼山課長は当然の顔で二歩どころか三歩出た。
俺は、動けない。
「未達の者、名前を呼ぶ。呼ばれた者は理由を三つ。改善策を三つ。期限を明確に述べよ」
店長の視線が、順にこちらへ近づいてくる。心臓が喉にあがる。ここ三か月、同じ儀式を繰り返してきた。呼ばれないことは、一度もなかった。
「佐藤」
「は、はい!」
「理由を」
「……見込み客の層を広げられていませんでした。一つ目。二つ目は、クロージングの切り出しが遅く、競合に持っていかれました。三つ目は、商談の温度が高いうちに再訪のアポイントを取れませんでした」
「改善策」
「今週から商談の最後に必ず次回アポを設定します。クロージングの言い回しを三パターン用意して使い分けます。既存の見込み客に加えて、紹介依頼を必ず一件は取ります。期限は――今月末までに三台。まずは一週間で一台を目標にします」
「……よし」
短く頷く店長。
救われた――一瞬そう思ったが、油断は禁物だ。店長の「よし」は合格じゃない。せいぜい「聞いた」。合格は数字でしか出ない。
朝礼が終わると、開店準備が慌ただしく始まり、俺は昨日の見積り客へフォローの電話をかけた。
電話の向こうで、日曜に試乗したばかりの家族連れのお父さんが申し訳なさそうに言う。「ごめん、他店でちょっと安くしてもらってさ」。
喉まで出かかった「うちも頑張ります!」を飲み込む。値引きの勝負に持ち込んだ時点で、俺の負けだ。頭では分かっているのに、どうしてもその土俵に引きずりだされる。
「佐藤、ちょいと手、貸せ」
奥田先輩に呼ばれる。
大柄な体で、いつも陽気――というより、陽気“すぎる”。だが不思議と客に好かれる。今日はリピーターの若いご夫婦が来店していて、先輩は親戚のおじさんみたいに子どもをあやしている。
「ね、佐藤。この新型の安全装備の差、分かりやすく、ほら“天使でも分かる”くらいに説明して~」
「天使でも……? ええと、では――」
俺はホワイトボードに簡単な図を描き、ミリ波レーダーとカメラの役割分担を噛み砕いて説明した。ご夫婦は「へえ!」と何度も頷いてくれる。説明が終わると、奥田先輩が自然に会話を引き取る。
「奥さん、保育園の送り迎えあるんでしょ? 後ろ、スライドドアだと超ラクよ。ほら、今日の夕飯なに? え? 焼き魚? 渋いねぇ~! じゃあこの色、台所の照明の下でも綺麗に見えるから!」
……料理の話からカラー選びに繋げるの、何だその導線。
結局、先輩は「一回見積もりだけね」と笑うご夫婦に、さりげなく次回の来店日を押さえた。俺にはできなかったことを、軽々と。
デスクに戻る途中、鬼山課長が商談ブースから出てきた。
低い声で話すだけで、空気が締まる人だ。角は迫力満点だが、雑談の達人でもある。
「課長、さっきのお客さん、どうでした?」
「来週、親父さん連れて来るそうだ。農機具の話、わしは詳しくないが、“土”の話は盛り上がる」
土の話。車の話じゃないのか。
課長は、俺の顔を一瞥して、短く言う。
「佐藤。説明は上手い。だがな、客は“正解”を聞きに来てるだけじゃない。お前の顔を見に来るようにせえ」
顔を見に来る?
喉の奥がつっかえる。言葉は刺さるのに、意味が掴めない。
昼過ぎ、整備ブースに書類を届けに行く。
スケルトンたちは相変わらず寡黙で、整った骨の手つきでタイヤを外し、ローターを測り、規定トルクで締める。カラカラ、コトン。骨どうしが触れる微かな音が、何故か妙に落ち着く。スケル班長が小さく頷いて、ペンを骨指で器用に挟み、受領印を押した。
彼らには暑さ寒さが関係ない。夏の熱気に顔をしかめるのも、冬の冷気に震えるのも、人間――俺だけだ。ふと、嫉妬にも似た感情がのぼる。
夕方。アポなしでふらっと寄った年配の男性に、俺はまた“完璧な説明”を披露した。
安全、燃費、価格、税金、保険――準備した台本をミスなく読み上げるように。男性は感心した顔で何度も「勉強になるよ」と言い、最後にこう言った。
「ありがとう。ちょっと、孫に聞いてみるよ」
違う。そこじゃない。
分かっているのに、止められない。台本は俺を裏切らない。だが客の心を、一度も連れてきてくれない。
閉店後、数字の集計が貼り出される。
横一列に並んだ社員の名前。そこに赤い印で「成約台数」が書かれる。俺の欄は、今日も空白。三か月連続で、空白。
胃が、焼ける。
そのときだった。
「――佐藤」
店内のざわめきが、すっと引いた気がした。セリア店長の声。振り返ると、いつもの完璧な微笑みはそこになく、無表情に近い横顔がある。
「裏へ来い」
「は、はいっ!」
背筋が凍る。足は勝手に喫煙所へ向かっていた。
怒鳴られる。間違いない。いや、怒鳴られるだけならまだいい。今日、ここでクビを宣告されても、おかしくない数字だ。
喉が渇く。手が震える。ポケットの中で、未成約の見積書がカサリと音を立てた。
店舗裏の喫煙所。薄暗い外灯の下、アルミの灰皿がひとつ。
セリア店長は無言でタバコに火をつけ、白い煙を夜気へ吐き出す。パチ、とライターの火が消える音がやけに響いた。
「……三か月。まだ、ゼロか」
「す、すみません」
「謝罪は客にするものだ。ここで必要なのは、次に繋がる答えだ」
冷たいようで、熱い。
その声に、これまでの三か月が一気に喉までこみ上げてくる。言い訳はしない、と決めていた。だけど、言いたいことは山ほどある。どうして、俺は売れないんだ。どうして、こんなに知っているのに、届けられないんだ。
セリア店長は、ふっと視線を外し、灰皿に灰を落とした。そして、俺の正面に立つ。
「――我々は自動車ディーラーで働いてはいるが、車を売っているのではない」
言葉が、空気を変えた。
「我々自身を、売っているのだ」
胸の奥で、何かが弾けた。
意味は、すぐには掴めない。だけど、この三か月で初めて、台本の外にある言葉を聞いた気がした。
店長はタバコをもみ消し、踵を返す。
「明日、開店前にもう一度、ここへ来い。話はそれからだ」
「……はい!」
背中がショールームの方へ消えていく。
取り残された喫煙所で、俺はしばらく立ち尽くした。オイルの匂い、レンチの音、夜風。骨のように軽い何かが胸の中でカラカラ鳴って、やがて静かになった。
――明日こそ、何かが変わる。
そう信じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます