小さなループループ美術館 ~異変があれば右の扉、なければ左の扉へ~

回道巡

「1」

 ミサキは部屋に入ると同時に顔をしかめた。

 

 「同じ……部屋?」

 

 入ってすぐに目に入るのは正面の壁に掛けてある大きな絵画。薄く微笑む女性が暗い場所に立っている油絵で、芸術に疎いミサキにはこれがどの時代の画風なのかはわからない。しかしやけに精緻な彫り物をしてある額縁にいれてあるからには、きっと高価な物なのだろうということだけは察せられた。

 そして芸術的な物がもう一つ部屋には置かれている。中央に陣取る台座の上に設置された真っ白な磁器の壺だ。ガラス張りのケースになっているわけでもなく、本当にぽんと置かれているような状態を見ると、なんだかミサキの方が不安になってくる。

 

 「美術……館?」

 

 ミサキから見て右前方の、絵画の脇に控えるような位置の壁沿いに立っている人物をうかがい見るようにしつつ呟く。服装から推測すると、その人は警備員にしか見えない。絵画や壺が飾ってある部屋にそんな恰好でいるのだから、状況という点でもやはり警備員と考えるのが妥当だと思えた。

 だからミサキは声を掛けるような、あるいは聞こえる前提の独り言のような、そんな声量で呟いたのだったが、やはりその警備員は「…………」と返すばかりだった。

 

 「あの……おじさん?」

 

 今度は意を決したミサキが、完全に話しかける体で声を出す。左の手の平を見せて左右に揺するような仕草までしているのだから、これで反応がないのであれば、この警備員は意図的に無視しているか目を開けたまま眠っているのかのどちらかだろう。

 

 「無視、です……か」

 

 やはりというべきか、警備員は目線をミサキの方に向けることすらしなかった。完全なる無反応だ。気恥ずかしいような気分になったミサキが拗ねたように言葉を重ねたが、ため息の一つも吐いてはくれない。

 

 「やっぱり同じ部屋だ」

 

 そしてミサキはもう一度この言葉を繰り返した。部屋の中にある物、立っている人もこの部屋へ入ってくる前にいた部屋と同じなのだった。

 さらにいえばもう一つ同じ部分がある。それは入ってきたのとは別に扉が二つあることであり、それらは左右に配置されているということだった。

 

 「えぇっと……」

 

 腕組みをしたミサキが頭の中で状況を整理する。

 すぐ背後には部屋に入ってきた扉。正面の壁には絵画と、その脇に立つ警備員。左右の壁にはそれぞれ扉がある。そして部屋の中央には台座の上に白磁の壺がある。

 目立つ部分はそれくらいで、後は正面の壁の警備員がいるのとは逆側に消火栓があったり、右の壁の上の方には通気口があるくらいだった。

 

 一つ前の部屋に立っていたミサキは、どうやってそこへ辿り着いたかの記憶がなかった。気付けばそこに立っていて、ただ背後の扉から入ってきたのだということだけはわかった。

 警備員もなにも教えてくれないどころか、頬を叩くまでしても反応すら無かったし、混乱のままに右の扉を通って気付けばまた同じ見た目のこの部屋へと入っていたということなのだった。

 どうすればいいのかわからない。そんな感情が喉の辺りから徐々にせり上がってきて、液体に変わって目から流れ出そうとしていたところで、ミサキは俯いていた視界の端に動くなにかを捉えた気がして、はっとして顔を上げる。

 

 「ひっ……!」

 

 それに気付いた時、ミサキは驚いて息を詰まらせた。というのも、じっと対角線上の部屋の角を見つめるばかりだった警備員が、いつの間にかこちらを見ていたからだ。明らかに視線がこちらを向き、微動だにせず固定されている。

 

 「な、なにか……?」

 「ここからスタートです。異変があれば右の扉へ、異変がなければ左の扉へ進んで下さい。5号室の先へと進むことができればあなたは還ることができます」

 

 急になにかの説明のようなことを言われて驚いたミサキが「は?」と言った頃には、警備員はまた部屋の角を見つめて動かない状態に戻っていた。それからは、ミサキが「もう一度だけお願い」と頼んでも「帰るってどこへ?」と聞いても、なんの反応もない。

 

 「5号室って……ってあれ? あんなのあったかな?」

 

 困って部屋を見回していたミサキは、奥側の壁の右端――つまり警備員の後ろに「1」と描かれた板があることに気付いた。透明度の高いアクリル板に少し崩れた字体で黒く描かれたその数字は、いかにも美術館に似合うデザインだな、などと感じられる。

 だがそんなことはどうでもよくて、書かれた数字こそが重要だった。

 

 「これが号室ってこと……?」

 

 疑問形で呟いても警備員はやはりなにも言ってはくれなかったが、その考えで間違いはないだろう。そしてほかにはなんの手掛かりもない以上、この板に書かれた数字が5となる部屋を目指して進むしかないのも確かだった。

 

 「異変とか言ってたけど……、違いを探せってことかな? だったらここはさっきの部屋と同じだと思うんだけど……違うのかな?」

 

 そう言いながらミサキは――

 ――右の扉へ入った→「2」

 ――左の扉へ入った→「3」

 ――入り口の扉から戻っていった→「4」

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