第21話 一色萌 - 使命感

一色萌 いっしきもえSIDE>


「おはよー、萌!」


「湊くん、おはよぉ。今日はちゃんと起きられたんだね?」


「まぁな。僕だって毎日寝坊するわけじゃないよ」


「ふふっ。これからもそうだといいんだけどなぁ」


湊くんと待ち合わせをして、わいわいと話す。この登校時間が私は好きだった。


「そういえば、しぃちゃん。今日お休みなんだって。今朝メッセージがきたよぉ」


しぃちゃんとのやり取りの大事な部分は話せない。ただ、休むことだけは湊くんに伝えた。相良くんのことを、私から言うわけにはいかない。


湊くんは何も言わなかったけれど、納得していないような、少し怖い表情で前を向いて歩いていた。私にとっては好きな登校の時間。でも最近の湊くんは、楽しそうに笑うこともなく、いつも何かに苛立っているようで。そんな顔を見るたび、胸がぎゅっとなる。


――はぁ。今日もあまり楽しいお話はできないのかなぁ。


そう思うと、茉莉ちゃんがいないのが少し寂しい。月城茉莉ちゃん。私たちの幼馴染だけど、家が少し離れているから登下校は別々になることが多い。途中で偶然会えば一緒に登校するくらいだ。おじいさんが大きな会社の会長さんで、彼女はいわゆるお嬢様。家でも習い事があるとかで忙しそうにしている。


それでも湊くんのことは気になるみたいで、休み時間やお昼は一緒にいることが多い。もちろん、小学校から一緒の私やしぃちゃんとも仲良しだ。


十字路を曲がり、学校へ向かう私の後ろから、誰かがついてきている気配がした。後ろをチラリと見ると、しぃちゃんのことで気にしている相良くんの姿があった。


――あっ。


相良龍二くん。


私は彼とまともに話したことがない。人となりも知らない。ただのクラスメイト。赤の他人といっていい。


でも、最近はなんとなくしぃちゃんを取られてしまった気がしていた。二人で会っているところを見たわけじゃない。けれど、しぃちゃんの態度を見ればなんとなく察してしまう。


この間だって、相良くんと真昼ちゃんが付き合ったって聞いたとき、あんなに大きな声をあげて取り乱していた。今日のメッセージだって、多分泣いて目が腫れてしまって、学校に来られる状態じゃなかったんだろう。そんな推測を私はしていた。


――付き合ったって噂を聞いて泣くくらいだもん。相良くんに、酷いことでもされたのかなぁ…。


そんな考えが頭をよぎったとき。


「なぁ、萌~」


湊くんに声をかけられた。


「今日、椎奈休みなんだろ?」


「うん。今朝、しいちゃんからメッセージきて。風邪じゃないから大丈夫だって」


私が答えると、湊くんは不満そうに眉をひそめた。


「そっか。前まではグループに連絡くれてたのにな。なんで僕には何も言わないんだろ。最近、あんま話もしてくれないし、遊びにも行けてないし」


「わからないけどぉ…。男の子には話しにくいことなのかも?」


「幼馴染の僕に、話しにくいことなんてあるわけないだろ。萌のくせに、適当なこと言うなよ」


――萌のくせに、かぁ…。


胸がちくりと痛んだ。私だって、しぃちゃんと同じ幼馴染なのに。私だけじゃ湊くんはダメなのかなぁ?


「もう。湊君。幼馴染でも、私たちもう高校生なんだよぉ?女の子だし、色々あるんだよ」


「ちっ。わかってるよ!」


乱暴な舌打ち。思わず身がすくんだ。


「……ごめん、湊君」


涙が出そうになったけど、こんなことで泣いたら面倒くさい子だと思われてしまう。必死に堪える。その時だった。後ろから、湊くんを射抜くような視線を感じたのは。



校舎に入り、下駄箱で靴を履き替えて階段を上ろうとしたとき。


「あっ、そうだ。大丈夫かどうか、茅野にメッセージ送っておくか」


相良くんの独り言が耳に入ってきた。隣の湊くんの顔をふと見ると、大切なおもちゃを奪われた子どもみたいな、焦燥と絶望が入り混じったような表情をしていて、その顔が強く印象に残った。


「……」


「湊くん……どうしたの?」


「……なんでもない」


そう言うけれど、絶対になんでもなくなんかない。そんな顔をしていた。


階段を上りきり、教室へ向かう廊下を歩く。前方には、少し不良っぽい男子生徒が3人。彼らは私の後方を見て、いやらしくニヤニヤ笑っていた。嫌な感じがしたけれど、面倒事を避けるために教室側へ身を寄せ、3人に触れないように通り抜けようとする。湊くんも下を向き、ビクビクした様子で道を空けていた。


何事もなく通り過ぎられるかと思った、その瞬間。


ドコッ。


大きな音がして、私は反射的に後ろを振り返ろうとした。だが、その瞬間、背中に衝撃を受けて前方へ倒れ込んでしまった。


「萌!?」


湊くんの声が聞こえる。衝撃で頭が真っ白になったけれど、ぶつかってきた誰かが私の体と頭を優しく包み込んでくれるのを感じた。安心感と、恥ずかしいけれど固い筋肉の感触があって…。これは湊くんじゃない、と私は確信していた。


薄く目を開けると、目の前には私の無事を確かめるように安堵の表情を浮かべる相良くんの顔。とっさのことに、私はただ茫然とするしかなかった。正直に言えば少しドキドキしていた…。


そのとき、再び。


ドコッ。


何かを叩く、蹴るような音が響いた。私は悟った。相良くんが3人の生徒に蹴られて、今の状況になっているのだと。次の瞬間、相良くんの優しい表情が鬼のような形相に変わった。怖くなって目をぎゅっとつむったけれど、薄目を開けて見たときには、金髪の男子生徒に襟をつかまれていた。


――大変だ。ケンカになる。


そう思った瞬間、相良くんは相手の太ももを思い切り蹴り飛ばし、よろめいた相手の髪をつかんで、底冷えするような声で告げた。


「……おい、二度と絡んでくるな。次はねーぞ」


相手は蒼ざめた顔でがくがくとうなずき、仲間を引き寄せるようにして一目散に走り去った。



静寂が戻る。


「お、おい!萌!いくぞ、早く!」


「え……やだ、湊君。い、いたっ。痛いよ……ひっぱらないでぇ」


湊くんに無理やり腕を引っ張られて起こされる。本当に痛かった。私は幼馴染である前に、ひとりの女の子なのに。好意を寄せているはずの湊くんの手に、少し嫌悪感を覚えてしまった。そんな複雑な気持ちを抱えたまま、私は湊くんに腕を引かれて教室へと連れていかれる。



その後も衝撃の光景が頭から離れず、湊くんの言葉も上の空で、一人考え込んでしまった。


――もしかしたら、相良くんはひどい不良なのかもしれない。不良みたいな三人を相手に、あんな態度を取れるなんて。確かに私を守ってくれたのは頼もしかったけどぉ……でも暴力は絶対によくない。私は暴力を認めない。


――もしかすると、しぃちゃんも相良くんといるとき、不良に巻き込まれてひどい目に遭っているのかもしれない。


――それに真昼ちゃんのこともある。しぃちゃんに何か酷いことをしたのかもぉ。だから私がしぃちゃんを守らなきゃ!相良くんに直接、確かめなくちゃ!


今振り返れば独りよがりな思い込みにすぎなかったのだけど、そのときの私は強い使命感に駆られて、相良くんと話すことを心に決めていた。

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