第34話 観測者(Observer)仮説

 翌朝。

 まだ陽も昇りきらない時間、街は灰色の霧に包まれていた。

 冷たい空気の中を歩きながら、セレスはギルドへと向かう。

 昨日の調査で得られた情報はわずかだったが――その“違和感”だけは、確信へと変わりつつあった。


 ――魔導水晶。


 それが、この世界を動かしている“鍵”だ。


 通りはひんやりとした霧に満たされ、街路灯の明かりが淡く揺れている。

 だがその光は、ただの炎ではなかった。

 セレスの瞳に映るそれは、どこか人工的な青色――冷たい、計算された波長。


(……やっぱり。魔力の灯りじゃない。これは……情報の光。通信の残滓みたい)


 彼女の中で、ひとつの仮説が膨らむ。

 この世界そのものが“生きている構造体”だとしたら?

 誰かが、あるいは“何か”が、都市の隅々まで監視しているとしたら――。


 ギルドの扉を押し開けると、内部はすでに多くの冒険者で賑わっていた。

 受付に並ぶ者、依頼書を確認する者。誰もが「生きるための仕事」を探している。

 その中央に、昨日見たあの魔導水晶が鎮座していた。


 高さは人の背丈ほど。透き通るような輝きに包まれ、内部では光の筋が血管のように流れていた。

 脈打つように明滅するその光は、まるで生きている心臓の鼓動だった。


「おはようございます、セレス様」


 受付に立つミーナが小さく頭を下げた。

 いつものように柔らかな笑みを浮かべているが、その目にはうっすらとした緊張が見えた。


「昨日はすみませんでした。あれから、少し資料を探してみたのですが……やはり、詳しい記録は見つかりませんでした」


「ありがとう。調べてくれただけでも十分だよ」


 セレスは微笑み返し、静かに魔導水晶へと歩み寄る。

 彼女の足取りに、ミーナは不安そうに目を細めた。


「大丈夫。干渉はしないよ。ただ、観察するだけ」


 杖の先に灯りをともすと、青い光がわずかに応えた。

 結晶の奥に、幾何学的な文様が浮かび上がる。

 絡み合う線、脈動する円環。

 それは魔法陣ではない。むしろ、“回路”と呼ぶ方がふさわしかった。


(流れを制御しているんじゃない……記録してる? まるで、情報を同期させてるみたい)


 思考が繋がり、呼吸が浅くなる。

 脳裏に浮かぶのは、かつてのゲーム時代にあったインターフェース――データベース、同期処理、管理サーバ……。


 セレスは唇を噛み、低く呟いた。


「もし私の感覚が正しいなら……この水晶は単なる倉庫管理のためのものじゃない。――この世界全体の“記憶媒体”なんだと思う」


「……記憶、ですか?」


 ミーナが震える声で問い返す。

 セレスは頷き、静かに言葉を続けた。


「物の位置、価値、名前、数量。……もしかしたら、人の記憶や存在情報まで、全部ここに記録されているのかもしれない」


 その瞬間、ミーナの顔色が変わった。

 手の甲が小刻みに震え、青ざめた唇がかすかに動く。


「そ、そんな……そんな大層なものを、私たちが毎日、気軽に使っているなんて……」


「だからこそ、調べる価値があるんだ」


 セレスの声には静かな熱がこもる。

 彼女の視線は結晶の奥、光の流れる方向へと吸い込まれるようだった。


「もしこの仕組みが壊れたら――この街の人たちは倉庫の中身だけじゃなく、“自分の存在”さえ失うかもしれない」


 その一言に、ミーナの肩がびくりと震える。

 彼女の瞳の奥で、一瞬だけ青い光が閃いた。

 それは反射ではない。何かが“内部から”応じたような、微かな脈動。


「……セレス様、わたし、少し頭が……」


 ミーナは額を押さえ、よろめいた。

 セレスは咄嗟に肩を支える。


「大丈夫? 魔力の反応じゃない……これは、記憶への干渉?」


「いえ……すみません。なんだか急に、昔のことを思い出そうとしたら……」


 その言葉に、セレスの背筋が粟立つ。

 “記憶を思い出そうとしただけで痛む”。――偶然のはずがない。


 セレスは息を呑み、彼女の目をまっすぐに見た。


「無理しないで。ありがとう、ミーナ。……もう十分だよ」


 だが、ミーナは小さく首を振る。

 涙を浮かべながら、それでも言葉を紡いだ。


「でも……セレス様。私……“生まれてからずっとこの街にいた”はずなのに……最近、夢を見るんです」


「夢?」


「はい。見たことのない景色、知らない街、そして――“天の塔”と呼ばれる、光る柱のある場所を」


「……天の塔」


 その名を聞いた瞬間、セレスの心臓が跳ねた。


 ――その名を、彼女は覚えている。

 実装予定の最終ダンジョン。開発者が“管理領域”と呼んでいた未実装コンテンツ。

 誰も到達できなかった、世界の終端。


 ミーナが震える声で続ける。


「その夢を見るたびに……誰かに“見られている”気がするんです」


 沈黙。

 青い光が、脈を打つようにゆっくりと明滅した。


「……ありがとう、ミーナ。その話は、とても大事だよ」


 セレスは立ち上がり、水晶へと向き直る。

 杖を構えた瞬間、青い結晶の奥で光が走った。

 空気が波紋のように震える。


「今……反応した?」


「な、なんですか今の……」


 怯えるミーナを庇いながら、セレスは一歩前に出る。

 杖の先が微かに震え、光が呼応する。

 その様子は、まるで“観察されている”ようだった。


 青い輝きが一瞬、彼女の輪郭をなぞる。

 温度のない視線が、皮膚の下を這うように通り抜けていく。


(……やっぱり。見てる。この世界のどこかに、“観測者”がいる)


 恐怖ではなかった。

 セレスの胸に芽生えたのは、明確な興奮――未知の仕組みを暴く者としての、理知的な熱。


(もしこれが意識を持つ存在なら……話ができる。

 あるいは、交渉も――戦うこともできる)


 彼女は杖を強く握りしめ、深く息を吸い込んだ。

 霧の向こう、青白い光が遠くで瞬く。

 その光は、まるで彼女の決意に呼応するように――穏やかに、脈動した。


 ――この世界の意思が、確かに動いていた。


***


 セレスは拠点に戻り、机の上に紙を広げた。

 魔導水晶の構造、光の周期――記憶を頼りに詳細を書き起こしていく。

 描かれた線は、どこか血管を思わせる形をしていた。

 中枢から伸びる枝が、街の通りと一致している。

 まるで、この街全体が“生きている器官”の一部であるかのように。


 そう知覚した瞬間、背筋が冷たくなると同時に――知りたい、という衝動が湧き上がる。


 夕方、仲間たちが集まる工房街の食堂でセレスは資料を広げ、淡々と語り始めた。


「――ギルド倉庫の魔導水晶は、街全体の情報を同期している。

 物資だけじゃなく“人間の状態”すら記録されている可能性があると私は考えてる」


「人間の……状態?」


 カイが目を瞬く。

 セレスは頷いた。


「魔力の波長、生命の反応。あの水晶がそれを“観察”しているように感じた。

 ミーナは“夢を見る”と言っていた――見たこともない場所、“天の塔”という名の光る柱を」


「夢の話を証拠にするのはおかしいだろ」


 アルディスが腕を組む。

 その声には、どこか戸惑いが混じっていた。


「確かに不思議なことは多い。けど、今のところは生きていけてるんだ。街も、人も、動いてる。……お前、少し疲れてるんじゃないか?」


 セレスの声がわずかに強まる。


「“この世界が生きている”なら、それはどういう状態なのか知らないとまずい。

 不測の事態が起きた場合に全部が終わってしまうかもしれない」


 その言葉に、リオナが苦笑を浮かべた。


「終わるとか言われてもね……。私たち、今を生きるだけで精一杯よ」


 ヴァレリアも同調するように肩をすくめる。


「セレスの言ってることは理解できるけど、あんまり難しく考えすぎると危ないよ? みんなの士気も下がる」


 リリィは不安げに見上げた。


「……セレスさん、そんなに怖いんですか? この世界が」


 セレスは言葉を詰まらせた。

 仲間たちは、すでにここでの生活に“現実”を見つけ始めている。

 修復される街、再び灯る炉、笑い合う人々――確かに希望があった。

 だが、セレスにとってそれも恐ろしい。


(……希望の形が、あまりにも整いすぎている。誰かが“理想の現実”を描き直しているような不自然さを感じる)


 だがそれを言えば、皆を不安にさせるだけだ。

 セレスは静かに笑みを作った。


「ごめん。少し考えすぎかもしれないね。……ただ、備えておきたいだけなんだ」


 場の空気がようやく和らぎ、会話が別の話題へと移っていく。

 それを確認して、セレスはそっと席を立った。


 拠点の一室で、セレスはひとり机に向かっていた。

 薄いロウソクの灯りが揺れ、ノートの上に影が踊る。

 周囲が静まり返る中、心の中で言葉が繰り返される。


(みんなは“ここが現実になった”と信じ始めている。

 でも違う。これは、現実を模した“何かの世界”でしかない)


 倉庫の魔導水晶を思い出す。

 あの光は単なる魔力ではない。

 人々の魔力の流れを、常に観測し、同期していた。

 まるで、心臓から血液を送るように。


(私たちは、この世界の“血液”なのかもしれない。

 そして、それを循環させる何者かがいる)


 セレスはペンを取り、紙の端に記した。


 ――観測者(Observer)仮説

 ・世界の根幹に、情報を観測・維持する存在がいる。

 ・倉庫魔導水晶は、その神経節にあたる。

 ・NPCは独立した人格を持ち、既にシステムから切り離されている。

 ・しかし“観測される側”として存在を維持している。

 ・我々プレイヤーも例外ではない。


 書き終えたペン先が震える。

 その時、窓の外で風が鳴った。

 夜空には、かすかに青い光の筋――まるで、天の塔から伸びる“通信”のような輝きが見えた。


「……やっぱり、目指さないわけにはいかないかな」


 誰かのため息のように、風が室内を抜けていく。

 セレスはゆっくりと立ち上がり、窓を開け放った。


 冷たい夜気の中で、金の髪が揺れる。

 彼女の瞳は、まっすぐ空の一点――青く瞬く光へと向けられていた。


「もし、あなたが“この世界”そのものなら。

 私は、あなたに会いに行く。話をしよう。

 ――あなたが神でも、機械でも、私たちを”作った”何者でも」


 杖を握りしめ、静かに呟いた。


 その声が夜に溶けた瞬間、

 遠くの空で、ひときわ強い青光が――確かに瞬いた。

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