第33話 “世界”の違和感

 工房街の朝は、いつもより静かだった。

 昨日の小騒動で気が抜けたのか、皆がどこか柔らかい表情をしている。

 アルディスは炉の前で職人たちと図面を広げ、ヴァレリアは戦闘班の訓練に顔を出し、リリィは食堂で朝食の手伝いをしていた。

 カイとガルドも連携訓練に出ており、珍しく拠点の中央にはセレスひとり。


 焚き火の煙を見つめながら、セレスは小さく呟いた。


「……やっぱり、何かがおかしい」


 それは“僕”の理性がずっと引っかかっていた感覚だった。

 この世界は、確かにゲーム《エターナル・クエスト》の構造を踏襲している。

 スキルの構文、魔法の詠唱、アイテムの分類――どれも見覚えのあるルールに基づいて動いている。

 だが、決定的に違う部分がある。


 ――“システム”が、見えない。


 倉庫は生きている。

 ギルドカードも機能する。

 だがそれを支える「管理者」や「サーバー」といった概念が、すっぽり抜け落ちていた。


 ゲームならば、システムメッセージが表示され、ログが残る。

 だがこの世界では、“上”が見当たらない。

 NPCたちは明確に「自我」を持ち、人間として生活している。


 昨日、鍛冶場の老人NPCが孫の話をしていた。

 子供が熱を出しただの、妻に叱られただの――それはあまりにも「現実的」な会話だった。


 セレスは長衣の袖を握りしめた。

(……あの“倉庫の魔導水晶”も、単なるUIじゃない。あれが動いているなら、この世界の“情報”を扱う何かがあるはずだ)


 この世界の根幹。

 それを知ることが、生存の鍵になる――そんな確信があった。


 昼前、セレスは仲間たちを集めた。

 地図とメモを広げながら、淡々と口を開く。


「――ギルドを通じて、倉庫や魔導水晶の仕組みを調べてみたいと思うの」


「調べるって……何をどうやって?」


 リオナが首を傾げる。

 セレスは指先で机上の線図をなぞった。


「まずは倉庫。魔導水晶がどこに設置されているか、都市間でどんな通信しているのかを確認する。

 それから、ギルドがどうやって“本人確認”をしているのか――あの魔力認証、ただの魔法とは思えない」


「なるほどな」


 カイが腕を組む。


「でも、あれって普通に機械的に動いてるように見えるぞ。NPCが入力してるわけでもないし」


「だからこそなんだよ」


 セレスは真剣な声で返す。


「彼ら自身もそれを“使っているだけ”に見える、仕組みを理解していない可能性が高いんじゃないかな。

 ――つまり、管理側はもう存在していないのかもしれない」


 その言葉に、一同の表情が固まる。

 ガルドが低く唸るように言った。


「じゃあ……この世界を動かしてるのは、誰なんだ?」


「分からない。でも、何かが動いているのは確かだよ。

 インベントリが使えなくなった代わりに、倉庫が“生命線”として残された。あれは偶然じゃないんだと思う」


 リリィが不安げにセレスを見上げた。


「セレスさん……怖くないですか? そんなの、調べたら……」


「危ないことをするつもりはまだないよ。ただ、“知りたい”だけ」


 穏やかな笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には強い光が宿っていた。

 ――知識こそ、武器だ。

 この世界が何であれ、理解できれば対処できる。


 ヴァレリアが椅子の背にもたれ、ため息をついた。


「ほんと、あんたってとことん調べないと気が済まないよね。まあ、止めても無駄そうだけど」


「うん」


 セレスは苦笑した。


「少なくとも“僕”がここにいる限りはね」


 午後、セレスは単身でギルドへ向かった。

 街の中心部に建つギルド本部は、修復がほぼ完了していた。

 内部では、見慣れた受付カウンターと、淡い青光を放つ魔導水晶が並んでいる。


「――ようこそ、ギルドへ」


 受付の女性――ミーナが微笑む。

 人懐こい笑顔。以前と変わらぬ丁寧な口調。

 その眼差しの奥には、確かな“意思”があった。


「こんにちは。少し、倉庫の魔導水晶について質問してもいいかな?」


「え? 魔導水晶……ですか?」


 ミーナは目を瞬かせ、困ったように首を傾げた。


「はい。ギルド倉庫と、他都市の倉庫。あれは、どのように繋がっているのか知りたくて」


 セレスの真剣な声に、ミーナの笑顔が一瞬止まる。

 まるで“触れてはいけない何か”を聞かれたような沈黙が流れた。


「……申し訳ありません。その部分は、私どもにも分からないのです。

 倉庫の魔導水晶は、ギルドが設立されたときから存在しておりまして……どうやって動いているのか、古い記録にも残っておりません」


「古い記録、ということは……あなたたちは、それを“受け継いでいる”立場?」


「はい。私も子どもの頃からギルドに出入りしておりまして……研修を経て今の職につきました」


 ミーナは少し照れくさそうに笑う。

 その仕草が、あまりにも“人間的”だった。


(……やっぱり、そうか)


 セレスの胸の奥で、確信が形を取る。

 この世界のNPCたちは、もう“システムの端末”ではない。

 生まれ、育ち、仕事を選び、過去を持つ――それは、完全に独立した存在だった。


 つまり、彼らは管理者ではない。

 では、誰がこの世界を維持しているのか?

 倉庫を動かす“仕組み”だけが、残されている。


 ――まるで、魂の抜けた――


 セレスは深く息を吐いた。

 そして、受付のカウンター越しに穏やかに微笑む。


「ありがとう、ミーナ。少し整理できた気がするよ」


「い、いえ……お役に立てず、すみません」


「ううん。あなたが“分からない”って言ってくれたことが、大事なんだ」


 セレスは踵を返し、青い光に包まれた魔導水晶を一瞥した。

 その光は、静かに脈動を続けている。

 ――まるで、意志なき心臓の鼓動のように。


(もし、これが自動で動いているのなら。

 “誰が”ではなく、“何が”世界を動かしているのか――調べる価値がある)


 そう心に刻み、セレスは静かにギルドを後にした。


 調査の第一歩は、確かに始まった。


***


 ギルドを出たあと、セレスは通りの端で立ち止まった。

 遠くから子どもたちの笑い声が聞こえる。

 崩れた街角で、NPCの少女が花を売り、男が屋根を修理し、兵士たちは行き交う人々を警備している。


 ――それは、完全に“生きた街”の姿だ。


 だが、その光景を見つめるセレスの瞳には、静かな戦慄が宿っていた。


(……これは、“世界”が勝手に動いているんじゃない。

 誰か――あるいは何かが、意図的に“再構築”してるのかもしれない)


 元のゲーム《エターナル・クエスト》において、NPCは単なる”スクリプト”だった。親切な言葉も、家族の話も、プレイヤーを導くための装飾にすぎなかった。

 だが今、目の前の彼らには「記憶」がある。

 子どもの頃の夢、職を選んだ理由、好きな食べ物――細部まで破綻がない。


 ――まるで、最初から人間だったかのように。


 セレスはギルドの石段に腰を下ろし、手のひらに魔力を集中させた。

 微かな光が浮かび、杖の宝珠が淡く揺らめく。

 視界に浮かぶのは、魔法式の構文。

 術式の根底に流れる“情報の層”――いわば、この世界のコードの断片。


(……やっぱり、何かが違う)


 魔力を流し込む感覚は、ゲームのときのような“クリック”ではない。

 そこには確かに、質量と抵抗と熱が存在しているように感じた。


 セレスは目を閉じ、深く息を吸った。


(仮に――この世界が完全に再構築された現実なら。

 どんなに都合のいいシステムでも、メンテなしであればいずれ“崩壊”する)


 それが恐ろしかった。

 NPCが本当の人間になったのなら、彼らも老いて死ぬ。

 だが、倉庫の魔導水晶だけはゲームの時と同じく動き続けている。

 まるで“この世界の維持装置”であるかのように。


(システムが崩れたら、私たちもどうなる? ――消える?)


 思考の端に、冷たい予感が走る。

 仲間たちが過ごしている今この瞬間にも、見えない“終わり”が近づいているかもしれない。


 夕暮れ。

 拠点に戻ったセレスは、鍛錬場で魔法陣が幾重にも展開する。

 その中心で、彼女は汗を流しながら詠唱を続けていた。


「――圧縮率、三十パーセント……くらいかな?」


 彼女の足元では、地面が微かに焦げている。

 高出力魔法の訓練。

 魔力の流れを定量的に制御する練習。


 目的はただ一つ――“万が一”のときに、誰よりも強く在ること。


「……セレス、また無茶してるな」


 背後から聞こえたのはアルディスの声だった。

 大きな影が近づき、汗を拭うセレスを見下ろす。

 彼は苦笑しながら水筒を差し出した。


「休めよ。最近、寝てないだろ」


「大丈夫。まだいけるから」


「“まだいける”は、限界の一歩手前の言葉だぞ」


 セレスは答えず、水を口に含む。冷たい液体が喉を落ちていく。

 アルディスはしばらく沈黙し、やがて静かに尋ねた。


「……なあ、何をそんなに焦ってる?」


 その問いに、セレスは杖を見つめたまま答えた。


「この世界、とてもおかしいんだ」


「おかしい?」


「そう。人も街も、歴史も、全部“繋がってる”。でも、その裏側を動かす仕組みだけがない。……まるで、魂のない体みたいに」


 アルディスの表情が曇る。

 セレスは淡々と続けた。


「このまま“維持された仕組み”が止まったら、どうなると思う? 倉庫も、水晶も、魔法も全部消えるかもしれない。

 この世界そのものが、崩壊する可能性すらあると思ってる」


「……そんな仮説、信じたくはねえな」


「私もそうは思いたくないんだけどね。――でも、私は臆病なんだ」


 セレスの声は静かだが、底に熱がこもっていた。

 アルディスはしばらく考え込み、やがて深く息を吐く。


「わかった、調査は任せる。けど、倒れるなよ。お前が倒れたら、その……みんな困る」


 その言葉に、セレスはかすかに笑った。


「ありがとう。でも、止まってしまう方が怖いんだ。

 “私たちが今、生きてる理由”を見失ったまま過ごす方が――ずっと」


 その瞳には、恐怖ではなく決意が宿っていた。

 それは、かつて廃人プレイヤーとして積み上げた“探求”の炎。

 未知を恐れるより、理解したいという執念。


 夜。

 セレスは机に広げた紙に、魔導水晶の構造を書き写していた。

 ギルドで見た断面図を記憶から再現し、魔力の流れを数式に置き換える。

 その横には、手帳の端に書かれた小さな一文があった。


 ――「もし世界が壊れるなら、それを知ってから共に壊れたい」


 ペンを置き、彼女は目を閉じた。

 瞼の裏に浮かぶのは、仲間たちの笑顔。

 そして、その向こうに広がる――得体の知れない“真実”の影。


(この世界を理解できれば、守れるかもしれない。

 理解できなければ飲み込まれるだけ、そんなのはごめんだ)


 セレスは再びペンを握り、迷いなく書き続けた。

 焚き火の明かりに照らされた横顔は、確かに――理想の魔法師そのものだった。

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