第24話 布に刻む魔法陣

 瓦礫に囲まれた路地裏に、小さな焚き火が燃えていた。

 煙は夜風に流され、火花がぱちぱちと跳ねる。

 セレスは杖を膝に立てかけ、黙り込んでいた。

 額にはうっすらと汗が浮かび、炎に照らされた横顔には、疲労と、それ以上に重い思索の影が漂っていた。


 その横で、アルディスが無骨な両手を広げ、火にかざす。

 煤の入り込んだ指先は、剣士のものではなく職人の手。

 荒々しさと同時に、どこか落ち着いた空気を纏っている。

 生産職を中心に活動してきた彼ならではの風格だった。


「……お前の魔法、見ていて思ったんだがな」


 アルディスが口を開いた。


「既存の詠唱をいじって、新しい効果を出したろ。あれは……普遍的な改造って考えてよいやつか?」


 不意の問いに、セレスは目を瞬かせる。

 焚き火の光が金の髪を揺らし、その瞳の奥にわずかな緊張が走った。

 だがすぐに呼吸を整え、頷く。


「うん。詠唱と魔法陣の工程を分解して、別の構造を組み込んだ。追尾や粘着を、火球の発生に上乗せして……結果は、見た通り」


「なるほどな……」


 アルディスは太い腕を組み、顎を掻く。


「つまり、元々の“完成品”の魔法を、部品ごとに分解して組み直せるわけだ」


「そういうこと。……間違えれば危険もあるけど、価値がある挑戦だと思う」


 しばし沈黙が落ちた。焚き火の明かりに照らされた二人の影が、路地の壁に揺れる。やがてアルディスは、ふっと口角を上げた。


「なら……新しい”もの”を作ることも、できるんじゃないか?」


 その言葉に、セレスは息を呑んだ。

 ――既存の魔法の改造だけでなく、“存在しなかったもの”をゼロから創り出す。

 その発想は、自分の中でうっすら考えてはいた。だが、口に出すと同時に現実味を帯びる。


「新しい……もの」


 セレスは呟き、胸の奥に灯る熱を自覚した。


「考えてみろ」


 アルディスは指先で瓦礫を拾い上げ、火にかざしながら言葉を続ける。


「俺たちはインベントリを失った。倉庫は街にあるが、手元で持ち歩ける便利さは消えた。冒険者にとっては致命的だ。なら――代わりになる“袋”を作ればいい」


「袋……」


 セレスの脳裏に、即座に魔法陣の図形が浮かぶ。

 収納を拡張する空間魔法。重量を軽減する術式。開閉を認証する封印式。

 いくつもの工程が頭の中で線を結び、可能性が見えてくる。


「でも、それって……かなり複雑になるよ。空間操作、封印、魔力供給……一つの陣に押し込めば、威力が落ちるどころか暴発の危険だってある」


「だからこそだろう」


 アルディスは笑い、拳で掌を叩いた。


「お前が分解して“工程”として扱えるなら、それぞれを小分けにして組み込めばいい。袋の布地に陣を縫い付けて、重ね合わせていくんだ」


 セレスは思わず息を呑んだ。

 ――布地に魔法陣を“縫い付ける”。

 それは、彼が生産職として積み重ねてきた経験から生まれた発想に他ならなかった。


「なるほど……一枚の大きな魔法陣じゃなくて、布毎に分割する。機能ごとに小さな陣を並べて、互いに連携させる……」


 言葉にしながら、セレスの胸が高鳴る。

 できるかもしれない。

 インベントリの代替――冒険者が再び旅に出るための道具。


「……アルディス。これ、やろう。まずは試作から」


 真剣な眼差しを向けると、彼は力強く頷いた。


「おう、任せろ。布と針は俺が用意する。鍛冶場じゃなくても、縫い物くらいできるんだ。工房街の連中も巻き込めば、すぐに試せるだろう」


 セレスは杖を握り直し、深く頷いた。

 新たな目標が胸に灯る。戦いの切り札を創り出すだけではない。仲間を生かす日常の道具を――この世界に“存在しなかった”ものを、自分たちの手で生み出す。


(……これができれば。私たちの旗の下に集まる者たちに、また一つの拠り所を与えられる)


 路地裏の小さな焚き火の前で交わされたその約束は、単なる思いつきではなかった。それはやがて第三勢力を支える礎へと育つ、確かな一歩となるのだった。


***


 翌朝。

 工房街の仮設集会所には、炉の熱気とは違う熱が漂っていた。

 机の上に並べられたのは槌や鋸ではなく、布と裁縫道具。革の切れ端、銀糸の束、羊皮紙の図面。集まった仲間たちの視線は、期待に満ちていた。


「鍛冶場の炉を使うと思ってたら、まさか針と糸とはな……」


 ガルドが半ば呆れたように呟き、腕を組む。

 分厚い胸板に反して、その瞳には好奇心が隠しきれない色が宿っていた。


「武器を打つのも大事だが、こういう地味な仕事が生死を分けるんだよ」


 アルディスは豪快に笑いながら布を広げた。

 分厚い革布と、柔らかな布地。どちらも街の商店から買い集めたものだ。


 セレスは机の端に腰掛け、布の表面を指でなぞる。

 指先に伝わる革の硬さと布のしなやかさ。その違いが、術式の定着にどう作用するかを思考の中で計算する。


「魔力を定着させるなら、革の方がいいかも。けど重さがネックになる。布は軽いけど、魔力の通り道を維持できるかが問題ね」


 彼女の言葉に、アルディスが真剣な顔で頷いた。


「じゃあ両方試すしかねぇな。小さい袋をいくつか作って、銀糸を使って陣を縫い込んで……どれが一番安定するか確かめる」


「了解。まずは収納の基礎陣から。簡単に言えば“空間を広げる”術式ね」


 セレスは羊皮紙を広げ、ペンを走らせた。

 流れるように曲線と直線が織り合い、複雑な小陣が紙面に浮かび上がっていく。その筆先には迷いがなく、仲間たちは息を呑んで見守った。


 リオナが眉をひそめ、覗き込む。


「これ、本当に袋に縫い込めるの? 普通は床一面に刻むような魔法陣でしょう」


「縫い目を“線”に見立てて、ステッチそのものを回路にするんだ」


 セレスは落ち着いた声で答えた。


「正確に縫えれば、模様としてじゃなく、術式として繋がるはず」


 アルディスが無言で針を手に取り、試し縫いを始める。分厚い指先からは想像できないほど細やかな手つき。革に針が通るたび、かすかな音が響く。


「……器用だね」


 リリィが感嘆の声を漏らす。

 その目には尊敬が混じり、年若い少女らしい憧れがにじんでいた。


「伊達に長年ソロで生きてきたわけじゃねぇ。装備の修繕も自分でやってきたからな」


 アルディスは口の端を上げ、縫い終えた模様をセレスに差し出した。


 セレスはその上に指先をかざし、魔力を流し込んだ。

 次の瞬間、縫い込まれた銀糸が淡く赤光を帯び、袋の内部に小さな渦のような影が生じる。


「……できた?」


 リリィが身を乗り出し、瞳を輝かせる。

 セレスは小さな石を一つ取り出し、袋の口へと落とした。


 ――石は音もなく消えた。


「おお……!」


 一斉に上がる歓声。


 だがその刹那――袋の縫い目から煙が立ちのぼり、ぼすりと破裂音を響かせた。

 小石は床へ転がり落ち、布は黒く焦げ、裂け目を晒した。


「……ちっ。まだ陣が安定してねぇ」


 アルディスが舌打ちする。


「魔力の流れが分散しきれなかった。縫い目が繋がる前に“空間”が閉じちゃったのね」


 セレスは冷静に分析し、羊皮紙へ新たな修正を書き込む。

 リオナはため息をつき、肩をすくめる。


「やっぱり無茶なんじゃない? そんな小さな袋に空間を閉じ込めるなんて」


「無茶でも、やる価値がある」


 セレスは真っ直ぐに言い切った。

 その眼差しは焚き火よりも強く、仲間の胸を打つ。


「インベントリの代わりがなければ、この世界で長く活動するのは不可能だもの」


 リリィは不安げに杖を握りしめながらも、真剣な目でセレスを見つめた。


「じゃあ……私、縫い目に回復の術式を重ねてみます。少しは安定するかもしれません」


 アルディスが頷く。


「いい発想だ。失敗しても布が焦げるだけだしな。何度だって試せる」


 その言葉に場の空気が和らぎ、緊張の中にも希望が差し込んだ。

 セレスは改めて布を手に取り、羊皮紙に次の修正を描き始めた。


「今度は、収納の術式と封印の術式を別々にして縫い込む。……二重構造にすれば、暴発は防げるはず」


 仲間たちは息を詰め、その手元を凝視する。

 試行錯誤の先に待つのは、冒険者にとって命綱とも言える新たな道具。


 ――小さな袋を巡る挑戦は、やがて彼らの未来を大きく変える一歩となるのだった。

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