第2話 生き残るために必要なこと

 仲間たちは剣を下ろし、荒い呼吸を繰り返しながら、その場に腰を下ろす。

 討伐の達成感はどこにもなく、ただ互いの顔を見合わせた。

 言葉の代わりに胸の鼓動だけがうるさく響いている。


「……仲間に当たるなら、下手な攻撃できないな」


 ガルドが大盾を膝に立て、鉄の縁を指で叩きながら低く呟いた。

 その乾いた音が石造りの広間に響き、不安をさらに煽る。


「それに……怪我の感覚が、あまりにもリアルすぎる」


 ヴァレリアが頬の擦り傷にそっと触れ、苦い顔で息を吐く。


「ただのゲームなら、数字でHPが減るだけだったろ。けど今は……剣の重さが腕の筋肉に来る。汗が傷口にしみて、焼けるみたいに痛いよ」


 その言葉に、リリィの肩がびくりと強張った。

 大きな瞳がうるみ、長い睫毛がぱちぱちと忙しなく瞬く。緊張のせいか、耳の横で跳ねた癖っ毛がぴょこんと立っている。


「ちょ、ちょっと待って……」


 リリィの声がかすれ、杖を握る指先が白くなる。


「わたし……大怪我したら……もし死んじゃったら、どうなるの? もう、本当に家に戻れないの……?」


 広間の温度が下がったように感じた。

 誰も即答できない。沈黙は否定の代わりに恐怖の輪郭をくっきり浮かび上がらせる。

 ただ全員が胸の奥で同じ恐怖を抱いているのが分かった。――死が、現実に迫っている。


 ガルドが沈黙を破るように腰のポーチを探り、短く息を呑んだ。


「……インベントリが、出せない」


 仲間の視線が一斉に集まる。ガルドはもう一度、意識でウィンドウを開こうとしたが、反応は何もなかった。

 ヴァレリアも慌てて腰袋をまさぐる。取り出せるのは、現実の袋に入っていた数枚のコインといくつかの回復ポーション、乾いた携行食だけ。


「マジかよ……ゲームでは予備アイテムを取り出せたのに」


 セレスも自分のローブの内ポケットを探り、指先に触れた小さなカードを取り出した。

 ギルドカード。表面には紋章とともに、かつてUIで見慣れた簡易ステータスが刻まれていた。


「……これがステータス画面の代わりになってるのかな」


 彼女の呟きに、仲間たちはさらに息を詰める。

 インベントリは消え、手元にあるのは身に着けている装備とポーチの中身だけ―― 

 制限は、現実と変わらなかった。


 その事実が、リリィの恐怖を一層濃くした。杖を抱く腕に、力がこもる。

 

 沈黙を破ったのは、セレスだった。

 一度だけ息を整えると透き通るような笑みを形にして仲間たちを見渡した。


「大丈夫、リリィ。焦らないで、まずは事実をひとつずつ確認していけばいい」


 ――怖い。喉が渇く、手は汗で生ぬるい。

 それでも“私”は、落ち着いた女性魔法師セレスとして言葉を選ぶ。


「確認って……なにをどうやるつもりだ?」


 カイが眉間に皺を寄せ、疑念よりも“判断材料が欲しい”という色を帯びた視線を向ける。


「簡単なことからかな」


 セレスは仲間をゆっくり見渡し、ゆっくりと告げる。


「まずは攻撃の範囲と影響を調べる。威力の低い魔法や弱攻撃で、味方への当たり方を確認する。それから回復や蘇生の効果を……クールタイムや詠唱の中断条件も。ひとつずつ実験して、私たちが何に守られて、何に脅かされているのかを確かめるの」


「実験、ね……」


 ヴァレリアが背の大剣の感触を気にしながら、肩をすくめた。

 その仕草には、怖さと同じだけの“納得”が混じる。


「闇雲に突っ込んで全滅するよりは、確かにずっとマシだな」


 ガルドも喉奥に残っていた迷いを、重い呼吸とともに吐き出すように頷いた。


「……セレスの言う通りだ。仕様が変わった以上、まずは調べるしかない」


「わ、わたしも……怖いけど……」


 リリィは視線を落とし、ぎゅっと唇を結んだ。

 それでもセレスを見る目だけは逃げていなかった。


「セレスが言うなら……」


 小さな手の震えが、袖越しに伝わる。

 セレスはその手を、そっと包み笑顔を作った。


「大丈夫。私たちは仲間なんだから。ひとりで怖がる必要なんてないよ」


 リリィの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。

 意を決したように、深呼吸をひとつ。胸の前で小さく「がんばる」と呟く声は、か細いけれど確かだった。

 ヴァレリアの口元にも、かすかな苦笑が戻った。

 カイは短く息を吐き、ガルドは盾の角度をほんの少し下げる。――四人の呼吸が、ようやく同じリズムに揃っていく。


 重い沈黙のあと、全員の視線が自然とセレスへ向いた。


 仲間への攻撃が、本当に当たるのか。


 誰も言葉にはしない。それでも、胸の奥に同じ問いがこびりついているのが分かった。


 仲間たちは顔を見合わせたが、誰もすぐには名乗り出ない。

 沈黙が重くのしかかる。


 沈黙を破ったのはカイだった。

 壁にもたれかかりながら軽く手をあげる


「じゃあ、まずは俺で“ショック”を試すか」

 

「えっ、カイさんが? だめだよ、危ないよ」


 唐突な申し出にリリィが目を丸くする。

 

 カイは肩をすくめて笑う。軽薄に見えるその笑顔の裏で、真剣な決意が透けていた。


「大丈夫だって。どうせ俺は罠解除する役回りだし、痺れ罠なんざ散々かかってきた。これからも一番引っかかるのは俺だろうしな」


 その軽口に、場の空気がわずかに和らぐ。


(……リリィはどう見ても現実年齢も幼い。ヴァレリアだって口は悪いけど、中身は普通の若い女の子だ。ここで“試される役”を引き受けるのは、大人側の仕事ってこと、だよね)


 セレス――篠原悠真は、カイの目を見てそう理解した。


「……分かった。なるべく軽くしてみるね」


 セレスもカイと目が合うことで覚悟を決めた。


「お、おい、本気かよ」


 ヴァレリアが思わず口を挟む。


「痺れるだけとはいえ、相手は魔法だぞ」


 だがカイは肩をすくめて笑った。


「大丈夫だって。ちょっと痺れるぐらい、寝不足の仕事よりマシだ」


 彼の軽口に、ヴァレリアは渋い顔をしながらも沈黙した。

 その態度の裏で、彼の内心を察しているのだろう。


「カ、カイさん……ほんとに……?」


 リリィの杖先が小さく揺れた。

 不安は隠せないが、声はさっきより少しだけ強かった。


 カイはその視線に、わざとらしく片目をつぶってみせた。


「任せとけ。俺が感電してる間に、リリィはセレスにしがみついてればいい」


 冗談めかした声に、少女の顔はますます曇ったが――それでも場の緊張は少し和らいだ。


 セレスと視線を交わす。

 短いアイコンタクトのあと、小柄な魔法師は小さく頷いた。


 胸の奥が重くなる。――仲間に当たってしまうのだろうと、心の奥ではもう分かっていた。だが、それでも確かめなければ次へ進めない。

 こんなところで立ち止まるわけにはいかなかった。


 詠唱が始まると、空気にかすかな焦げた匂いが混じった。杖の先に青白い火花が散り、魔力が収束していく。


「――《ショック》!」


 杖の先からほとばしる青白い電撃が、カイの右足に走った。

 ビリ、と音がした瞬間、彼の体が弓なりに反る。


「っ……ぐっ!」


 全身が震え、膝が崩れる。短い悲鳴とともに床に手をついた。

 火花が散る感覚、筋肉の硬直――すべてが現実だった。


「カイさん!」


 リリィが慌てて駆け寄る。ヴァレリアも身を乗り出した。

 だがカイはすぐに息を吐き、片手を挙げて制した。


「……大丈夫だ。思っていたより痛いが、それだけだ」


 顔を歪めながらも、はっきりとした声で言う。


 セレスは唇を噛み、視線を伏せた。

 ガルドが重々しく頷く。


「これで確定だな。俺たちの攻撃は……味方にもしっかり当たるってことだ」


 その言葉に、広間の空気がさらに沈んだ。

 ただのゲームの延長ではなく、命を奪い合う現実の戦場になってしまった。


 カイは肩で息をしながら、しばらく天井を見上げていた。汗が顎から一滴、床に落ちる。


「……正直、二度と食らいたくねぇな。マジで心臓止まるかと思った」


 ぽつりと本音が漏れる。リリィがびくりと震え、ヴァレリアも顔をしかめた。

 それから、カイは苦笑いを無理やり口元に貼り付ける。


「ま、これで無茶な撃ち方して誤射するわけにいかんことが確定した。……そう思えば悪くない実験だったさ」


 軽口に切り替えるのに、ほんの一拍だけ遅れがあった。

 誰も笑えなかったが、それが彼なりの“場の保ち方”なのだと、セレスには分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る