第16話 大切なもの
鬱蒼と茂った木々。獣の鳴き声が遠くに聞こえる森の中は、昼間でも薄暗い。
そんな森に行ったきり帰らない冒険者たちがいると、ギルドで聞いた。
皆、魔物退治を依頼された冒険者たちだという。
「またバルデア教みたいなやつじゃねえだろうな」
ギルドを出て、ファウストがぼやく。
「さあ、どうでしょう」
一概にはなんとも言えない、とクリスが答えた矢先だ。
道を走ってきた馬車が大きくこちら側に蛇行した。操縦を誤ったのだろう。
「危ねえ」
ファウストが咄嗟にクリスを抱き寄せ、馬車の軌道から避けさせる。
そのまま走って行った馬車に、ファウストは舌打ちした。
「んだよ。謝罪もなしか」
「ま、まあ、貴族なんてそんなものでしょう」
「お互い人のことは言えねえがな」
そう言いながらもファウストはクリスの肩を抱いたままだ。
下心があっての接触ならば、クリスも覚えがないわけではない。
ファウストに出会う前、女性の一人旅ということで下卑たことを考える男たちに言い寄られたことはあった。
だがファウストの手も、触れ方も、まなざしもただ優しいものだ。
(どうしましょう。フォスの様子が変です)
この前から、ファウストの様子がおかしい。
「…ひとまず森に行きましょうか」
「おい、クリス」
ファウストの手からさりげなく避けて、歩き出したクリスの背中に声がかかる。
「どうした? 様子が変だが」
「そんなことはありませんよ」
ええ、全くもっておかしなことはありません。
(守るべき人だなんて、初めて言われましたが)
おかしいのは、ファウストのほうだ。
そうして訪れた森の中は、想像通り昼間でも薄暗く視界が悪い。
「鬱蒼としてますねえ」
「まあこんなもんだろ。いかにも行方不明者が出そうだな」
「ええ」
そう話しながら森の中を進む。不意に視界を白いものがよぎった。
「霧が出てきたな。おい、注意して……ッ」
ファウストの声が途切れる。
一気に視界が真っ白に染まった。
視界を覆っていた霧が晴れる。先ほどと変わらない森の中だ。
「チッ、なんだ今の霧は。
おい、無事か。クリス…!?」
一緒にいたクリスの名を呼んですぐ、ファウストは背後に飛び退いた。
ファウストの立っていた場所を、クリスの鞭が叩く。
「なんの真似だ。
おい、クリス!」
だがクリスはいつもの笑みを浮かべたまま、鞭を振るうだけだ。
それから飛んで避けたが、銃を構えても引き金は引けない。
不意にクリスが高く跳んで、ファウストの背後に回る。
細長い鞭が首に絡んで絞め上げた。
「…ぐっ」
首に絡む鞭を掴みながら、ファウストは呻く。
そして震える手で、銃を背後に向けると引き金を引いた。
銃弾が相手の腕に当たる。鞭がほどけた隙に距離を取って銃口をクリスの姿をした何者かに向けた。
「てめえ、クリスじゃねえな。
あの力を使わねえ。すぐわかるんだよ。
あいつはもっとおしゃべりで、いつもにこにこ笑ってて、それで恐ろしい。
てめえは、その半分も怖くねえよ」
引き金にかけた指。確かにその指は震えるけれど。
「それでも、てめえなんかに倒されたら、あいつについていけねえだろうが」
そう告げて、力一杯に引き金を引いた。
「ああ、霧が晴れましたね。無事ですか? フォス」
その頃、クリスも霧の晴れた空間で不意に背後から放たれた銃弾を反射的に躱した。
視線を向けると、ファウストが銃をこちらに向けている。
「どうしたんですか。
ああ、やっと殺す気になりましたか?」
いつもの笑みを浮かべて問うが、返ってくるのは無言だ。
「…変ですね。フォスはもっと饒舌で、…あなたは、フォスですか…?」
覚えたのは、違和感。強烈なそれが、目の前の男はファウストではないと訴える。
「ああ、違いますね。フォスはよく喋りますし。
なるほど。これが冒険者たちが戻らない理由なら納得です。
仲間に化ける魔物でしょうか。
どちらにせよ偽物なら、手加減はいりません」
クリスは鞭を構えて、にっこりと微笑んだ。
「あなた、要らないんですよ」
一瞬覗いた怜悧なまなざしが偽物を射すくめた瞬間、偽物が呻いて喉を押さえる。
そのまま苦しみ、倒れた姿を見る。そんなのいつものことなのに。
「あれ」
不意に、気づいた。先ほどとは違う異変。
「あれ、なんで」
心臓の音が、うるさい。
不意に偽物が、ファウストの姿のまま足に縋り付く。
唇の動きで、なにかを紡ぐ。
『クリス』
「フォス…………」
それは間違ってもファウストではないのに。
心臓が、壊れそうだ。
不意にまた霧に視界が覆われ、すぐに霧が晴れる。
瞬間、手首をきつく握られた。抵抗しなかったのは、その手の感触がよく知った暖かいものだったから。
「クリス」
「フォス」
間近にいた相手の顔を見て、わずかにファウストは安堵の息を吐いた。
反射的に伸ばした手で、クリスの手首を掴んだままだ。
「無事、でしたね」
「ああ、なんか厄介なものが出たが」
「ああ、そちらもですか。
どうやら、一連の行方不明事件の黒幕だったみたいですね」
クリスが視線を向けた先には、何人もの倒れている冒険者たちの姿がある。
「…そうみたいだな」
ファウストの顔は苦々しいものだ。クリスは笑ったまま、今も去らない違和感に疑問を感じていた。
おかしい。自分の手首を握る指が、いつまで経っても緩まない。
どうしてこんなに、指先が冷たいんだろう。
結論として、あの霧に巻き込まれた冒険者たちは衰弱はしていたが皆無事だった。
ギルドに報酬を受け取りに行った時だ。ふと好奇心からクリスは尋ねてみた。
「そういえば、結局なんの魔物だったんです?」
「ああ、幻覚を見せる魔物だったみたいですよ」
職員は報酬の入った袋を差し出しながら答える。
「幻覚?」
「ええ、その人の『一番大切な人』に化ける魔物」
「へえ、通りで」
その言葉にファウストは納得したように零す。
「大切な…」
クリスはやや茫然と呟いた。
それはあり得ない。たまたま一番信用しているから、ファウストが出て来たんだろう。
そう思ったのに。
また胸の鼓動がうるさい。張り裂けそうなくらいに。
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