第15話 変身・後編
腕の中に収まる小さな身体。柔らかい肢体。甘い香り。
抱きしめた時の感触も、誘うような匂いも、よく知っている。
けれどそれに、こんなに胸を締め付けられたことはなかったのに。
街を出てしばらく歩いたが、今夜は街に着かなそうだ。
野宿の準備をしていたら、クリスを狙う刺客が来たので二人で倒した矢先だ。
「フォス。すみません。先行っていいですよ」
「あ? どういう風の吹き回しだ?」
「いえ、さすがに申し訳がなく」
「今更だろうが」
そうぶっきらぼうに答えて、ファウストは銃弾を装填する。
カチン、と音が鳴った。
「最近妙にしつこいな」
「本当ですねえ」
「それでてめえもらしくねえんだよ」
たき火の前に座って苦笑したクリスの小さな顔を掴んでアイアンクローしてやる。
「いたたた」
大して力を込めていない。痛がるクリスも冗談のような反応だ。
手を離すと、笑顔のままクリスは零した。
「フォスは遠慮なくなりましたねえ」
「お前は、今のところ俺を殺す気ねえだろ」
「まあそうなんですが」
「まだ体調悪いのか」
「え」
「顔色がひでえ」
そう優しい声音で言って、クリスの頭を撫でると照れ隠しに素っ気なく言う。
「今晩は宿につかないからな。たき火で我慢しろ」
「…はい」
暖かいたき火に当たっていると、眠くなってくる。
うとうとしたクリスの肩にファウストが毛布をかけた。
「ったく、こんな様でどうやって戦う気だったんだ」
「すみません。でもどうにかなりましたよ」
「どうにかって、…ぐっ」
「ほら、ね?」
不意に喉に感じた圧迫感にファウストが呻く。それは一瞬で、すぐ楽になったが。
「すみません。でも、私に心配は要らないとわかって欲しくて」
「足りねえよ」
苛立ったように吐き捨てたファウストが、クリスの身体を押し倒す。
そのまま細い喉を絞めて、苦しげに寄せられた眉を、その顔を見下ろした。
「俺だって、今なら殺せる」
「じゃあ、殺してみますか…?」
ふっと垣間見えた笑みが、なんだかやけに儚くてファウストは虚を突かれると、そのまま手を離した。
「…冗談だ。忘れろ。クリス」
そう身を起こして言い、ファウストは立ち上がる。
「どこに」
「たき火の枝拾ってくる」
起き上がったクリスの視線と声を背中に受けながら、舌打ちしたくなった。
あんな真似をした自分に。
今更、もう殺せないことはわかっていた。
枝を拾って森の中を歩いていたファウストは、不意に聞こえた声に顔を上げる、
「ずいぶんと懐いたものだね」
その声に思わず反応して、銃口を向けた。
「あのザミエルが嘘のようだ」
「誰だ。てめえ」
低い声で脅すように誰何する。
離れた場所に佇むのは長い亜麻色の髪を先のほうで三つ編みにした、眼鏡をかけた美青年だ。年は二十代頃だろうか。
「でも君の頑張りは無駄と言うものだ。
相手はあのメフィストだよ。
誰かを思う心のない悪魔だ」
「黙れ」
「君もいずれ殺される」
「黙れ」
「愛されっこないんだ」
「黙れよ!」
怒りに任せて引き金を引く。放たれた銃弾は虚空を通過した。
目の前にいた、あの青年の姿が幻のように消えている。
「哀れなザミエル。君は救われない」
その声が木霊のように響いて消えた。
幻覚? 魔法か?
あいつは、何者だ?
ハッとする。
そうだ、あの男が何者かは知らないが、もしクリスを狙う者の仲間だったら。
周囲に感じる気配を探って、ファウストは集めた木の枝を放って走り出した。
「チッ、くそったれが…!」
その頃、自分の周りを取り囲む刺客たちを見やって、クリスは怠そうに呟いた。
たき火の炎はもうすぐ消えそうだ。
「しつこいんですよねえ。
あまり消耗させないでくれますか。
制約を破りそうになるので」
「調子が悪いのは本当のようだな」
「はあ、それが?」
正面の男の言葉に興味もなさそうに相づちを返しながら、感覚を研ぎ澄ます。
気配。
あと十人はいる。今の状態で、無傷で倒せるかどうか。
「貴様の状態は雇い主が観察している。すぐにわかるぞ」
「兄上は抜け目ないですねえ」
「へえ、兄貴か」
不意に頭上で響いた声に息を呑んだ矢先、一気に六発放たれた銃弾がクリスの周囲にいた刺客たちの脳天を撃ち抜いて一撃で殺した。
「フォス」
「遅くなって悪いな」
地面を蹴ったファウストが、クリスのすぐそばに着地すると銃弾を即座に装填する。
「なぜ、刺客がいたはず…」
「ああ、数だけは多かったから少し手間取ったぜ。
だがもう終わりだ。
失せろ。じゃねえと殺す」
銃口を男たちに向けたファウストに、男が動揺を見せた。
「なぜ、そいつを庇う。そいつは」
「悪魔だかなんだか知ったことか」
ファウストは迷いなく、はっきりと言葉を紡いだ。
「こいつは、俺が初めて見つけた守るべきものだ」
長い指が引き金を引く。男の額を撃ち抜いた。
周囲から気配が消える。勝てないと思って退散したか。
「悪い。待たせたな」
「いえ、その、フォス、今…」
戸惑ったような反応。それすら、ファウストにとっては見たかったものだった。
「別に、今すぐ腹の底を見せろとは言わねえよ。
ただ、お前は俺が守る。俺が自分でそう決めた。
わかったら、大人しく今くらい守られてろ」
優しく微笑んだファウストの大きな手が伸びてきて、くしゃりとクリスの頭を撫でる。
「……もう、殺さないんですか?」
その言葉に、そっとファウストがクリスの細い身体を抱き寄せた。
「殺すより、抱きとってみたいんだよ。俺は」
「………」
その言葉に、行動に呼吸を失う。
「悪趣味ですよ。フォス」
かろうじて言えたのはその一言だけで。
「言ってろ」
返ってきた声はやっぱり、優しかった。
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