第12話 割れた卵
すっかり慣れた二人での野宿。
森の中で、川で釣った魚を鉄の棒で刺してたき火の周囲に置く。
「いつも思うんですけど、フォスって手慣れてますよねえ」
「あん?」
「手際が良いと言うか、料理にしろ食料の調達にしろ」
「慣れだ慣れ。てめえだって釣りは上手いだろ」
「まあそれはそうなんですが」
そう答えながらクリスは焼けた魚を手に取ってかぶりつく。
ファウストも同じように一口食べて、ふと目の前に座るクリスを見つめた。
やっぱり貴族家の令嬢なのか?とは思う。
食べ方や所作が常に上品で綺麗だ。
同時に一緒にいて気楽だとも思う。
クリスは、なにも聞いてこない。
己のことをなにも話さない代わりに、ファウストの事情にも踏み込んで来ないのだ。
「さて、では寝る前に」
食事を終えたクリスが立ち上がったので、ファウストは視線を向ける。
「おい、どこ行く」
「ちょっと御不浄に」
「…獣に襲われんなよ」
「気をつけます」
笑顔で歩いて行くクリスを見やって、ふと疑問に思う。
いや待て。獣にもあの力は効くのか?
あとで聞いておこう。
そう考えながら残った魚を食べていたが、なかなかクリスは戻って来ない。
「………遅え」
そう苛立ったように呟く。
「いつまでかかってんだあの女」
立ち上がって、ふと思い至る。
いや、なにかあったか?
よく考えたらあの女は、公爵家に命を狙われているのだから。
不意に感覚に触れた気配に素早く反応し、ファウストは銃を懐から取り出すと川を挟んだ向こう側に向ける。
「お食事中失礼致します」
「なんだてめえ」
「イーグル伯爵家のものです」
姿を見せたのは、執事服の男だ。ただのごろつきたちでないことは立ち振る舞いでわかった。
「…は」
「奥様から、坊ちゃまを連れ帰るようにとの命令です」
擦れた声が口から漏れた。それも一瞬で、銃口を執事に向ける。
「…断る」
「あのお連れの女性になにかあっても良いのですか?」
「まさか、てめえ」
内心芽生えた焦燥に気づく余裕もなく、低い声を吐いた矢先だ。
「そんなまさかはありませんよー」
響いた声。同時に飛来した鞭が執事の足下を叩いた。
「お待たせしましたフォス。ちょっと獣さんに遭遇しちゃってまして」
執事とは反対側の森の中から出て来たクリスが地面を蹴って、ファウストの隣に着地する。
その姿を見て、自分でも驚くくらいほっとした。
「それで、この方たちは倒しちゃっていいんですよね?」
「ああ、好きにしろ」
無敵の味方を得たような余裕で笑んで答えたファウストに、クリスは鞭を振るう。
「あの女を捕らえろ」
執事の言葉に木々の合間から複数人の男たちが姿を見せたが、クリスはにっこりと微笑んだ。
「もう遅いです」
瞬間、執事と男たちが呻き、苦しみ出して地面に倒れる。そのまま動かなくなった。
「よかったんですか? 殺しちゃいましたけど」
「…ああ」
「でも珍しいですね」
クリスがファウストを見上げて、意外そうに呟くと伸ばした手をファウストの首に当てる。
「冷や汗を掻いてる」
「触んな!」
その言葉に、手の感触にフラッシュバックしたのは昔の記憶で、気づいたらクリスの手を払っていた。
「あ」
遅れて気づいて、しまった、と思う。
「わ、るい」
「いいえー。急に触ってすみませんでした。
誰にだって触れられたくないことはありますよね。失礼しました」
クリスは払われた手を押さえることもなく、にこにこ笑って気にした様子なく答える。
「……………」
それに、どんな反応をすればよかったのだろう。
気にして欲しかった? 傷ついて欲しかった?
わからない。
「じゃあ行きましょうか」
クリスは構わずたき火の炎を水をかけて消すと、こちらを振り返った。
「まだ夜ですけど、ここに留まるのは嫌でしょう?」
次に訪れた街では、ちょうど祭りが行われていて街中賑やかだ。
至るところに露店が並び、浮かれた様子の街人が行き交う。
「ちょうどお祭りでよかったですね。
いろんな食べ物がある」
「てめえは意外と食い意地張ってんな」
「若者なんてそんなものですよ。おや、フォスはもう胃もたれする年頃ですか?」
「そんなわけあるか」
そんな軽口を叩きながら、そういえば俺より七歳若いんだったか、と気づいてしまう。
なんか妙にへこみそうだ。
そんなことを考えながら街の風景を見渡す。
賑やかな人々。陽気な音楽と灯り。
「………なあ、お前」
「はい」
「こういう祭り、来たことあるか」
そう、らしくないことを聞いたのは、昨日のあの一件のせいだったのだろう。
「…家を抜け出して行ったことはありますね」
「俺もだ」
クリスの返答に「なんだ、一緒だ」と思って無意識に口元が緩む。
「俺も、仲の良い奴と抜け出して、一緒に………っ」
感傷に引っ張られて無意識のまま口にして、ハッと我に返った。
今、自分はなにを。
「気にすることありませんよ。フォス」
近くで聞こえた声に視線を向けると、クリスがいつもの笑顔でこちらを見ている。
「郷愁に浸ることなんて誰でもありますから、私は気にしません。
なんだったら、今すぐに先ほどの会話を忘れましょう」
いつもの笑顔が、少しだけ優しく見えて鼻の奥がつんとした。
「お前も、あるのか」
「はい?」
「…お前も」
「…生憎と、ないんですよねえ。
ほら、やっぱり私、人でなしですので」
その、決して複数形にならない言い方が侘しくて、強めに言う。
「仲間はずれにすんな」
「…はい、すみません」
やっぱりクリスはなにも聞いて来なくて、それが少し寂しかった。
その日の晩だ。宿屋の一室で、ファウストは考えていた。
殺し屋の組織ならまだわかる。
だが今更、なんの用事だ。
「フォス。お風呂入らないんですか?」
扉が開いて風呂から戻ってきたクリスが声をかける。
「お前は、」
「はい?」
「本当になにも聞いて来ないな」
寝台に腰掛けたままそう言えば、クリスはとぼけたように笑う。
「…なんのことです?」
「俺の事情も、なにも」
「お互い様でしょう。そんなの。
フォスだって私の事情を聞いて来ないじゃないですか」
「それは」
最初は恐ろしかったからで、じゃあ今は?
今はなぜ、聞かない?
少なくとも、聞いたくらいでクリスは自分を殺さないだろうと、そうわかっているのに。
「………他人の事情なんか、面倒だろ」
「そうですねえ。面倒です。
だから、知りたいと思うのはよっぽど、大事な相手の場合なんでしょう」
「大事な」
「はい」
他人事のように話すクリスに、妙に苛立って、侘しくなる。
どうしてだ。
「………家出娘のこと覚えてるか」
「ええ」
「お前、あのとき言ったよな。
親が嫌いな子どもは悪い子になるって」
「言いましたね」
「…お前は、悪い子なのか」
迷って口にしたファウストに、クリスは笑顔のまま、
「どちらでしょう」
と答えた。
「いえ、誤魔化してるんじゃないんですよ。わからないんです」
「わからない?」
「私は親にとって、手のかからない良い子だったと思います。
優秀で、物わかりの良い。
でも、私は親のことを、好きかどうかもわからないんですよね」
「…わからないって」
擦れた声が漏れた。クリスは少し考えて、ファウストの寝台に腰を下ろす。
「なにかひどいことをされたとかじゃないんですよ。
ただ、わからない。
私はどうも、人の心がないみたいで」
そう言う声も、どこか別の世界のことのような、実感のない響きだ。
「ねえ、だからあまり気にしなくていいんですよ。
私みたいな人でなしがいるんですから。
フォスが悪い子なんてことは、ないんですよ」
その小さな手がファウストの頭を撫でる。優しい手つきで。
その手が温かくて、どうしてこんなに胸が痛い。
夜遅く、どうも寝付けずに部屋を出て、宿屋の庭の真ん中に立つ。
どうかしてる。たったあれだけの出来事でまだ心が揺らぐ。
「…クソ」
そう吐き捨てた矢先だ。鼻孔をくすぐった甘い香りに眉を寄せた瞬間、身体に力が入らなくなってその場にくずおれる。
気配がする。少し離れた、風上に。
ああ、そうだ。風下に向けて眠り薬を撒くことなら、誰だって出来るだろう。
しまった。油断した。いつも、あの化け物みたいな女がそばにいたから。
なにがあっても大丈夫だって思って──ああ、そうだ。
あいつがいれば大丈夫だって、安心していたんだ。
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