第13話 もう戻らない

 ふっと意識が浮上する。

 最初に見えたのは、明るく綺麗な天井。起き上がろうとして出来ないことに気づく。

 両手足が、枷で寝台に拘束されている。

「やっと帰ってきたわね。わたしの子」

 不意に頭上で、吐き気を催すくらい憎悪した声が聞こえた。

 視線を向けると、豪華なドレスを纏った五十代ほどの女性が佇んでいる。

「冗談言うな。俺をあんたの子じゃないと、切り捨てたのはどっちだ」

 睨み付けたが、この状態では効果がないらしい。

 相手は扇子を手に、瞳を笑みに細める。

「そんな昔のこと、忘れてちょうだい。若かったのよわたしも」

 そう、そらぞらしいことを言う。

「今はあなたは大切な我が子。

 どうかここにいてちょうだい」

 心にもないだろう言葉を口にした相手に、唾を吐きかける。

 扇子に当たって、わずかに相手が眉を寄せた。

「嫌なこった」

「愚かな子。でもいいわ。帰ってきたから許してあげる」

 女性はそれだけ言って、背を向けるとそのまま部屋を出ていく。

 扉が閉まって、鍵のかかる音がした。

 ここがどこだかはわかっている。

 イーグル伯爵家。自分の産まれた場所。

 なにがあった。どうしてあの義母が、自分を歓迎する?

 あんなに自分を疎んじていた女が。


『お母様』


 そう呼んでいた頃もあった。

 自分は妾の子で、本妻のあの女からしたら確かに忌まわしい存在だっただろう。

 それでも産まれた時には実母はいなかった。後であの女に殺されたのだと知った。

 その上あの女は、自分を「余所の子」だと言って切り捨てたのだ。

 挙げ句「お前なんか生まれて来なければよかった」と言い、殴って部屋に閉じ込めたことすらあった。

 それでも子は親の愛着を求める。

 愛されたいと願っていた頃もあった。

 あの女が自分に「ファウスト」と名付けたと知った時、嬉しかったのに。


『あら、だってその名は悪魔に取り憑かれた男の名前だもの。

 お前にぴったりよ』


 そう言われて、最後の希望も破れた。

 だから16歳になった時、家から逃げ出した。跡継ぎになる本妻の子は何人もいたから、追ってなんか来ないと思った。

 それでも身寄りのない子どもが一人で生きていけるはずもなく、いつしか悪いことに手を染めて、殺し屋になって。


(そして、あいつに出会った)


 もう、認めるしかないのだ。

 クリスと出会ってからのわずか数ヶ月、人生で一番気楽で、安心出来る時間だった。

「……仕方ねえな」

 そう腹をくくるように呟く。

 自分が帰らなかったら、あの女はどうするだろうか。

 大した興味もなく、また一人で旅をするだろうか。

「それはムカつくんだよ」

 そうだ、それは腹が立つ。だから戻るのだ。

 これだけのものを自分に残しておいて、忘れていくなんて許さない。

 ぐっと拘束された手に力を込める。

 力尽くで引っ張った枷が、鎖がミシミシと音を鳴らした。

 そのまま更に力を込めれば、ガチャン、と音を立てて枷を繋ぐ鎖が壊れる。

 皮膚は傷ついて真っ赤な血を流していたがどうでもよかった。

 寝台の上に起き上がると、靴の底をスライドさせる。そこからナイフが出て来た。

 そのナイフで足を拘束する鎖を切断する。

「もうちょっと丁寧に検査はしねえとな」

 にやりと笑うと、寝台から床に足を降ろす。

 おそらく屋敷の中には警備がいる。倒せなくはないが面倒だ。

「本当に世間知らずの貴族が考えた策だな」

 格子すらついていない窓を眺めて笑うと、室内にあった椅子で窓を叩き割り、庭に飛び降りる。

 すぐに警備の者が周囲を取り囲んだ。

「駄目よ。行っては」

 警備の背後に隠れながら言ったあの義母に、口の端をつり上げる。

「今更俺になんの用事だ。俺を愛してなんかいない女が」

「あら失礼ね」

「だが本当のことだろう」

「だって、仕方ないじゃない。

 旦那様が、あなたに遺産を残すと言ったのだもの」

 その言葉に、もしも銃を取り上げられていなかったら即座に撃ち殺していただろう。

 だが頭上から降ってきた小柄な体躯の少女が、義母の頭に落下してそのまま踏み潰した。

 妙な悲鳴が聞こえて、ファウストは間抜けな顔をさらしてしまう。

「おや、下に誰かいましたか。これは失礼」

「…は」

「やっちゃいましたかねー。生きてますかね?」

 相変わらず地面に伏した義母を踏みつけたまま、その少女は、クリスはのんきな声を漏らしている。

「…クリス」

「あ、はい。フォス。迎えに来ましたよ」

 名を呼んだら、笑顔でこちらを見た彼女が手を振った。

 馬鹿みたいだ。こんなことで、泣きたくなるなんて。

「まあいいでしょう」

「な、何者だ…!」

「邪魔ですあなたたち」

 我に返った警備たちを、クリスが射すくめた瞬間に動きが停止する。

 彼らは呻いて、そのまま地面に倒れた。

 呼吸はしているから、意識を失わせただけだろう。

「さあ、これで邪魔はいません。

 帰りましょう。フォス」

 笑顔でクリスがこちらに手を向ける。

 差し出された手のひらが、ひどく大きく見えて。

 握ったその手は、泣きたいくらいに。

 ああ。本当に馬鹿だろうこいつ。


 人の心がないなら、どうしてこんなに温かいんだ。




「よく場所がわかったな」

 伯爵邸から出て、街で見かけた荷馬車に乗せてもらい、ガタガタと揺れる道を行く。

 ここは伯爵本邸がある王都ではない。別邸がある辺境の地だ。

「あの時、フォスを探しに来た人が行ってたじゃないですか。

 イーグル伯爵家って」

「ああ、そういや…」

 そういえばあれをこいつも聞いてたんだな、と納得する。

 別邸だとわかったのは、本邸は距離がありすぎるからか。

「結局なんだったんだ」

「なんでも流行病で本妻の子が全員亡くなって、その祖父の当主も病で、遺産問題で揉めていたそうですよ」

「ふうん」

 今となっては大した興味もない。おかしな話だ。あんなに憎んでいたのに。

「よかったんですか?」

「いいんだよ。それに、すっきりした」

 ずいぶんと晴れやかな気分で答えて、口の端に笑みを浮かべる。

「お前がゴミみたいに踏み潰してくれたの見た瞬間に、なんかもうどうでもよくなったわ。

 ざまぁみろだ」

「まあ、あれ多分骨の何本かいってますよ。そういう感触がしたので」

「はっ、いい気味だ」

 胸がすっとした。同時に、あんな簡単に踏み潰されるような女に、ずっと囚われているなんて愚かだと気づいた。だからもういい。

「…クリス」

 ふと、気になって正面に座るクリスの顔を真っ直ぐ見つめた。

「どうして助けに来てくれたんだ?」

「まあ、旅の連れがいなくなるのは退屈なので」

 いつもの笑みを浮かべた彼女の手を掴む。

「それだけか?」

「………それだけです」

 クリスはやはり笑っている。

「…そうか」

 一瞬の沈黙の理由が知りたくて、でも尋ねることが怖かった。

 初めて、彼女のことを知りたいと思った。

 どうして公爵家に命を狙われている? ヴァイオラ公爵家の娘なのか?

 どうして俺に抱かれてもいいなんて言う?


(お前は、なにを考えている?)

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