第1章春、帝都にて(5)渾然とす

出立を翌朝に控えた夕刻アルダンは庭園へ足を向けた。




祈るような気持ちだった。




もう一度彼女に会えたなら。


叶うことならば、一度でいい。


言葉を尽くして伝えたい。




噴水の側、ダリアは一人で立っていた。


夕焼けの残光に銀糸の髪が淡く輝く。


彼の気配を待っていたかのように、足音に反応して身を翻した。




「また、お会いしましたね」


今度はダリアが先に口を開いた。彼女は笑みを絶やさずアルダンをじっと見つめている。


歓迎されているような眼差しだった。




「え、ええ。偶然……ですね」


アルダンの声は、まだ上ずっていた。彼女を前にすると、どうにも冷静ではいられない自分に苦笑する。




「偶然、かしら」


ダリアは、薄い口元に微笑みを浮かべた。その微笑みには、どこか悪戯っぽい響きが隠されているように感じられ、彼の緊張を少しだけ和らげた。




「帝都は如何でしたか?」


「街の中に根付く数多くの文化や、私の国とは違う生活様式に目を奪われました。しかし、同時に市民の心に違いはないと感じました。共和国も、帝都も」




アルダンは思い切って彼女に問うた。


「あなたは……この国の、この街の現状を、どうお考えですか?」




言った瞬間、頭が熱くなった。無礼の極みだった。皇女に対して、国の内情に踏み込むような問いかけは許されない。


だが、ダリアは驚いた後、小さな頷いた。




「……ええ。私には、この国の現状が、とても……病んでいるように見えます。外見は華やかでも、内側は重い税に苦しむ民の声で満ちている。私は、それをただ見ているしかできない、と無力感を覚えます。アルダンも同じように感じますか?」




「はい。しかしこうも考えます。自分が共和政治の表舞台に立ったら、必ず民の力になれるよう尽くす。いや今からでも出来ることはあるはずなんです。それが、専制君主制と共和政体の違いでもあります」




夕暮れの庭園に沈黙が降りる。互いに真面目すぎる二人の言葉は、互いの胸に消えない刻印を残しつつある。


ダリアは、ふいにアルダンに背を向け、庭園の遠く、帝都の街並みが広がる方を見つめた。そして、小さな声で呟く。


「アルダン、見てください。この国は、昔はもっと……誇り高かったはずです。でも今は、どこか息苦しい」


彼女の言葉は、アルダンの胸に強く響いた。


共和国の現状を憂い、新しい未来を築こうとする自分自身の声と重なる。


そして彼女は、自らこの国の未来を背負い、闘おうと思い始めている。




「なら、皇女殿下は、その息苦しさから皆を解放出来るように志せば良いかと」


「そう思いますか?アルダン」


「ええ、皇女殿下」


「あの、」




ダリアは、一呼吸おいて続けた。


「私と同じように、名前で呼んでください」




「、、、、、、、」


アルダンは思う。名前で呼ぶなど、あってはならない。


「私には同世代に名前で呼び合える者はおりません。せめてアルダンだけでも、と望んではいけませんか?」


彼は、ダリアの孤独の正体を理解した。




先日と同じように、噴水が止まる。




「俺も、共和国の民がもっと自由に生きられるように、すべてを捧げる生き方をする。ダリア、君にだけは誓っておく」




アルダンの余所行きではない言葉に、ダリアはハッとした。彼女の表情には、同じ志を持つ人間を見つけた安堵の様と、彼への信頼が宿っていた。




日は完全に落ち、空には月が煌々と輝き、庭園を淡く照らしていたが、二人はどちらからもその場を離れようとしなかった。




「……出発は、明日でしたね」


ダリアの声が寂しそうに響いた。もう二度と会えない別れを惜しむかのように。




「早いもので」


アルダンの声も、自然と感傷的になった。この出会いが、彼の人生に大きな意味を持つか、まだ2人には予測すら出来ないのだから。




「アルダンが、こちら側の人であれば良かったのに」


始めて彼女の声が上擦った。


ダリアは月を仰ぎ、陶白の肌を伝い、泪が滑り落ちる。


そしてアルダンに正対し、ゆっくりと近づいていく。すでに衣服が擦れ合うほどの近さだ。


ダリアの白く細い指が、彼の頬に触れた。指先は冷たく、アルダンの肌は熱をおびている。




「……あなたが去ってしまうのは、寂しい。こんな気持ちになったのは、初めての経験です」




アルダンの頬から微かに熱が伝わる彼女の指先。彼はダリアの手をそっと掴んだ。彼女は強く指を握り返した。




「また会いたい……」


「......」


生まれた星の性か、二人とも必死に理性の砦を死守していたが、




彼より僅かに早く、ダリアはその震える手で、アルダンの頬を包み込んだ。彼女の吐息が、アルダンの唇にかかり、彼は強く顎を突き出した。




夢中の刻を刻む吐息。瑞々しき意識が折り重なる。




月が雲影に隠れ、二人は手を握りあったまま、何故が笑い合ってしまう。




「アルダンの思いを、ライネで果たしてください」


「俺の事績が帝都まで鳴り響くよう、やれるだけやるさ。君も、ダリアにしかできない役割の果たし方が、きっとあるはずだ」




結ばれた絆。


これから二人の魂は渾然と進んでゆく。


月下の誓いを秘め合いながら、


それぞれの場所で、


同じ月の下で、

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