第二十九話 お嬢さん方
室内に踏み込んだ瞬間、焦げた空気が肺の奥を焼いた。
つい先日訪れたばかりのレインブルグ邸――あの、光沢のある床も、整然と並んだ彫刻も、今や見る影もない。
壁には無数の弾痕、飛び散った血が黒ずみ、装飾品は原型を留めずに瓦礫と化していた。割れたガラスを踏みしめるたびに、靴底がジャリッと鳴る。
豪奢な邸宅が、一瞬で戦場に変わる。皮肉なもんだ。
俺とロゼリアを先頭に、後ろに数名の隊員が続く。
何人かは外回りのチームと合流するため別行動だ。
こっちは内部の救助と制圧。要するに――火中の栗拾い担当。
遠くから銃声が木霊する。
反射的にロゼリアが視線を走らせ、顎で合図をよこした。
「奥だ。行くぞ」
言うが早いか、彼女は駆け出した。
床に散らばる薬莢を蹴り上げながら、俺もそれに続く。
三階まで吹き抜けになった大広間に出る。
空気が熱で揺らぎ、黒煙が天井へと昇っていく。
柱の陰には、隊員が一人倒れていた。焼けた装甲スーツに血が滲み、息は荒いが、まだ生きている。
彼らの姿を確かめた瞬間、広間の奥からばら撒かれるように銃弾が襲い掛かってくる。
慌てて柱に滑り込むと、援護射撃をしていた一人が顔を上げる。
頬に煤がつき、顔には焦りの表情。
「隊長……! よかった、通信が完全に遮断されており、内部の状況を外に伝えられず……」
その言葉に、ロゼリアが低く唸る。
「妨害か。……ったく、面倒だな」
大広間の奥から、続けて銃弾が雨のように降り注ぐ。
破片が飛び散り、すぐそばの大理石の柱が弾け飛ぶ。
ロゼリアが隊員の肩を押して伏せさせる。
「しかし……なんでこっちの攻撃がぬるい」
俺も同じ違和感を抱いていた。
こちらの攻撃が妙に手を抜いているように感じる。怪我人がいるとはいえ、射撃が散漫で、どこか当てる気が無いような。
問いかけると、遮蔽の後ろで銃を構えていた若い隊員が歯を噛み締めた。
「……敵のパーソナルデータをオフラインで照会したんです。
結果が――上層の“お嬢さん方”でした」
「うん?」
ロゼリアが思わず声を出す。
柱の陰から少しばかり身を乗り出して確認する。
銃口をこちらに向けているのは――確かに、戦闘用スーツを着てはいるが、姿勢、顔立ち、立ち振る舞い、そのどれもが訓練されたモノではない。無理やり動かされているような違和感。
社交界でワイングラスを掲げていたほうがお似合いな面持ち。
それが、五人。
「ID照合では間違いなく。中枢の有力者の娘たちです。私たちも、手を出す判断ができず……」
苦々しい声。
そりゃそうだろう。下手に撃てば政治問題だ。
だが、撃たなきゃこっちが死ぬ。
ロゼリアが短く舌打ちした。
端末を操作して照会データを確認すると、眉間に皺が寄る。
「……なるほど。中でも、ひとりは評議会の娘だな。殺さずに制圧するとなると……」
彼女がぼそりと呟いた瞬間、俺はもう一度柱の隙間から覗いた。
ふむ――。なるほど。
「……イケるな」
「ん?」
ロゼリアが怪訝そうに顔を向ける。
「ロゼリア。ちょいと策がある。少しばかり矢面に立ってくれ」
俺の言葉に周囲の隊員たちがぎょっとする。
だが当の本人は、にやりと笑って胸を叩いた。
「ほぉ、そう来たか。――上等だ。やってみな」
返事を聞き、俺はホルスターから小口径拳銃を抜いた。
スライドを引き、薬室の装填音を確かめる。
「タイミングは任せる」
ロゼリアが頷き、深く息を吸う。
そして、獣のように飛び出した。
「――おおおおッ!」
彼女の叫びと同時に、奥の五人が一斉に反応する。
一斉射撃。火線が奔流となってロゼリアを飲み込む。
障害物越しにしか見えなかった"ソレ"が、撃ちだしに合わせて顔をのぞかせる。
俺の目は彼女たちの“頭上”を見ていた。
吹き出し――。
俺にとっては見慣れた現象。
外の連中には出なかったそれが、なぜか彼女たちには浮かんでいた。
透き通ったガラスのような吹き出しが、脳裏の叫びを晒している。
『イヤダ』『ナンデ』『タスケテ』
心の中では泣き叫んでいる。
外見は無表情でも、内側では阿鼻叫喚。
俺は銃口を持ち上げ、弾丸の先を“吹き出し”に合わせた。
引き金を引く。
パンッ。
弾丸が空気を裂き、吹き出しに命中した瞬間、それが砕け散る。
パリンとガラスが割れるような音とともに、ひとりの女がその場に崩れ落ちた。
立て続けに撃つ。
二発、三発、四発――。
吹き出しが次々と砕け、倒れる音が連鎖する。
ロゼリアの前に火花の雨が止む。
最後のひとりが倒れ、広間が静寂に包まれた。
硝煙の匂いと、焦げた絨毯の匂いが混じり合う。
ロゼリアが俺を振り返り、肩で笑った。
「……やるじゃねぇか。何した?」
俺は肩を竦め、小さく銃を回してホルスターに戻した。
吹き出しの残滓が、きらきらと空気の中で溶けていく。
普段はぶっ放すばかりであまり使わないんだが、こういう時は便利だ。
吹き出しを壊されると、ああやって気絶する。
初めて"こう"なった時に、対象をドクターに調べて貰ったら、何やら激しい心理的ショックによる気絶だとか何とか。
その後もきちんと復帰したから後遺症もなし。いいだろう?
倒れた彼女たちに近づき、首筋を確認すると、チップが取り出せた。
お、こっちは発火ナシか。
倒れた女たちを見ると、ところどころ筋肉の断裂が見られるくらいで外傷はない。無理な動きと負荷をかけたせいだな。
チップ発火のトリガーは、ナノマシンの稼働状況とか?
まぁいい。
大事なのは、吹き出しから見るに恐らく“彼女たちは、自分の意思で撃っていたわけじゃない”ってことだ。
ロゼリアがチップを見て、吐き捨てるように言った。
「……やっぱり、ヴィーラ社のクソどもが裏で動いてるな」
俺は頷きながら、倒れた“お嬢さん方”を見下ろした。
まるで自宅で寝ているような安らかな顔で瞳を閉じていた。
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