第五話 条件の擦り合わせ

「このチップが……原因だと思うんです」


 女は端末を抱きしめるように胸元へ引っ込め、涙交じりの声で続けた。


「昔からの馴染みの技師の方の紹介で……新しいシステムを構築すれば、悪いところを根本から作り変えられるって。それができれば、生体パーツも適用できるかもしれないって……。それが……あんなことになるなんて……」


 目尻に新しい涙が溜まり、震えるまつげに光が滲む。


 俺は鼻を鳴らし、顎に手を当てる。

 ──話を聞く限り、侵食型のウイルスだな。

 体の端からジリジリと侵し、機能を奪っていくタイプ。

 普通なら感染部位を切除して義体に置き換えれば進行は止まる。だが、ごくまれに止まらないパターンがある。……妹とやらは、その不運なケースに当たったんだろう。


「それで──その技師はどうした?」


 声を低くして尋ねる。怪しいのは十中八九そいつだからな。


「……はい。父がすぐにどこかへ連れて行って、話を聞いたらしいんです。でも……その人も、別の企業から融通されたと……」


 どこか、ねぇ。

 口の中で呟く。

 まだ生きてりゃ話を引き出せるが、魚の腹の中に入ってたらそれまでだ。


「で、その企業ってのは?」


「ヴィーラ社です。総合商社の。最近、医療関係の企業も買収したと聞きました。……多分、そこからだと思います」


「……ヴィーラか」


 俺は短く息を吐く。

 超大手。名前を出すだけで厄介さが鼻につく相手だ。突っつくには骨が折れる。


 まあ、犯人探しは今は棚上げだ。

 問題は依頼内容──妹を治せってことだな。

 恐らくは上層の人間。面倒な案件なのは間違いない。

 けど……チップの件は俺自身もちょっと引っかかってる。コルドーに渡した代物と女の言うそれが一致するなら、なおさらな。


 ……まあいい。今は大口の仕事もねぇしな。

 心の中で呟く、腹は決まった。


「大体の事情は分かった」


 背もたれに身を預け、女の目を真っ直ぐに見据える。


「依頼は受けてもいい。ただし──その前に条件のすり合わせだ」


 ぱっと女の顔が明るくなる。銀色の髪が小さく揺れた。


「あ……ありがとうございます!」


「当然、条件が合わなきゃご破算だ。それと……依頼が失敗した場合の責任は負わん。それでもいいか?」


 口にした瞬間、自分でも少し乾いた笑みが漏れる。契約書なんざ、この街じゃ紙屑同然。もし依頼が失敗したら──“相応の対処”が待っているだろう。だが、その時はその時だ。俺がぶちのめしてくるだけの話。


 女は震える声で、それでもはっきりと答えた。


「はい……。どなたにお願いしても無理だって言われました。……だから、どうかお願いします。妹を……セシリーを……」


 そう言って深々と頭を下げる。

 肩が小刻みに震え、涙が床にぽたりと落ちる音がした。


「まず──報酬だ」


 俺は水のボトルを手に取り、口を湿らせてから続ける。


「こういう厄介な仕事はな、前金を必ずもらうことにしてる。で、トータルでどれだけ出す?」


 女は一瞬俯き、そして顔を上げた。その瞳には妙な決意が宿っている。


「……私の家で経営している企業のうち、私の所有する株をすべてお渡しします」


 言葉は震えていなかった。だが、重みのある告白に俺は思わず片眉を上げた。

 ……待てよ。そういえば、コイツの名前すら聞いてなかったな。


「そういや──お前さん、名前は?」


 一瞬、何を問われたのか分からない顔をしたあと、慌てて背筋を正す。


「あ……ああ! 私ったら……し、失礼をしました。も、申し遅れました。ルシア・レインブルグと申します。レインブルグ社は……ご存じでしょうか。父の会社です」


 ……レインブルグ。

 その名を聞いた瞬間、頭の中で警鐘が鳴る。

 食品、流通、輸送網。陸海空すべてを押さえる巨大企業だ。上層でもかなりの影響力を持つ。


 俺は端末を取り出し、素早く検索する。

 すぐに出てきた。ルシア・レインブルグ──社長の次女。

 自身も経営に関わり、二十四歳という若さで常務に就任しているらしい。

 添付された画像には、目の前の女と同じ顔が、上層の式典らしき場でにこやかに手を振っていた。


 ……なるほどな。整形や義体詐欺って線も考えたが……そんな面倒な真似をする意味も薄い。

 俺は画面を閉じて、目の前の女を見据える。


「本物か? そんな大物が、こんな場所に一人で?」


「す、すみません……。あなたの噂を聞いて……どうしても居ても立ってもいられず……」


 頭上に浮かぶ吹き出しが揺れる。


《あああ……そうだ、ボディガードも付けずに来ちゃった……! あああ、お父様に何て言われるか……!》


 ふむ。どうやら本物らしい。

 ……にしても、放任気味なんだろうか。普通なら屈強なガードの一人や二人が付いているはずだ。

 もしくは妹の件でそっちに人を割いてるか。まあ、人の家の事情なんざどうでもいい。


「なるほど──お転婆娘ってとこか」


 皮肉を口にし、腕を組む。


「で、その株ってのは……どれくらいになる?」


 レインブルグ社の株。

 一パーセントだって、上層で人生を三回は遊んで暮らせるくらいの代物だ。


「はい。私の所有株……全体の五パーセントをお渡しします。それと、前金としてすぐに入金できる分で──百万クレド」


 思わず、ひゅうと口笛が漏れた。

 前金だけで豪邸が建つ。笑うしかねぇ額だ。


「次だ。──期間はいつまでだ?」


 問いながらも、答えは大体見えていた。


「……できれば、すぐにでも。いえ、今からでも向かっていただきたいくらいです……」


 ルシアは真っ直ぐに俺を見据えてそう言った。

 その瞳は縋るように揺れ、だが切実さを隠そうともしない。

 ……まあ、だろうな。

 恐らく妹の命の猶予は、そう長くはない。義体で押さえ込んでいた部分がぶっ壊れ、そこから侵食が始まっているはずだ。浸食型のウイルスは止まらなければ一気に広がる。時間はない。


「ふうむ……ま、いいか」


 俺は溜息をひとつ吐き、サイドテーブルから大型の端末を取り出した。

 必要事項を素早く入力していき、契約のテンプレートを呼び出す。

 それをルシアに手渡した。


 彼女は受け取った瞬間、目を見開き、顔に明らかな喜色を浮かべた。


「……これは!? それじゃあ!」


「ああ。そいつにサインして、前金の入金が確認できりゃ契約完了だ。そのまま出るぞ」


 言いながら手元のボトルを一気に飲み干す。冷たい水が喉を通り、内臓の奥に落ちていく。空になったボトルを握りつぶすと、プラスチックがクシャリと音を立てた。


「あ、ありがとうございます!」


 今までで一番の声量でルシアが答える。震えながらも端末にサインをし、同時に自身の端末を操作して入金処理を済ませたようだ。

 その動作は慣れた手つきだが、指先が微かに震えているのを俺は見逃さなかった。


「……これで、よし。今、入金しました。確認いただけますか?」


 差し出された端末を受け取り、表示を確認する。

 声紋認証、静脈認証、網膜認証──三重の署名。加えて入金ログもしっかり残っている。

 画面に映る桁数を見て、口元に自然と笑みが浮かんだ。


「……ああ、確かに受け取った」


 よし。

 久しぶりに行くか──上層。

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