第9話




 私は直哉の腕を支えながら、夜の歩道をゆっくりと歩いた。


 酔いのまわった彼の体は思ったより重くて、それでも拒まないぬくもりが、妙に安心感をくれる。


 駅へと続くはずの通りを外れ、ネオンのまたたく裏路地へと進む。

 ふたりきりの足音だけが、アスファルトに響いていた。


(ほんとは……こんなの、何度もやってきたはずなのに)


 酔わせて、気を引いて、タイミングを見て距離を詰める。


 男と遊ぶのなんて、慣れてる。


 なのに。


(なんで……こんなに、心臓うるさいの)


 ぐっと袖を握りしめる指先に、微かに汗がにじむ。


 視線を横に向ければ、直哉はうつろな目で、ぼんやりと私の顔を見ていた。


「……真白、どこ行くの」


 低く、かすれた声。


「ちょっとだけ、休めるとこ」


「ん……んー……」


 答えたのか、返事になってないのか。けれど抵抗はない。


(今だけ。今しか、ない)


 私はホテルの小さな入口のドアを押した。

 静かすぎる自動ドアの音が、やけに耳に残った。



 部屋に入った瞬間、ふたりのあいだにあるものが変わった気がした。


 壁にかけられた安っぽい絵。冷たい照明。かすかに漂う、洗剤の匂い。


 でも、この密室の空気が、いちばん、心をざわつかせた。


 ベッドの隅に直哉を座らせると、彼はまだぐったりしたまま、私を見上げてきた。


「なあ、真白……なんで、そんな顔してんの」


「……してないよ」


「なんか……変。いつもと、違う」


 私は口元に笑みを作ろうとした。でも、上手くいかなかった。


「……酔ってるくせに、よく見てるじゃん」


 声が震えていた。


 直哉の視線が、じっと私を捉える。


「……お前、俺のこと、好きなの?」


 その言葉に、頭の中が真っ白になった。


(言わないで、そんなの。聞かないで)


 わたしは、答えなかった。


 けれど次の瞬間。


 私はそっと、彼の頬に触れていた。


 火照った肌が、私の指先に伝わる。


 それは、どこか安心できる温度で。

 でも同時に、すべての理性を剥がしてしまいそうな熱だった。


(――いまだけは)


(彼女がいるとかいないとかじゃない。

 私は、あんたが好き)


 わたしは唇を開いた。


「……黙ってて。今日は、何も聞かないで」


 そして、彼の唇にそっと触れるように、顔を寄せていった。

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