第8話
——もう、限界だった。
SNSをいくら遡っても、直哉の“彼女”らしき影は見当たらない。
昼休みにカフェテリアをうろついても、彼女が誰かを口にする学生なんてひとりもいない。
尾行までしてみたのに、直哉はただ、コンビニでアイスを買って真っ直ぐ帰るだけ。
(おかしい……本当に、存在するの?)
この数日、心はずっとざわついたまま。
直哉の口から「彼女ができた」と聞いたあの日を境に、何もかもが上手く回らなくなった。
(……もう、確かめるしかない)
ぐるぐると回る思考の先で、私はある決意を固めていた。
——酔わせて、吐かせる。
シンプルで、確実。
直哉はお酒に強くない。少し飲ませれば、ぽろっと何かが出るかもしれない。
「ねえ、今夜ひま?」
講義終わりの帰り道。学部棟の階段を降りたところで、私は彼に声をかけた。
「は?」
直哉はスマホをいじる手を止めて、眉をひそめた。
「たまには一緒に飲みに行こ? 最近、話してなかったしさ」
できるだけ自然を装う。でも、心臓はうるさいくらいに騒いでいた。
「……別にいいけど」
拍子抜けするほど、あっさりとOKが出た。
「じゃあ、あそこの駅前の居酒屋、どう? 安くて静かだし」
「……ああ、あそこね。いいよ」
予想外のスムーズさに、逆に身構えてしまう。
でも、それでも。
この機会を逃すわけにはいかなかった。
*
居酒屋の個室。暗めの照明と、少し埃っぽい空気。
ふたりきりの空間に、妙な緊張感が流れる。
「かんぱーい」
グラスが触れる音。
私は笑いながら、生ビールをひと口。
「お前、妙にテンション高くない?」
「えー? たまにはいいじゃん。お祝いだよ、お祝い」
「何の?」
「直哉に彼女ができた、おめでとうって」
わざと明るく言う。
けれど、その言葉に彼の顔がぴくりと動いた。
「……ああ、それな」
曖昧に笑って、グラスを口元に運ぶ直哉。
(やっぱり……図星)
私はひとり勝手に確信し、そこから何杯も酒を進めた。
飲ませた。話を振った。笑った。
直哉の目の奥が、少しずつ潤んでいく。
頬が赤くなり、語尾が甘くなる。
そして——それは、ふいに落ちた。
「……あー、つかれた。マジで、最近お前しつこすぎ」
「えー? なにがよ?」
「……彼女、彼女ってさ。いねーよ。そんなん最初から」
その瞬間、心臓が落ちたかと思った。
一拍置いて、信じられないほどの安堵が押し寄せた。
(いない……彼女、いない……)
体から力が抜けた。
ずっと張っていた神経が、ぷつんと切れる音がした気がした。
私は笑った。
「……なんだ、それ」
喉の奥が熱い。
頬がじんわりと火照るのは、アルコールのせいか、それとも。
直哉はもう、テーブルに頬を乗せて、ろくに起き上がれない。
「おーい、直哉。帰れる? 駅、遠いよ?」
「……うるさい、真白うるさい……」
呂律の回らない声。
このまま帰したら、たぶん途中で転ぶ。
私はゆっくりと、立ち上がった。
「しょうがないなあ。ほら、立って」
片腕を肩にまわして支える。
直哉の体温が近い。耳元で吐息がかかる。
(彼女がいない。誰のものでもない。——なら)
今しかない。
この手の中にある温もりを、もっと近くで、ひとりじめしたい。
「ねえ、ちょっと休憩してこ?」
駅とは逆方向。
私は、いつか通りがかりに見かけた、あのビジネスホテルのネオンを目指して歩き出した。
直哉は何も言わない。ついてくる。
たぶん、もう気づいてる。
この夜が、ただの“飲み会”では終わらないことに——。
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