2.眠りから覚めて

『ねぇ、翔奏くん』

『どうした?』


 ベッドで横になっている時、隣にいるその黒髪がきれいな美少女、瑞葉は翔奏の名前を呼ぶ。

 その艷やかな唇が、窓から差し込んでいる月の光に反射する。


『キス、していい?』


 突然、そんな言葉がぽろっとこぼれる。

 大半の男子は、隣で一緒に横になっている美少女から「キス」という単語が出てきたらイチコロだろう。「え、していいんですか?」と乗り気になるはずだ。翔奏も、そうだった。


 そう、


『だめでーす』

『ええー? ちょっとくらい動揺してもいいでしょ、ケチ』

『もう言われ過ぎて慣れたんだよな、これが』


 だが実際、翔奏は何回も言われているせいかその新鮮さをいつの間にかどこかにおいてきてしまい、近頃はなんの動揺もしなくなっていた。


 まあ言われても、毎回了承はしてこなかったのだが。

「寂しいよ、お姉さんは……」と言う瑞葉に、翔奏は「誰がお姉さんだって?」と煽るように返す。


『ねえ、お願い。私のファーストキス!』

『俺よりも他の男としたほうが二百倍いいぞー』

『翔奏くんじゃなきゃいやなの! もう、分かってないんだから』


 そう言って、瑞葉は拗ねたように反対側を寝返りを打つようにして向く。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。


 瑞葉がごねるのはいつものことなのだが、機嫌を損ねるとなると翔奏も無視できなくなるので、翔奏は上半身を起き上がらせ、そっぽを向いている瑞葉の頭に手を置く。

 そして、その繊細な髪を傷つけないように慎重になでる。


『っ! ……もう、ずるいよ、それは』

『機嫌損ねられたら、さすがに俺も無視できないからな』

『だからって、毎回それは……』

『いやか?』

『……別に』


 どうやらクーデレになってしまったらしい瑞葉は、頬を少し膨らませながら、だがそれを堪能している。


 こんな姿、他人に見られたら絶対に「お前ら付き合ってんだろ!」とか茶化されるに決まっている。

 だが、瑞葉と翔奏は付き合っていない。『キスしよ?』と言ってくるのも、頭をなでるのも、別に付き合っているからの行動ではない。ましてや一緒に寝るのなんて誤解に誤解を招くが、だが決してそういう関係ではない。


 でも、いつからだろうな、こんなに距離が近くなったのは。頭をなでるのも、月の下で一緒に寝るのも。いつしか、当たり前になっていた。

 ……すべては、瑞葉のおかげだ。瑞葉が俺を変えてくれたから。だから俺は今、ここにいる。

 照れくさくて一生伝えられないだろう感謝を、翔奏は艷やかな髪をなでながら思う。


 ——これからも、ずっと一緒にいたいな。


 静かに、そう願った。

 叶うものだと、思っていた。

 思って、いたのに。


   *** ***


 眠りから覚め、静かに目を開ける。


「…………こわ」


 恐ろしく潔い目覚めに恐怖を感じながら、翔奏は頬をなにかが垂れていくことを感じた。


「……あ」


 だがその正体はすぐに察し、ろくにリアクションもしないでさっさとその水滴を拭う。夢の内容は、もう消えていた。


「なん、じ……?」


 寝起きのかすれた声でそう呟き、目の前のテーブルにあったテレビのリモコンを手にとってテレビの電源をつける。


「一時……、深夜か……」


 どうやら六時間ほど寝てしまっていたようだ。よほど疲れていたのだろうかと思いながら、テレビを消して立つ。


「んん……っあぁ」


 軽く伸びをし、翔奏はなにをすべきか考える。

 寝起きで腹も減ってないし、制服だし。風呂も入ってないわ、歯も磨いてないわで、なんだかんだやることはたくさんある。


 まずは風呂に入ろう。そう考え、翔奏は風呂に直行する。

 とりあえず身にまとっていた制服その他を脱いでいく。

 と、その時。


 チャリン


「……?」


 なにか、金属片が落ちる音がした。

 なんだろうと思い、ズボンを上げてみる。


「……これか」


 正体に気がつき、を拾う。

 翔奏の手には、紅色あかいろに光り輝く小さなペンダントが乗せられてあった。


 これは、いつかあいつからもらった大事なもの。決して失くすわけにはいかないものだ。

 そっと、脱いで適当に畳んだブレザーの横に置く。転がり落ちてしまえば大惨事だ。


 と、ワイシャツを脱いだところで翔奏は部屋着を持ってきていなかったことに気づく。


「……っはぁ」


 正直だるいが先に持ってきておいたほうが楽だろう。そう思い、部屋着がある自室へと向かう。

 なんの気もなしに取手に手をかけ、その扉を押す。


「…………」


 暗闇が広がる、誰もいないはずのその中。相変わらず殺風景だ。

 その光景を一瞥し、翔奏はタンスまで移動し、その中の衣服を漁る。


「なんかないかな……」


 数十秒後、翔奏の手には着替えが抱えられていた。

 紺の半袖パーカーにラフな黒のズボン、そして下着。これだけで翔奏の身につけるものは終了。足早に、翔奏は風呂場に戻ろうとする。


 扉を閉めようとした、ちょうどその時だった。


「すぅ…………」

「っ!?」


 突然、後ろから寝息が聴こえた。それも深く、気持ちよく眠っていそうな、そんな寝息が。

 そして、その出どころは。


「……え?」


 俺の、ベッド?


 完全に状況を理解できていないと化した翔奏は、慌ててベッドに駆け寄る。

 その中を、見ると。


「……………………は?」


 今世紀最大の「は?」が翔奏の口からこぼれる。意味が分からない。どういうことだ。そんな感情が、その言葉から読み取れる。

 なんで、そんなことを思っているのかって?

 だって、そこには。


 月明かりに照らされながら、すやすやと眠っている、一人の黒髪の少女がいたからだ。


 しかもその少女の首には例のペンダントもつけられていて。

 茫然とその姿を見てしまっていた、その時だった。


「……んん、……ん?」

「あっ」


 翔奏の声に目が覚めてしまったのか、その少女はまぶたをこすりながら、ゆっくりと起き上がる。

 眠そうなその目が、こちらを見る。

 ——その姿は、まるでなにかのデジャヴで。


「んん…………え?」


 その直後。


「きゃああああああああああああああああああああ!」

「ゔわああああああああああああああああああああ!」


 二人の叫び声が、深夜の家の中に響き渡った。

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