第41話

「あか……ね……?」

 

 私の両の手首はベッドに押さえつけられていた。

 僅かに濡れている毛先に集まる宝玉。光を吸い込んで、拡散させる。妖艶ようえんに微笑む彼女を飾るのにこれ程相応しいものは無いだろう。その光輝こうきさえ従えた彼女は愛欲に染まり切った声色を聞かせてくれた。

 

「まりーかわいい……。かわい過ぎるよ……。もういいよね? 長かった。このときまで。私ずっと我慢してきたんだよ。まりーと付き合ってから何度このままキスしちゃおうかって思ったか分かんないくらい。一緒に原宿行ったときとかおうちに連れ込んだときとか。下着屋さんにいるときなんてあんな裸見せられて、全身に吸いついて抱き締めて一つになりたいって思わないわけないじゃん。それでも今じゃない今じゃないってずぅーっとブレーキかけてた。時が来るまで……乱暴で一方的なやり方でまりーには手は出さないって誓ってたから。偉いでしょ? でもそういう欲望が高まった夜はどうしようもなくて、辛くなっちゃって、まりーを考えながら自分を慰めることも多かった。そうやって今日まで頑張ってきたの。でもさ……そんなとろけてる顔されたら……そんなそそっちゃう顔されたら我慢できるわけないじゃん。奪うなら今このときしかない。こんな最高のシチュエーション。まりーが悪いんだよ。まりーの愛しい表情がトリガー引いちゃったの。もう許してね。ご褒美頂戴。この三ヶ月くらいのご褒美全部。まりーの唇に詰まってるから。ふふっ、でもやっぱり全身可愛いね。肩も指もおっぱいもお腹もおへそも太もももお尻も脚も。可愛いと綺麗でできている人形みたい。それが今日はぜーんぶ私のもの。受け入れて。まりーをこんなにも愛してる私ならいいでしょ? ね?」

 

 茜は感情が高まるとすっごく早口なんだな。

 まるで曇りガラス越しみたいに、場違いなことを思っている私の心は既に決まっているのかもしれない。

 

 だけど……。

 

「まりーの口、もらうね」

 

 宝石が私の唇に落ちた。それはすぅっと口角に流れていって行方は知れない。

 見開かれた情炎たぎる紅い瞳がゆっくりと迫ってくる。

 ぎゅっと目を閉じる。

 息をするのも忘れてその瞬間に備えた。



   来ない。

   


 まぶたを上げると鼻先に茜の鼻先。

 

「やっぱり……ヤダ?」

 

 私を労ってくれる穏やかな音吐おんと。聞き慣れているものだ。

 

「どうして、そんなこと聞くの?」

「震えてたから」

「そう、なの?」

 

 私は……震えてたのか……。

 

「別に……」

 

 静かな目を見上げながら、一文字一文字を間違いないように繋げる。

 

「嫌じゃない……と思う。ううん、私は嫌じゃないってなってる。茜なら」

 

 偽りなき本心。私は流されやすいんだと思う。こんな雰囲気ができちゃって、いつもの紫水茉莉花はどこかへ行ってしまった。一回くらいなら。茜が喜んでくれるなら。一肌脱ぐのもやぶさかではない。

 

「それよりも、こわいって思っちゃったのかも」

「こわい?」

 

 そしてこれも本心。

 

「キスって……したことないから、口が自分じゃない誰かに覆われるって考えるとこわいってなって。それに茜がその……すごくて、気圧されちゃったていうか」

「ごめん……」

「……」

「……」

 

 上に跨る茜と仰向けになる私。この状態での沈黙は重い。

 多分私がなにか言わなきゃいけない。だけどただただ思惑が溢れてくるだけでちゃんとした言葉に変換できない。難しいこととか変な意地とかが邪魔をしてくる。

 

「やっぱり今日は……」

 

 茜が離れようと身を起こす。

 

「違うの」

 

 私は慌ててその手を掴んで引っ張った。

 しかし上体が上がりきっていない茜の体幹は不安定で。

 

「わっ!」

「きゃっ!」

 

 引かれた手に従って茜は私に倒れ込む。柔らかいベッドの上で私達は身体を重ねることになった。

 トクントクントクン。

 心の音。

 茜から伝わってくる心の音だ。

 図らずとも抱き合う形になった私は、間近にある茜の顔からそっぽを向く。

 

「して……いいよ。意地っ張りな私が素直になれるときなんて今くらいだから。茜がしたいなら、ね」

「意地張ってるじゃん」

「う〜っさい」

 

 こんな形で吐露できてよかった。見下ろされてたら今の顔色も簡単に見つかってただろうから。

 

「するなら……優しくしてね」

「仰せのままに」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る