第40話

 回されていた腕が動いた。

 

「っ……」

 

 細くしなやかな十本の手指は海月くらげが触手を絡めて魚を捕食するように、私の胸をまさぐりだす。バスオイルによってとろみを帯びたお湯は潤滑油として、流れるような運指を助け、その軌跡は月光を浴びててらてらと輝いた。その手つきにくすぐったさを感じて私は身体をこわばらせてしまう。

 柔らかい脂肪を揉みほぐし、下乳をたぷたぷと持ち上げるように触る。その慣れた様子に一抹のいぶかしさを覚えたが、それは黙っていた。

 

「まりーってさ……オナニーしたことないんだよね。こういうことも、してこなかったの?」

「して、ない」

「そっか。じゃあ私がまりーの『初めて』だね」

 

 やってることはフィッティングとそんなに変わらない。ただ乳房に触れるだけ。

 なのにどうして茜がこんなに官能的に見え、私は思考がぼやけていくのだろう。

 

「これが、オナニーなの?」

「これもその一つ。なにも知らないまりーに、今日はカラダで教えてあげる」

 

 私の耳に直接言葉を注ぎ込むように、耳の間近で行われる囁きに私は身をよじった。

 

「ふふ、可愛い。音フェチだもんね。耳が弱点だ」

 

 ふー、ふー。

 

「ぅぁ……」

 

 耳朶じだにかかるぬるい吐息は私に鳥肌を起こさせて、小さなうめきを誘う。

 

 ふー、はー。

 

 奥へ奥へと侵入してくる風に負けて私は頭部を力なく茜に預けた。口元がだらしなく緩くなってしまうのが自分でも分かる。

 

「じゃあさこっちはどうかな」

「え……んっ!」

 

 透き通るような白い手は胸のマッサージをやめると、その指先で私の乳頭をさすった。その痺れるような刺衝ししょうを我慢できず、ついに甲高い声を漏らしてしまった。

 

「あかね……それっ」

「どう? 乳首こんなに触られるのも初めてだよね」

 

 乳首が弾かれ、こねられ、押し込まれる。身体は私の意に反して逐一反応を見せた。脇が締まって、太ももが閉じ、全身が硬くなる。私を抱えるように抱く茜にはその全てが伝わってるのだろう。恍惚こうこつとして甘い声で囁いた。

 

「気持ちいいの?」

「分か、んないっ……」

 

 今の状態を気持ちいいと形容していいのかが分からない。耳かきのように心穏やかになる刺激ではないし、リラックスできるものではない。だけど甘美でクセになってしまう危険な感じだということは理解できる。気持ちいいとは一味違う気持ちイイ。

 

「っは……! うぅ……」

 

 茜のいやらしい手捌きは止まることを知らない。並行して連なる指でギターを弾くように断続的に弾かれ続ける右の乳芽にゅうが。一方左は指先を器用に動かして猫の首をくすぐるような優しい愛撫。その効果は徐々に身体に現れ始めた。

 

「ふふっ。ねぇまりー見て」

「なに……」

「まりーの乳首、勃起してるよ」

「え?」

 

 示されるがまま自分の胸の先端をぼやける視界に捉えると、ピンクのそれはぷっくりと膨らんで硬くなっていた。指が触れても押し潰されることなく、形を保ったままピンとしている。

 知らない。

 勃起とは男女の性交渉において、男性側に見られる体の変化ではないのか。私は女なのに勃つなんて、そんなの知らない。

 困惑する表情に気づいたのか、茜は諭すような口調で呟く。

 

「まりーは知らないかもだけど、女の子だって勃っちゃうんだよ? 乳首とかクリトリスとか。まりーのカラダは気持ちイイってよろこんでるの。もっとしてってお願いしてるの」

「そんなのっ……うそ……」

「うそじゃないよ。意地っ張りな本人と違って身体は正直者だから。こんなに元気になってる。かわいいね」

 

 認められない。認めたくない。それじゃあまるで嬉々としてこの愛撫を受け入れているみたいではないか。

 度重なる電撃を受けて自然と呼吸は遅く深いものに、繰り返す刺激に耐えるような溜めを伴うものに変わっていく。声を押し留めるために噛み締めた歯の間隙からしぃー、しぃーと吐息が漏れだした。

 

 はぁ……熱い。

 

 私の心臓は早いテンポで躍動し多量の血液を全身に巡らせていた。浴槽の外は冬の夜だというのに体温は著しく高く、肌が赤みを帯びているのが分かる。まるで長距離マラソンを終えたばかりのようだ。

 

 湯あたり、したのかな……。

 

 茜に全てを預け、されるがまま。思考にもやがかかった私はふと、なにかに繋がっていないとふわっと消えていってしまうような非現実的な不安にさいなまれる。

 お腹の奥底がじんわりと熱を帯びて初めて感じるくすぐったさを押し広げた。

 

 その不安はどこから来るのか。今の私には分からないけれど、腕はひとりでに胸を弄ぶ白い手を捕まえて、強く肌に押し付ける。

 私の鼓動の全部を茜に流すため。

 さっきよりも更にぼうっとする視界で縋るように背後の茜に振り向いた。

 

「あかね、のぼせちゃったかも……」

 

 茜がヒュっと息を吸って目を見開く。

 見つめ合う刹那。だけど永遠ともいえる。

 それを切り裂くように彼女は出し抜けに口を開いた。

 

「まりーごめんね。私もうダメだ」

「ぇ……?」

「行こ」

 

 ふらつく私を抱えるようにやんわりと立たせると、側にかけてあったバスタオルで体を拭いてくれた。だけどその手つきはおざなりで、タオルでぼふぼふと叩くよう。産まれたままの姿で、暖められた部屋に戻ると私をベッドに座らせてくれた。

 

「ぁりがと……」

「ううん、いいの。だって私がしたいことなんだもん……」

 

 茜は私の肩をガシッと掴む。

 その口からは、はぁーという深い吐息が音になって漏れだしていた。

 

「あかね……? あっ!」

 

 世界がぐわんと回転する。

 呆けた頭ではそう認識するのが精一杯。

 だから自分が仰向けに寝ていると気づいたのは、茜に覆い被さられてからだった。

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