第33話

 東口の改札を抜けて駅直結のエスト地下一階。そこからエレベーターで地上三階まで上がると、いつの間にか目の前には、淡いピンク光を振り撒くランジェリーショップがあった。立ち並ぶマネキンには華やかなものから少々際どいものまで。この中のどれかを着せられると思うと鳥肌が止まらない。茜は私と違って二の足を踏むことなく彩りの異界へと飛び込んでいってしまい、仕方なく後ろについていく。

 

「どれにしよっかな〜。まりーの希望は? 採用するかは別として」

「シンプルなものがいいです……」

「ふむふむ不採用」

 

 こいつっ! 今日は一切合切拒否できないのをいいことにっ!

 

 美術の教科書を覗いているのかと思えるような程カラフルな店内はまるで知らない世界で、大理石調の床を踏みしめる度に戸惑ってしまう。右も左も前も後ろも全部下着。非常に落ち着かない。ただ安くてストレスフリーで無難な下着しかつけてこなかった私にとっては特に。

 

 うわ、あれすご。

 

 彼方にはハワイアンテイストな艶やかな下着をマネキンが纏っている。ソーダを思わせる爽やかな水色をベースに、カップ部には紅緋べにひのハイビスカスの大輪があしらわれた精緻せいちなつくりだ。生身が身につければ大腿部の扇情的なベルトも相まってさぞセクシーな肉体を演出するのだろう。

 

「おやおやぁ、もしかしてあれがよかったり?」

 

 ぬるりと現れた茜は背後から私に抱きつく。

 こいついつもよりアプローチが一段と積極的だ。

 

「見る目あるね〜。あれはワコールのサルートっていうめちゃくちゃおしゃれセクシーで有名なブランドなんだよ〜。あれつけちゃったら、まりー……とっっってもえっちだね……」

「やめろ、離れろ」

 

 公の場なのも気にせず、至近距離で耳に温い声を吹き込んでくる茜に危険を覚えながら身を引いた。焦りと緊張でたまらず汗が浮いてしまう。

 

「バカじゃないの? 絶対着ないから」

「口の利き方にはお気をつけあそばせ。今日のまりーには拒否権がないので」

「くっ、本当にあれだけはご勘弁願います」

「よろしい。確かに今日はあれの気分じゃないな」

「ぐぐぐっ……」

 

 口をついて出てしまった乱暴な言葉も今日の茜にはノーダメージで涼しい顔をしている。

 

 夜道で刺してやるからな。てか今日以外なんてないからな。

 

「よし、これとこれとこれ。試してみよ」

「そんなにたくさん?」

「時間はいっぱいあるんだから。ね」

 

 確かに今は午後二時でホテルで過ごすには早いかもしれない。

 

 待て。早く行けば行く程密室で二人きり……よし、引き伸ばそう。

 

「あー色々試してー」

「お、乗り気になった⁉︎ じゃあこれとそれ……」

「いや、そういう意味では……」

 

 四面楚歌。なにを選択しても悪い未来しかないのほんとに意味分からん。

 

「お客様〜。もしかしてフィッティングをご希望ですかぁ〜」

 

 そこへランジェリーショップの店員が百点満点の営業スマイルを浮かべてやってきた。試すと聞いて素早く手伝いにきたのだろう。とても優秀な店員だ。この際誰でもいいから助けて欲しい。

 

「それでしたら店員にお任せくださ〜い。当店員は全員プロ級の……」

「結構です! この子のフィッティングは私、この小榑茜が誠心誠意担当するのでお構いなく!」

「……左様でございますか〜。フィッティングルームはあちらになりますので〜」

 

 明らかにドン引きしてる店員はそそくさと場を離れていった。

 

 はず。一緒にいる私が恥ずかしい。なにが誠心誠意だ。下心で生きてるくせに。

 

「ふん。まりーのおっぱいはわ・た・しが一番よく分かってんだから」

「ほんとに黙れください。ほんとに」

 

 もうやだ。誰か助けて。精神がががが。

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