第十九話 守護なしのウィルテイシア

 魔物を相手にしたことは何度もあるが、魔族と遭遇するのは、これが初めてのこと。今の俺の実力で、果たして魔族に対抗することは可能なのか。


 この状況で何をすべきなのかはわかっているのに、実際に行動に移すことができない。これはひとえに俺の自信が弱いからだ。師匠を相手にするよりも怖いことなど、そうそうないだろうと思っているにもかかわらず。


 そんな俺の弱気を察したのか、ウィルテイシアが一度速度を落として、俺の真横の並んだ。


「急げ、ライオット! 奴らは精霊を食い物にする! それは何としても防がなければならないからな!」


 そう言って、ウィルテイシアが俺の手を取る。そんな彼女の手は、小さく震えていた。


(ウィルテイシアも、怖い……のか?)


 俺はその事実が衝撃的で。束の間、一次的に思考を停止してしまう。


 よく考えれば、わかることだったのかもしれない。


 俺たちはこれから、命のやり取りをしに行くのだ。そしてそれは、必ずしも勝利につながるとは限らない訳で。


 相手が魔物でなく、魔族であるのならなおのこと。


 先代魔王を討伐した彼女は、その恐ろしさを身を持って体験しているのだから。


「ウィルテイシア――」

「言うな! 貴方あなたにそれを口にされてしまったら、私は……。この先ずっと前に進めなくなるかもしれない……」


 握られた手から、柔らかい感触と温もりが、俺の心にじんわりと伝わり。些細ささい躊躇ためらいや恐怖が洗い流されて行く。俺のことを真っ直ぐに信じてくれている彼女の手だからこそ、こんな気持ちになるのだろう。


(そうだ。俺はもう彼女の旅の道連れなんだから。俺の覚悟云々うんぬん以前に。もう、彼女と並んで立たないといけないんだ……)


 もちろん精霊たちのことも心配だが、女性に頼られて黙って見過ごす男がいていいはずはない。彼女の信頼にこたえるためにも、俺は俺にできることを、精一杯やり切るしかないのだ。


「そうだな! 行こう、ウィルテイシア!」

「ああ! あなたのその瞳が、力強い視線が、私に力をくれる! 共に、この泉を守り抜こう! ライオット!」


 お互いに頷き合ってから、またスピードを上げる。


 木々が邪魔で迂回うかいが必要かとも思っていたのだが。何故か木々は俺たちに道を譲るように、自ら避けて道筋を示してくれる。これも精霊の住処ならではの現象なのだろうか。興味深いが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 いまだ土煙に包まれている辺りまでやってくると。そこには明らかに異質な気配があるのがわかった。土煙つちけむりのせいで相手の姿は見えないものの。これはかなりの大物の予感だ。


(気配からして、数は一か……。不幸中の幸いと言えばいいのか、どうなのか……)


 とにかく、相手が見えないのでは戦略の立てようがない。俺は風魔法で土煙つちけむりを吹き飛ばし、真っ先に視界を確保する。


 そうして明らかになった相手の姿。一見すると人間に近いシルエットだが、明らかに異なっている点がある。


 人間ではあり得ない紫色の肌。一見細身で非力そうだが、その体内からあふれ出す魔力の密度が、人間のそれを大きく凌駕りょうがしている。特徴的とくちょうてきなのは、エルフほどでないにせよとがった耳と、緑の眼球、そして赤い瞳。背中から生えているコウモリに似た翼は、恐らく飛行能力を備えていると見ていいだろう。これは、思っていたよりもヤバいかもしれない……。


「……お前が、魔族か?」


 答えてくれると思ってはいないし、そもそも言葉が通じるかどうかも怪しいけど。それでも相手にも知性は見て取れるので、こちらが口を開けば何か反応を返すのではないか。そう思った次第である。


「ん? 人間か? ここは精霊の住処だったはずだが……」


 俺という人間がここにいることを想定していなかったのだろう。相手の表情には、純粋な疑問の色が浮かんでいる。


 が、相手にとってはそれは些細なことだったらしい。すぐに不敵な笑みを浮かべて、殺気を孕んだ強烈な視線をこちらに向けて来た。


「まぁ、構わんか。どうせこの我に蹂躙じゅうりんされることに変わりはないのだからな~!」


 魔族の身体から溢れ出す魔力量が、桁違いに跳ね上がる。


 それでも師匠には、届いていない。彼女に比べれば、まだ可愛げがある感じだ。もっとも、それでも俺が目にした中では。こいつは相当に強い部類に入る訳だけど……。


「どうする、ウィルテイシア! こいつ、結構ヤバそうだ!」


 俺がその名を出すと、どういう訳か、相手はそちらに興味を引かれたらしい。


「ウィルテイシア? ウィルテイシアと言ったか? そうか、そこにいるエルフ。お前があの、守護なしのウィルテイシアか!」


 魔族が、ウィルテイシアを嘲笑あざわらう。


 それが何だか無性むしょうにイラついて。思わず舌打ちをしてしまった。


(それにしても守護なしって……。いったい何のことだ?)


 それが何を意味しているのかを、俺は理解できなかった。俺はエルフという種族に対する知識が少な過ぎる。相手の言い様から、それが嘲笑ちょうしょうを込めて発せられたということはわかるのだが。意味がわからなけければ、相手の言葉を否定することも、ウィルテイシアにフォローの言葉をかけることもできない。


 ふと彼女に視線を送る。その表情には、口惜くちおしさと、諦めが混在したような、複雑で。しかし明らかに傷ついている。それが伝わってくる様相だった。


「ウィルテイシア、どういうことだ!? 守護なしって何なんだよ!?」

「……それは――」


 この時ばかりは、彼女は俺に対しても笑いかけてくれない。悔しそうに唇を噛みしめているばかりで、俺に視線すら向けていないではないか。


 俺はそれが悲しかったし。悔しかったし。恐ろしかった。


 俺を全面的に受け入れてくれた彼女を、俺は受け入れることができていない。俺に知識がないばかりに、彼女をこの状況から救い出すことができずにいるのである。


 嘲笑あざわらい続ける魔族は、一見無防備のようでいて。それでいて全く隙がない。気持ち悪いくらいに自然体なのに、どう攻め込んでも迎撃される未来が見えた。こいつは強い。間違いなく、過去一番の難敵だ。


 だけど――。


「……ウィルテイシア。ここは俺に任せてくれ」


 ここで見ているだけなら、勇者ハヤト恋人フィオナを奪われた時と同じ。俺の方を向いてくれない人の、その理由を察して。相手の心ときちんと向き合い、誠実に対応する。


 それができなかった過去の俺を脱することができなければ。例えこの先の未来で、ウィルテイシアと恋愛し、結婚することがあったとしても。彼女を幸せにすることは叶わないだろう。


『過去の自分を超えて行け。未来はいつだって、今を全力で生きた先にこそある』


 師匠の言葉が頭に浮かんだ。


 その通り。今を全力で生きられない奴に、努力の神も勝利の神も微笑まない。日々積み上げて、積み上げて。そうして重なった努力の果てにこそ、辿り着ける景色があるのだと。


「いつまで笑ってやがる! いい加減、そのくせぇ口を閉じやがれ!」


 俺は意図して派手に啖呵たんかを切って見せ、背負った杖を槍として構えた。


 ウィルテイシアに話を聞くのは、この戦いが終わってからでいい。


 だから、今この瞬間は。せめて、この瞬間だけは……。


 一人の『抗う者』として。一人の『男』として。


 派手に咲き誇って魅せようじゃないか。


 ここが俺の、一世一代の大舞台。


 これから先の俺の未来を決定付ける、最重要局面。


 なればこそ、最初から全力で。


 相手善悪ではなく。絶対に相容れることのない、決定的で迷う余地も皆無の。純粋に、倒すべき敵の一人として。


 恐怖も、惑いも 弱気も捨てて。気丈に、猛々しく。


 遠慮も、情けも、容赦ようしゃも捨てて。相手を殺す。ただ殺す。


 ただ一つの、勝利という未来を掴むために。


(……覚悟は決まった。あとは、やるだけだ!)


 俺は大きく息を吐いて。全神経を、目の前の魔族に集中させた。

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