第十八話 魔族

 無数に飛び交う、虫のような羽を生やした光の玉。おとぎ話に登場するような人型ではなかったが、この清廉にしてどこか儚げな存在が精霊であるのだと、直感で理解する。


「すごい。こんなにたくさん……」


 さすがは精霊の住処と言ったところ。そこはまさしく精霊のために存在する空間と呼ぶにふさわしい。風に揺れる木々も、合唱隊のように咲き歌う花々も、微笑むような陽光を反射する水面も。


 その全てが、人間の世界ではお目にかかれないような神秘性に満ちていた。


「ふふ。すごいだろ? 人間界の空気が悪いとは言わないが、ここと比べたら遥かに劣る。この清浄な空気……。久しぶりだな……」


 ウィルテイシアも、ここでは周囲への警戒心を解いているようで、頬を緩ませながら精霊たちに挨拶するように手を差し出している。


 その光景は神々しくすら見え、ともすれば額縁に入れて保存したいくらいだが。いや。切り取ることができない瞬間だからこそ、こんなにも心惹かれるのだと思い直し、俺は小さく首を横に振った。


「それにしても、よく俺を通してくれたな。こんなに素晴らしい景色を見せて貰えて、本当にありがたい話だけど……」


 誰にともなく呟いた俺の方に、一匹の精霊が、ふよふよと近寄って来る。どう出迎えればいいのかと内心では焦りつつ、ウィルテイシアに倣って、そっと右手を差し出し、人差し指を伸ばしてみた。すると、トンボのような翅のついた、ピンク色の光の球体が俺の指先にとまる。


 指先で緩やかに明滅を繰り返す精霊。そのままそっと指先を自分の顔の前まで持ってくると、思いの他大きな声が、ピンク色の光の球体から発せられた。


「仲間のにおい、する。でも生きてる仲間じゃない。不思議ぃ~」


 その声に釣られたのか、それともただ同調しただけなのか。他の精霊たちも俺の周りを飛び交うようになり、口々に同じことを口にする。


「不思議ぃ~。仲間のにおいする人間、初めてぇ~」

「不思議ぃ~、不思議ぃ~」


 俺が精霊たちの動向におろおろしていると、数匹の精霊が、何故だか俺の胸の辺り。ちょうど石のお守りが入った内ポケットの付近に集まり始めた。


「仲間のにおい、ここからするよ?」

「どぉ~して~?」

「不思議ぃ~、不思議ぃ~」


 まさか、石のお守りに反応しているのだろうか。そう思い、精霊たちを驚かせないようゆっくりとした動作で石を取り出す。


 すると、取り出した石のお守りは、何故だか淡いみどりの光を発していた。こんな現象は、今までに見たことがない。


 思わず光る石を覗き込む。今まではどう見ても、多少表面が艶やかで、見た目が綺麗なくらいのただの灰色の石でしかなかった。それが、どうだ。


 透き通るような光を放つそれは表面を透過して、内部まで見通せるようになっている。中心の核と思しき部分が金色の光を放っており、その断面には、古代語と似た文字が一つ、輝くように刻まれているではないか。


「これだ! これだ!」

「精霊石! 精霊石!」

「すごぉーい! こんなにちゃんと残ってるなんて~!」


 精霊たちのテンションが一層高くなるが、俺はそれについて行けない。


 どういうことかとウィルテイシアに助けを求めるべく視線をやると、彼女いつの間にか、すぐ傍まで来ていた。


「これは珍しい。完全な形で残っている、見事な精霊石だ」

「……えっと。精霊石って?」


 ウィルテイシアの説明によれば。精霊石とは、かつてこの世界に生きた大精霊の亡骸なきがらが結晶化したものであると言う。まさかそんな大層なものが、あの何もない農村近くの川辺に落ちていたとは……。


 しかし、この輝きを見れば、それがただの石ではないことは明白で。途端にそれが、長い時を経ても尚残る、かつての名を馳せたであろう大精霊の息吹いぶきの残り香なのだと思い知る。


「そんなに貴重なものだったのか……。一応貰い物でもあるし、毎日磨いてはいたけど……」

「それがよかったのだろうな。精霊たちの、この浮かれ様。私も初めて見る」


 ともあれ、この石のお守り――精霊石を持っていたからこそ、精霊たちが俺を招き入れてくれたのかもしれない。となれば、過去の俺のおこないに感謝しなければなるまい。


 言葉で言われたお守りというだけでなく。確かな由来が、そこにはこもっていたのだから。


 と、ここで、遠くから轟音が響いた。


 慌ててそちらに視線をやると、木々の向こう、少し離れたところから土煙が上がっている。そこに住んでいたのであろう鳥たちも、慌てた様子で飛び立ち、地に住む獣たちの悲鳴も聞こえてくる始末。


「一体何が――!?」


 初めての事態で周囲を警戒するしかできない俺に、ウィルテイシアは冷静に、しかし深刻な表情で告げる


「何者かが結界を破壊して侵入してきた……」

「なっ!? 精霊の結界を破壊って、そんなの――」


 「誰が!?」と続けようとして、俺はその言葉を飲み込んだ。


 こんな芸当ができる種族など、そう多くはない。精霊の施した結界を、力ずくで破壊せしめる種族。それは――。


「魔族か!?」


 俺の中で、一気に緊張感が高まる。頬を伝う汗が、嫌にねっとりとしているように感じて。恐怖とは言わないまでも、嫌な感情が、俺の胸中を駆け巡るのがわかった。


 ウィルテイシアと頷き合って、土煙の上がった方角へと走り出す。


 精霊たちが慌てて俺たちの後を追い、周囲はさながら光の川のようになった。


 様々な色の光が、集まり、流れ、駆け抜ける。これは精霊たちにとっても一大事なのだろうから。集団で立ち向かうと言うのなら、行動原理としては納得がいく。


(精霊も、俺たちと同じ生き物なんだな……)


 どこか遠くに感じていたエルフや精霊といった異種族。


 交流が途切れて久しい今となっては、この出会いこそが異常で。あり得ないこと。


 それでも、俺は。この精霊の住処を守ってやりたいと。そう強く思った。


 魔族が共通の敵だと言うのなら、手を取り合うのもいいだろう。種族間で競争に明け暮れている場合ではない。


 真に魔王の脅威を払おうと思ったなら。競争ではなく、共闘をこそするべきなのではないだろうか。俺一人がそう思ったところで、種族間の溝は埋まらないけど……。


(とにかく! 今は、侵入して来た魔族の排除だ!)


 相手の強さも、数もわからない。


 ただ、今まで戦った魔物――。あの『群青のデモストール』を引き合いに出してもまだ、圧倒的に足りないと言うほど。濃密な闇の魔力が、こちらまで漂ってきている。


(今の俺で、戦いになるのか?)


 デモストールは何とかなった。でもそれ以上となると……。


 自信がない。


 決定打がない。


 結論。戦いになるかわからない。


 そんな状態でも尚、足を止めずにいられるのは。ウィルテイシアが先行しているからで。


 普段の『愛らしい彼女』ではなく、『伝説の大英雄としての彼女』の背中がそこにあるからこそ。俺は臆することなく、前に進むことができている。


(それじゃあ、ダメだろ!)


 戦闘まで彼女におんぶに抱っこでは、それこそただのヒモと変わらない。彼女は俺という存在を認め、実力を認め、それを好きだと言ってくれたのだから。


 ならば俺は、その好意に報いる必要があろう。


(彼女ほどの女性に好かれるなら、それに相応しい男にならないと!)


 例えこの身が砕けたとしても。彼女の期待だけは裏切ってはならない。


 彼女が心から隣にいたいと思えるような。彼女の隣に並び立つに相応しい男であろうと、俺は……。


 覚悟を新たにして、大英雄の背中を追いかけた。その先に待つ、どす黒い殺気を目指して。


 この時はまだ。進んだ道の先に、星婚ステラリガーレの真実の一端を目にすることになるとは、つゆとも思わずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る