第29話 王子、聖騎士団壊滅の報を受ける

カツ、カツ、カツ、と神経質な足音が、磨き上げられた大理石の床に響き渡る。

ルキオン王子は、自室の豪奢な絨毯の上を、檻の中の獣のように苛立たしげに往復していた。

聖騎士団を貧民街に派遣してから、丸一日が経とうとしている。


「まだか!まだ報告はないのか!」


落ち着きなく歩き回るのをやめ、ルキオンはソファに座る側近の大臣に怒鳴りつけた。

大臣は、こめかみを押さえながら、重々しく首を横に振る。


「は、それが…斥候を何度も放ってはいるのですが…」

「いるのですが、なんだ!歯切れの悪い!さっさと言わんか!」

「はっ!貧民街は、まるで死んだように静まり返っている、と…。内部の様子が、全く掴めない状況でして…」

「静まり返っているだと?それは鎮圧が完了したということではないのか!」


ルキオンの期待のこもった問いに、大臣は一層顔を曇らせた。


「いえ…もし鎮圧が完了していれば、ジラルド団長から何らかの報告があるはず。それが一切ない、というのが…その…不気味でございます」

「チッ…あのジラルドめ…!まさか、アデルが友人だからと、手心でも加えているのではあるまいな…。もしそうなら、あの男も反逆者と見なし、団長ごと処罰してくれるわ!」


ルキオンが忌々しげに爪を噛み、新たな処罰対象に思いを巡らせていた、その時だった。


「失礼いたします!緊急のご報告が!」


扉が乱暴に開け放たれ、一人の斥候兵が息も絶え絶えに転がり込んできた。

その顔は土気色で、明らかに尋常な様子ではない。


「な、なんだ騒々しい!で、どうした!討伐は完了したのか!?」

「も、申し上げます!聖騎士団討伐部隊は…討伐部隊は…!」


斥候は床に膝をつき、ぜえぜえと肩で息をしながら言葉を絞り出す。

ルキオンはもどかしさに足を踏み鳴らした。


「はっきり言えんか、この愚図が!部隊はどうなったのだ!」

「…壊滅いたしました!」


シン、と部屋が静まり返った。

ルキオンは、自分が何を言われたのか一瞬理解できなかった。


「……なんだと?聖騎士団が…壊滅…?馬鹿な!相手は、たかが数人の女とアデル一人のはずだぞ!王国最強の騎士団が、貧民街のゴロツキどもに後れを取ったとでも言うのか!」

「そ、それが…!壊滅、と申しますか…その…」


斥候は何かを恐れるように、言い淀んでいる。ルキオンの目が、危険な色を帯びた。


「はっきり言え!!」

「はっ!ジラルド団長以下、討伐部隊の全員が……自らの意志で、アデル様に寝返った、とのことでございます!」


「……は?」


ルキオンの口から、間の抜けた声が漏れた。

隣の大臣が「ひっ」と短い悲鳴を上げるのが聞こえる。


寝返った?

王国に絶対の忠誠を誓うはずの、あの聖騎士団が?

自分の命令で動いた部隊が、丸ごと、敵になった?


それは、ただの討伐失敗ではない。自分の愚策が、敵の戦力を増強させるという最悪を通り越した結末だった。

ルキオンの脳裏に、厳格な父王の顔が浮かんだ。


(父上に…このことが知られたら…?)


独断で騎士団を動かした上に、その騎士団を丸ごと敵に寝返らせた。

勘当?王位継承権の剥奪?いや、それだけで済むはずがない。国家への反逆と見なされ、牢獄に繋がれるかもしれない。


「…だ…だめだ…!父上にだけは…!絶対にバレるわけにはいかない…!」


恐怖が、ルキオンの理性を焼き切った。彼は鬼の形相で、側にいた大臣と床にひれ伏す斥候に掴みかかった。


「聞け!いいか、お前たち!今聞いたことは、全て忘れろ!聖騎士団は、まだ貧民街で戦っている!そうだな!?」

「は、はひぃ!」

「もし、このことが一言でも父上の耳に入ってみろ!貴様らだけではないぞ!一族郎党、親戚縁者、赤子に至るまで、全員の首を刎ねてくれるからな!分かったな!」


正気を失った王子の剣幕に、大臣と斥候は恐怖に顔を引きつらせ、首がちぎれんばかりに頷くしかなかった。


「わ、分かっております!決して、決して他言は…!」

「もちろんでございます、王子!我らの命に代えましても!」


二人を突き放し、ルキオンは狂ったように次の手を考える。

そうだ、まだ手はある。騎士がダメなら、別の力を使えばいい。


「大臣!王宮魔術師団長を呼べ!クロムだ!今すぐ、ここへ連れてこい!」




程なくして、呼び出された王宮魔術師団長クロムが、のんびりとした足取りで部屋に入ってきた。

彼は、室内の異様な緊張感にも全く気づかず、探究心に満ちた目でルキオンを見つめる。


「ルキオン王子、お呼びでしょうか。何か、面白い魔法でもご入用で?」

「クロム!貴様と、貴様の部隊に緊急の任務を与える!」


ルキオンは、血走った目でクロムに命令を下した。


「貧民街に巣食う反逆者どもを魔法で根絶やしにしてこい!」


その言葉に、クロムの目がキラリと輝いた。

聖騎士団の寝返りなど、彼にとってはどうでもいいことらしい。


「ほう、魔法による殲滅任務、ですか。それはまた、実に興味深い。して、どのような魔法がご所望で?広範囲を一気に焼き払う『インフェルノ』か、それとも一点集中で対象を分子レベルまで分解する『ディスインテグレート』がよろしいかな?」

「なんでもいい!どんな魔法でも構わん!あの裏切り者の騎士団ごと、アデルも、生意気な女どもも、貧民街のゴミどもも、全て塵も残さず焼き払ってしまえ!」


ルキオンの狂気に満ちた叫びに、クロムはうっとりとした表情で一礼した。

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