第5話



翌日…私はあの人の実家へと向かっていた。



5階建ての公営住宅…階段を上がると


「木暮」という表札が、無機質な金属のドアにかかっていて…



震える指で、呼び鈴を鳴らすと…



「はーい。」



懐かしい声。


あの人と付き合っていた時…

私のことをとても可愛がってくれていた、あの人の母親の声。


ガチャリと…ドアが開いて



人の良さそうな顔は…全く変わっていなかった


そして拍子抜けするくらいに…

あの頃と変わらぬ調子で…


「あらっ。美沙ちゃんじゃない。久しぶりねー」


昔と同じように…私に話しかけてくれた。


私は…ゆっくりと頭を下げて…


「はい。どうも…ご無沙汰して…います。

あっ、あの…私…何も知らなくて…

佑紀君に…お線香を…あげさせて、貰えませんでしょうか…?」



「ええ…もちろん。嬉しいわ。わざわざありがとね、美沙ちゃん。」


彼女は…私に…優しく微笑んでくれた。


家に居たのは…お母さんだけ…


あの人の家は母子家庭だった。


この人はあの人が亡くなったあと…

ずっと1人で生きてきたのだろうか。



それから…家の中へと上がらせてもらい、

こぢんまりとした仏壇の前へと案内された。


そこに飾ってあるのは…あの頃のままの…

学生服を着て、優しく笑う彼の写真。


彼の優しい笑顔は…きっとお母さん譲りだったのだろうな。



「佑紀?ほら、美沙ちゃんが会いに来てくれたわよー。あなた、あんなに会いたがっていたじゃない。良かったわねー。」



私が仏壇の前に座ると、おばさんが…

写真に映るあの人へと話しかけた。



私には…

泣く資格など無いことが分かっているのに…


胸が締め付けられて…


溢れる涙を止めることが…出来なかった。



カタカタと震える指で…線香をあげ…


手を合わせて…


ただひたすらに…あの人に謝った。



「美沙ちゃん…泣かないで。

きっとあの子も天国であなたが来てくれたことを喜んでいるから。」


おばさんは、後ろから私の肩に手をあてて…

そう慰めてくれた。




「美沙ちゃん。今日はありがとうね。」


「いえ…本当に…こちらに来るのが、遅くなってしまい…申し訳ありませんでした。」


「ううん。来てくれただけで、充分。

あっ、そうだわ。ちょっと待っててね。」


おばさんは…そう言うと、立ち上がって。


ずっと閉じられていた部屋の襖を開けた。



瞬間…目に映る…


あまりにも懐かしい風景。



全く変わっていなかった。



壁も…勉強机も…本棚も…


一緒に勉強をした…


小さなテーブルも…クッションも…


2人で…初めてを捧げ合い…

何度も愛を交わした…


あの小さな…シングルベッドも…



その空間だけが…


時に置き忘れられたかのように…



主人公が不在のまま…



あまりにも変わらずに…そこに在った。





あまりにも愛しい思い出。私の宝物。




思わず立ち上がって…



その空間に足を踏み入れてしまった。



本棚に飾ってある写真が目に映る。



そこには…

あの人と私が無邪気に笑っている写真…


何で…まだ…飾ってあるのか…




「これね、あなたに渡しても…良いかしら?」


呆然とただ立つだけの私に、

おばさんから渡されたモノは…



手紙の束だった。



「あの子が…あなた宛てに書いていた手紙。何度も出そうとして…諦めていたみたい。机の奥に仕舞い込んであったのよ。」


そう言って…おばさんは笑った。


「えっ…」



「中身は…私は読んでないわ。何となく…内容は分かるけれどね。今更…迷惑だと思うけど…

嫌なら…読まずに捨ててしまって構わないわ。


ふふっ。


だって…これは私からの…美沙ちゃんへの…小さな復讐だから。」



悲しそうに…お母さんは…微笑んだ。



「あの子のことを…忘れないでいてあげて。」





実家へと戻り…

自室だった部屋で、手紙を開けた。



そこに綴られていたのは…


あの時…


私を許せなかったことへの後悔と…


私への愛だった。




あの時…彼が…


今にも泣き出しそうな…顔で…



「うん、美沙…幸せになってね。」



そう口にして笑った時の…


あの人の気持ちは…





私は…結局…その相手とは…1ヶ月も経たずに別れて…


この街から…逃げ去るように…遠くの大学へと進学してしまった。




私の心に刺さっていたとげは…


私の心を強く縛り絡みつくいばらとなった…







ーーーーーーーーー



1ヶ月後…


私は…あの人の実家に居た。



「お義母さん、今日のご飯はどうしますか?」



夫とは離婚した。


最初…おばさんには、拒否をされたが…


無理やりに押しかけた。



あの人を失い…1人で生きているおばさんを、


これ以上…


孤独なまま人生を送らせたくなかった。



あの人に囚われて…


生きている人間が2人


ちょうど良かった。




きっと私が死んだ時…



あの人にまた会える



そんな予感がする。



愛してるわ…佑紀。









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徒花 @gfdlove

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