Episode.8 託された世界

「パラレルワールド?」


 現実味のない響きが、空気に奇妙な沈黙を落とした。


「じょ…冗談……ですよね?」


 浩之が困惑気味に問いかける。しかし、彰人は静かに首を横に振るだけだった。


「じゃあ、ドッキリとか……?」


 今度はゆのが恐る恐る口を開く。だが、彼の微笑みが、否定の意をやんわりと伝えていた。


「SFじみた話だ。混乱するのも無理はない。だが、地球の崩壊も、並行世界の存在も……すべて事実だ」

「そ…そんな……」


 本当か、嘘か。判断がつかないまま、それでも“何かが終わろうとしている”という不穏な気配に、場にいた誰かの喉がごくりと鳴った。


「……それって、地球に優しくしなかったから……?」


 ぷっ。


 陸斗の至極真面目な疑問が、張りつめた空気を破り、微かな笑いを呼んだ。


「ちょっと、ふざけないでよ、陸斗くん」

「ふ…ふざけてないですって!」

「陸にぃ……いくらなんでも、それだけで地球壊れないよ……」


 真っ先に吹き出したのは綾乃だった。釣られて彰人も、肩を揺らす。


「温暖化の話か。あれはあれで、なかなかに闇が深いけどな……」

「えっ、なになに、それ!」


 目を輝かせる陸斗に、彰人は笑みを残したまま手を振った。


「今回の話とはズレるから、それはまた別の機会にしよう」

「えー……」

「——話を戻そう」


 彰人の声が、再び場を引き締める。


「私は〈暁プロジェクト〉という国家機密の研究に、プログラム統括として関わっていた」

「えっ!?」


 綾乃が驚きに目を見開く。


「あっ……いや、なんでもないっ」


 彼女は思わず漏らした声をごまかすように笑った。


「ニュースなどで聞いたことがあるかもしれない。表向きには、“次世代仮想空間型6G通信”の開発プロジェクトとされている」

「知ってる!いっぱい衛星を打ち上げて、地上の基地局とリンクさせて、電波の届く範囲を広げるって!」


 ゆのが声を上げた。


「よくそこまで調べていたな」

「えへへ」

「……されている、っていうのは?」


 海斗が問い返す。

 彰人は静かにうなずく。


「実際、その副産物として6G回線のインフラは整備されるだろう。だが真の目的は別にある」


 誰かの喉が再び動いた。


「それは、時空間に発生する歪みに干渉し、並列世界へと接触する技術——

 異世界接触技術“守護者”アナザー・コンタクト・テクノロジー"ザ・キーパー"、通称〈A.C.T.K〉あかつきの確立だ」


 場の空気が、重く沈んだ。


「……ごめん、全くついていけてないんだけど……そんな歪み、本当にあるの?」


 陸斗の問いに、海斗が答える。


「あるよ。地球には重力があるけど、それは世界中どこでも完璧に均一ってわけじゃない。微妙な偏差へんさがあるんだ。その差が、“歪み”を生む」

「全然わからない……」

「……たとえば、トランポリンにボウリングの球を置いたとする」

「うん?」

「球の近くは沈むよね。中心に近いほど深く、遠くほど浅くなる。それを“時間”に置き換えると、重力が強い場所ほど時間の進みが遅く、弱い場所ほど早くなる」

「お…おう……なんとなくわかった……」


 綾乃とうたは眉をひそめ、そらは完全に思考が止まっている。


「……ただ僕にもわからないのは、そんな歪みにどうやって接触して、ましてや“並行世界”に行けるのかって話なんだけど……」

「どちらも、可能だ」


 彰人がはっきりと言った。


「時間の進みが違う“場所”があるということは、歴史の“分岐”が発生し得るということでもある。つまり……“別の世界”が、

「なるほど」

「つ…つまり?」


 陸斗が海斗に助けを求める。


「例えば……」


 海斗が例を出す。


「陸斗がいつも通り二度寝せずに、朝から将棋を指すとか?」

「なんで俺なんだよ」

「最近そんなことがあった気がしてさ」

「……確かに、あったわ」

「そういうことだ。そういう小さな“違い”の一つひとつが、別の世界を生み続けている。それがパラレルワールドの本質だ」

「……リアルに感じるようになってきた」


 うたがぽつりと呟く。


「そして、我々は“マスターワールド”と呼ばれる世界からの接触を受けた。その接触の痕跡を元に、衛星を使って歪みの再現に成功したんだ」

「マ…マスターワールド……?」

「異世界からの“接触”? それって——」

「詳細は、今は話せない。だがいずれ、すべてを知る時が来る」


 彰人の声が低く、慎重に響く。


「私たちはその歪みを利用し、“向こうの世界”への渡航に成功した」


 息を呑む音が、重なった。


「物理、言語、種族……何もかもが、この世界と異なっていた。“異世界”という表現すら、生温いくらいだった」

「い…いくらなんでも……物理法則まで違うなんて……」


 陸斗が皆の声を代弁するように叫ぶ。


「太古から生まれ続けてきた並列世界では、世界の成り立ちそのものが異なっていてもおかしくない。物理法則など、宇宙由来の何かひとつで崩れる可能性すらある」

「そ…そんなこと──」

「向こうには、神素ミールという未知の物質が存在していて、それが世界の構造そのものにまで影響していた」

「……それって、いったい何なんだ?」

「わからない」


 彰人ははっきりと断言する。


「正直、我々にもその全容はつかめていない。ただひとつ確かなのは、この世界の物理や化学では“説明がつかない”。それだけだ」


 その言葉は逆に、神素ミールの“恐ろしさ”を浮かび上がらせた。

 長く沈黙していた海斗が、ぽつりと呟く。


「じゃあ、さっきの物質は……」

「あぁ。あれは、“神素ミール”をエネルギー源として生まれたものだ」

「……兄貴?」

「〈暁プロジェクト〉は、マスターワールドからの“”に備えるために生まれた——ということであってる?」

「……おおむねは、な」

「もしかして父さんは……もう組織を抜けている……?」

「その通り」


 海斗と彰人の会話に皆混乱する。


「なんでそうなるんだよ?」


 陸斗の質問に海斗は小さなキューブ状の物体を掲げた。


「話をまとめると、これは現世に存在しない物質……つまり神素ミールを元に作られた〈原初の結晶マテリアル・キューブ〉というもの。組織が保管していると思われる物質を何故か父さんが“個人で”所持している。つまり組織から離れて、これを持ち出したということだ」

「……盗み出したってこと……?」


 そらが恐る恐る言葉を紡ぐと、海斗は無言で頷いた。


「……なぜ父さんは組織から離れたの?」

「それは……今は言えない」


 彰人の声は静かで、けれど異様な緊張を孕んでいた。


「話せば、君たちは行動を変えるだろう。その小さな変化が、別の歴史を生みかねない。それに……聞かれているかもしれない。“あの世界”に」


 誰も言葉を継げなかった。


「これだけは言える。我々は失敗した。消えた世界も、数多くある。そして……この世界も、例外じゃない」

「じゃあ、私たちは……何をすれば……」


 綾乃が、か細い声で問う。


「この世界でできることは、もう……ない」


 彰人の顔が、苦悶に歪む。


「……けれど」


 わずかな間。


「君たちには、希望がある」


 その声に、空気が揺れた。


「ここに集まったのは偶然じゃない。君たちは“選ばれた”。私は、それを向こうの世界で見てきた」


 いつのまにか、ゆのが肩を震わせ、涙をこぼしていた。


「海斗が、陸斗が、そらが……!そして君たち全員が、この世界を救う力を持っている!私はそれを信じて、これを託したんだ!」


 彰人が掲げたのは——結晶だった。


「頼む……!

 時が来たらこの世界を……救ってくれ!!」

「「「はいっ!!」」」


 何が真実なのか。

 何が虚構なのか。


 それすら分からなくても、彼の言葉には——

 誰もが、あらがいがたい“力”があった。


 少年たちは強く頷き、決意を刻んだ。

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