Episode.1 日常

【日時】ミルス歴400年7月11日 18:30

【場所】ログリア町外 南方 岩石地帯



 真夏が、大地のすべてを飲み込んでいた。

 熱をはらんだ風が、砂をさらい空に渦を描く。

 視界の果て、陽炎の中に、沈黙する影が立っていた。


 五百を超えるであろうその群は、異様な気配を纏っていた。


 角、牙、尾──形こそ違えど、皆どこか異質な輪郭りんかくを宿している。

 身に纏うのは、衣とは呼べぬ布切れのみ。

 その肌には傷が走り、泥と血が乾いている。それでも、目だけは、死んでいなかった。


 荒い呼吸のまま、誰一人として膝を折らない。

 手にするのは、剣や槍ばかりではない。

 鍬、包丁、折れた棒──あらゆるものが、武器となっていた。


 彼らの右側には、百を超える人族ヒューマの冒険者たちが立っている。

 屈強な男たちに混じり、ローブを纏う術者の姿もある。

 その最前に立つのは、片目の長身剣士。

 白銀の髪を後ろに束ね、腰の刀に手を添え、ただ前を見据えている。


 左側には、規律に従う兵士たち六百。

 整列された隊列の先頭に、黄金の鎧を纏った男が仁王立ちしていた。


 千を超す人魔混合軍が、街の入り口に立ち、森の方角を睨む。


 その陽炎の向こう──森の前線には、一万を超える魔物たちがうごめいていた。

 知性なきはずの存在たちが、奇妙なまでの統率を見せている。


 彼らの先頭には、二メートルを超す筋骨隆々の男が佇んでいた。

 その一瞥で、群れは沈黙する。

 熊のような巨体、蠢く奇形。

 すべてが、その男の意志に従っていた。


 人魔混合軍の先頭、エルフの女王が静かに一歩を踏み出す。


「自由とは何か……本当の勝利とは何か。この戦に勝ち、掴み取ってみせよ!!」


 熱が走る。

 女王は全員の瞳を見渡し、さらに叫ぶ。


「ここには人族ヒューマも、魔族マージも、エルフ族エルフィもない。ただ、人だ! 一つとなり、目の前の敵を討て! 行くぞぉおお!!」


「「「おおおおお!!!」」」


 咆哮が大地を震わせる。


「我に続けぇええ!!」

「「「うぉおおおおおお!!!」」」


 女王が走り、千の兵がその背を追った。


「死にたがりどもを地獄へ引きずりおろぜぇえ!!」

「「「グオオオオオオォ!!!」」」


 熊のような巨体の男が叫び、魔物たちの咆哮が熱気を切り裂く。

 その奔流ほんりゅうは地面を揺らし、街の空気すら震わせた。


 突撃する人魔混合軍の中に、ひとり銀髪の少年の姿があった。


 彼だけが、動かない。

 目を閉じて立ち尽くし、わずかに震えている。


 ゆっくりと目を開けた彼の視界に、すでに戦の渦があった。


 手が震え、足がすくむ。

 刀を握る手に力を込め、彼は空を見上げる。

 ひとつ、深く息を吸い──吐き出す。


「ひかり……後少しで全部片付くよ。そしたらさ……探しに行くからね。それまで──」


 何を思い、何を見たのか。


 次の瞬間、彼の目に宿ったものは、決意だった。


「うぉおおおおお!!!」


 魂の底から響く、叫びだった。


 そして、彼は駆け出した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 物語は少し時を遡る。



【日時】西暦2019年7月8日(月)

    X DAYまであと3日

【場所】埼玉県某中高一貫校



 窓の外では、蝉がやかましく鳴いている。

 じりじりと照りつける真夏の陽射しが校舎を焼き、アスファルトの上では空気がゆらいでいた。


 だが、エアコンの効いた教室の中は、別世界のように涼しい。

 半袖のワイシャツを第二ボタンまで外している生徒も多い。


 教卓に立った教師が、プリントを軽く叩いて整えると、その音が教室に響いた。


「それじゃあ、早速発表してもらうぞー」


 その一言に、空調の音しか聞こえなかった室内がざわめきはじめた。


「はいはい、静かにー。じゃあまず……相澤からいこうか」

「えー……」


 教師が名前を呼ぶと、黒髪短髪で筋肉質な男子生徒が渋々立ち上がる。明らかに不満の様子で、大きな体を小さく縮こめながら前へと進む。

 教壇に着くと、肩をすくめながら言う。


「じゃあ、昨日が七夕ってことで……えー、ゆ…夢……語ります」


 照れを隠すような口調。

 だが、声は小さくとも真剣だった。


 教室内には冷やかしと緊張が混ざり、誰もがどこか笑いながら、それでも聞いていた。

 中でも陸斗は、笑いをこらえるのに必死で、机に顔を伏せるようにして肩を揺らしていた。


「──以上です……」

「うん、いい夢だったな。拍手!」


 教室にパチパチと手を叩く音が響く中、彼は逃げるように席へ戻ってきた。

 席へ着くなり、彼は顔を伏せた。


 前にはゆるくパーマのかかった銀髪をワックスで無造作に整えている男子生徒が座っている。

 彼ほど大きくはないが筋肉質で、スポーティな見た目。

 日に焼けた顔を向けニカっと笑い話しかける。


「いやー、浩之ひろゆきくん見直したぞ。いい夢だった!!」

「おまっ……揶揄からかうなよ……!陸斗が後で発表した時、いじるぞ!」


 前に座る陸斗に揶揄われ、拳を握る浩之。


「にしても、みんなの前で夢発表って。小学生かよ」


 浩之が腕を組み、苦笑する。


「先生、熱血だよなぁ」

「だな……」


 ふたりが顔を見合わせて笑っていると、浩之がふと思い出したように言う。


「ところでさ、陸斗はちゃんと書いたの?」

「それがさぁ……何も思いつかなくて、とりあえず“社会に貢献するサラリーマンになります”って書いた」

「……フワフワすぎんだろそれ」

「まぁ無難にいきたかったんだよ、無難に」


 その瞬間、教師の鋭い声が飛ぶ。


「おい、そこ。私語やめろ!」

「「はい……」」


 肩をすくめながら小声で謝り、二人はやり取りを切り上げた。


「──次、五十嵐海斗!前へ」


 その名が呼ばれると、教室の弛緩ちかんした空気がわずかに引き締まる。

 

「はい」


 応答とともに立ち上がった海斗は、黒髪のストレートヘア、切長の目にすらっとした体型。

 肌は白く、姿勢も正しかった。


 足取りも凛としており、美しすら感じてしまう。


「おっ、海斗か」


 浩之が小声でつぶやく。

 陸斗も、隣で自然と背筋を伸ばしていた。


 海斗は、よどみなく語り始める。


「私の夢は、父と同じように、国家プロジェクトに参加できるITプログラマーになることです。

 人々の暮らしを豊かにするシステムを構築し、特に社会的に弱い立場の方々のために設計を行いたいと考えています。

 そのためには、まだまだ努力が必要ですが──」


 堂々とした語り口に、誰一人として冷やかす者はいなかった。

 教師も、教室も、彼の言葉に引き込まれていた。


 語り終えると、自然に拍手が起きる。


「素晴らしい。非常に夢のある話だ。ぜひ頑張ってくれ」

「さすが海斗。俺のときと先生の反応が違う……!」


 浩之が笑いながら、陸斗の背を軽く叩く。


「まぁな!」


 陸斗がどこか誇らしげに胸を張ると、教卓の前から再び声が飛ぶ。


「五十嵐陸斗!次はお前だぞ!」

「あ、はーい!」


 慌てて立ち上がりながら、ちらりと隣の二人を見る。


 七夕の翌日ということで、いつもと違う空気の授業だった。

 でも、だからこそ感じられた。

 ここに流れる、穏やかな時間。

 何でもない日常の温度。



 ────────────



 昼休み。

 チャイムと同時に、教室から生徒たちが飛び出していく。


「よーし、飯だ飯!」

「購買行くぞ!」


 陸斗、浩之、海斗の三人も勢いよく廊下へ飛び出した。

 扉を開けた瞬間、ムッとする熱気が肌を包む。

 冷房の効いた教室から一転、廊下は外の気温に引っ張られて蒸し暑い。


「っ……暑っついな、これ……」

「購買着くまでに汗だくだよ……」


 額の汗を手の甲で拭いながら、三人は購買へと向かう。


「お前今日もメロンパンか?」

「いや、カレーパンの気分かも」


 そんな話をしていると、前方から甲高い声が響く。


「あっ、お兄ちゃん達!」


 振り返ると、銀髪のロングヘアを揺らしながら、制服姿の少女が走ってくる。


「そら、走るな」


 海斗が眉をひそめて声をかけると、そらはピタリと止まった。


「ごめんなさーい……」

「どうした、そら?」


 陸斗が優しい声で尋ねると、そらは嬉しそうに笑う。


「見かけたから、声かけたかったの」

「それだけか。可愛いなあ」


 頭を撫でようとする陸斗を見て、浩之が呆れたように言った。


「お前、ほんとシスコンだな……」

「兄として当然のふるまいだろ?

 そ…それにしても、中等部が高等部の購買に来ちゃダメだろ?」

「だってお兄ちゃん達がいるから……つい……」

「陸が注意するなんて珍しいね」

「俺も兄としての威厳を──」

「陸にぃ、それは諦めて」

「えぇっ!?」


 三人のやり取りを傍で見ていた浩之が、腕を組んでぼそりとつぶやく。


「それにしても思うんだけどさ、陸斗とそらちゃんは銀髪で似てて、海斗とそらちゃんは顔が似てるだろ?」

「急に何だよ?」

「陸斗と海斗って髪色も雰囲気も違うし、双子なのにあまり似てないよなあ」

「それは俺らも謎なんだよね」


 陸斗が肩をすくめた。


「海斗とそらちゃんはモテるしな……陸斗は──」

「うるせぇ!俺には永遠のアイドル・綾乃さんがいるんだよ!!」

「……お兄ちゃん?」


 そらの視線が、ぎゅっと鋭くなる。


「ご…ごめんって!」

「なんだかんだ、そらちゃんもお兄ちゃんっ子だよね〜」


 そらの顔が真っ赤になる。


「ち…ちがうもん!」


 そのとき──


「そらーっ!」


 中等部の制服を着た黒髪ボブの少女が、そらに向かって駆けてきた。


「あ、ゆの!」

「ひゃっ……り…陸斗先輩……」

「ゆ〜の〜……?」


 顔を真っ赤にしながら固まる少女を見て、そらが目を細める。


(お兄ちゃんたちはダメって言ってるじゃん!)

(わ…わかってるって!)


「それより先生が呼んでるの!早く来ないと怒られる!」

「ええっ!?じゃあね、お兄ちゃん達!」


 走り出した瞬間、そらは通りかかった女学生とぶつかった。


「きゃっ!」

「あ、ご…ごめんなさ──」

「……そーちゃん?」

「うた姉!」


 そらが顔を上げる。

 うたと呼ばれた少女は黒髪ロングでぱっちり二重。

 すらっとした体型にまるでアイドルのような可憐さを兼ね備えていた。


「あ、海にぃならそこにいるよ! 私、急ぐから!」


 一方的に言い残し、そらは走り去っていった。


「……また賑やかね」


 うたが苦笑しながら、海斗に手を振る。


「海斗の彼女、ご登場だな。くぅ〜〜うらやましい!」

「なーんで兄貴の恋愛は許されて、俺の“推し”は怒られんだよ……」

「でも最初は、結構嫉妬してたよ」

「そういえば、無視されてたよな……完全に」

「そらちゃん、ガチのブラコンじゃん」


 海斗とうたが並んで立ち、自然に笑い合っている。


「かいくん、もう買ったの?」

「いや、これから」

「……あれ、りっくん、拗ねてる?」

「りっくんって呼ぶな!」


 陸斗の声が、購買前にこだました。



 ────────────



【場所】五十嵐家 自宅


 静まり返ったリビング。


 五十嵐家には三年前にそらが裏山から連れてきた二匹の猫がいる。

 全身黒色の毛並みをしたのが"のん"。

 白く美しい毛並みに頭頂部だけ髪型のように茶色く染まったなかに模様がある猫を"じゅら"と名付けた。


 いつの間にやら流れているニュースをのんが見つめていた。


『……昨日未明、巨大詐欺グループのリーダーとされる男が逮捕されました……』


 ピッ。


 階段を駆け下りてきた男がリモコンを押し、テレビを消す。


「アキくーん」

「なんだーい?」


 二階の陸斗の部屋から妻の声。

 駆け降りたばかりの階段を再び駆け上る。


「りっくん、また体操着忘れてるの」

「まったく、困ったなあ」


 呆れながらも優しい顔で笑い合う、彰人あきととみさと。

 けれど次の瞬間、彰人の顔が静かに引き締まった。


「じゃあ……行ってくるね」

「……いよいよ、なのね」

「うん」

「こんな日が、来るなんて……」


 みさとの目に涙が浮かぶ。

 彰人は彼女を抱き寄せ、頭を撫でた。


「大丈夫。僕が、家族を守るよ」

「……うん」


 ──その言葉と裏腹に、彰人の瞳はどこか決意に満ちていた。


「必ず、ね」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



【日時】ミルス歴400年5月30日

【場所】ログリア町 ガンサイ邸



「いつまでグズグズしてやがる! 早くこっち来い!!」


 夕焼けが町並みに濁った朱を落とすなか、その怒声は獣の咆哮にも似て、壁や地面を震わせた。

 物置の隅、すすけた空間のなかでほこりまみれの古書を読みふけっていたゴミは、肩をびくつかせながらページを閉じた。

 震える手で古びた壺を手に取り、中へと本を滑り込ませ、そっと棚の上へ戻す。


「おい、聞こえねえのか!」


 次の瞬間、扉が荒々しく開け放たれた。

 逆光が土埃を引き連れて物置の闇を切り裂く。

 闇に慣れた視界は一瞬にして焼かれ、白い閃光のように意識を叩いた。


 光のなかに立つのは、熊のような体躯の男──ガンサイ。

 その背後には、同じく奴隷として扱われる者たちの影がぼんやり揺れていた。

 彼らは例外なく商品と思われる武器を大量に持たされていた。


 目が合った。

 その瞬間、言葉よりも先に拳が飛ぶ。


「いっ──!」


 頬に鋭い衝撃が走り、体が横に揺れた。


「言っただろうが、俺が帰るまでに掃除を終わらせとけってよォ」

「ご…ごめんな──」

「ああ!? “申し訳ございません”だろうが!!」


 さらに拳が振り下ろされる。

 鈍い音とともに視界がまた滲んだ。


「も…申し訳……ございません……」


 この程度の“しつけ”では驚かなくなって久しい。

 殴られるたびに心は鈍くなる。

 痛みが過ぎても、名も、尊厳も返ってくることはない。


「チッ、ほんと使えねえゴミだな」


 そう呼ばれることに、かつては腹立たしさもあった。

 けれど今ではその言葉すら、他人のもののように遠く感じた。


「さっさとこいつをゴイルの元に届けてこい」


 小包と一枚の紙切れを押し付けられ、ゴミは小さく頷くと、屋敷を飛び出した。

 ガンサイの印が押された許可証を門番に掲げ、街の喧騒けんそうへ紛れ込む。


 通りには、獣耳を揺らす者や、宙に浮かぶ看板が魔法の光を滲ませていた。

 石畳には屋台の声が響き、空を渡る香辛料の匂いが鼻を刺す。

 一見すれば賑わいのある街だが──

 その賑わいの下に、静かに息を潜める“階層”があった。


 ゴミと呼ばれた少年はフケだらけの黒髪。

 額には短いツノが突き出し、皮膚は乾いた鱗のように鈍く光を弾いている。

 袖のほつれた麻布の上衣に、裸足に近い靴。

 見窄らしい姿を見た通行人は、彼を避けるように道を開け、ある者は侮蔑の視線を投げた。


 露骨な差別は、もはや日常だった。


 角の路地では、同じように角や牙、尾を持つ者たちが、兵士に蹴られ、物陰で呻いている。

 叫んでも、助けを求めても、誰一人として足を止めない。


 ──ここは、魔族マージと呼ばれる者たちが、“奴隷”として扱われる世界。


 それが、この街の「日常」なのだった。

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