第5話 崩れた斜面

 夜通し降った雨は、朝になっても止まなかった。

 村の裏山から流れ込む濁流が、田んぼを茶色く染めている。

 シゲルとミツは、足をぬかるみに取られながら山へ向かった。


 谷筋に差しかかると、そこはすでに地形が変わっていた。

 斜面の半分がずり落ち、根こそぎの杉が何本も倒れている。

 黒土がむき出しになり、まだ水がごうごうと流れ落ちていた。


「……ひでぇな」

 シゲルは泥に足を取られながら斜面を見上げた。

「根が浅ぇ杉ばっか残ったせいだ。間伐もされず、細ぇまま……土を押さえきれなかった」


 ミツは倒れた杉の下を覗き込んだ。

 土に絡むはずの根は頼りなく、まるで紙をちぎったように裂けていた。

「これじゃあ、ひと雨で崩れる。……昔は下草も茂ってたのに」


 下草は土を守り、小さな獣の棲みかにもなっていた。

 だが今は暗い林に草一本なく、雨は地表を叩きつけるまま流れ込む。

 水を蓄えられず、一気に崩れ出す。


「川も濁って魚が死んじまうな」

 シゲルは沢に目をやった。濁流に押され、小魚がひっくり返って流されていた。

「山が死ねば、里も死ぬ。下の田んぼも畑も……みんな泥に呑まれる」


 ミツは無言で空を仰いだ。

 雨は細くなり始めていたが、雲の向こうにはまだ暗さが残る。

 そのとき、足元で何かが動いた。

 小さなカエルだった。泥の中から這い出し、必死に沢へ向かって跳ねていく。


「まだ……生きてる」

 ミツはその姿を見て、かすかに笑った。

「山も、全部死んだわけじゃねぇ」

「そうだ。だからこそ、ほっとけねぇんだ」

 シゲルは斧の柄を握り直した。


 二人はしばらく崩れた斜面を見つめていた。

 雨が上がると同時に、谷から立ち上る靄の中で、折れた木々が静かに横たわっていた。

 それは山の悲鳴のようであり、再生のための沈黙のようでもあった。

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