第6話 『芸能界の女帝と呼ばれた元サレ妻』 ⑩「アカデミー賞ノミネート」


「号外!号外!黒田美咲、アカデミー賞ノミネート!」


2026年1月の朝、日本中が歓喜に包まれた。渋谷のスクランブル交差点の大型ビジョンには、美咲の笑顔が映し出されている。


「日本人女優として実に15年ぶりの快挙です!」


NHKは特別番組を組み、民放各局も一斉に速報を流した。


首相官邸からもコメントが発表された。

『黒田美咲さんの偉業は、日本の誇りです。心から祝福いたします』


一方、新宿のネットカフェ。


レオは震える手でスマホを握りしめていた。画面のヒビから、ニュースの文字が歪んで見える。


「アカデミー賞だと……」


もはや、美咲は手の届かない存在になった。憎しみと嫉妬と後悔が、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。


レオは衝動的にSNSを開いた。そして、偽名のアカウントから投稿を始めた。


『黒田美咲なんて演技下手くそ。コネでノミネートされただけ』

『元旦那を裏切った最低女』

『整形してハリウッド行った売女』


次々と誹謗中傷を書き込む。しかし、すぐに反撃が始まった。


『また元夫の神崎レオか?』

『IPアドレス特定した。新宿のネカフェからw』

『惨めすぎて逆に可哀想』

『嫉妬に狂った元夫、ダサすぎ』


レオの投稿は瞬く間に晒され、炎上した。


『神崎レオ、ネカフェから元妻を誹謗中傷』


まとめサイトが作られ、過去の不倫スキャンダルと共に拡散される。


その時、LINEの通知が来た。蘭からだった。半年ぶりの連絡。一瞬、期待が膨らむ。


しかし、内容は残酷だった。


『ニュース見た。美咲さん、アカデミー賞ノミネートだって。すごいね。それに比べて、あんた何してるの?ネカフェから誹謗中傷?最低。あんたといたせいで私の人生終わった。もう二度と連絡してこないで。さようなら』


既読がついた瞬間、蘭にブロックされた。


レオは頭を抱えた。完全に一人になった。


フロントから内線が鳴る。


「お客様、他のお客様から苦情が。独り言がうるさいと」


「す、すみません」


恥ずかしさで顔が熱くなる。いつの間にか、独り言を呟く癖がついていた。


その夜、美咲の特集番組が放送された。


『添え物から世界的女優へ 黒田美咲の軌跡』


番組では、離婚会見の映像が流れた。


『レオさんの幸せを応援しています』


あの時の美咲の言葉が、今になって重くのしかかる。


続いて、最新のインタビュー映像。ビバリーヒルズの豪邸で収録されたものだ。


「元ご主人へのメッセージは?」とレポーター。


美咲は少し考えてから、穏やかに答えた。


「特にありません。私は前を向いて生きています。過去は過去。彼には彼の人生があるでしょうから」


彼には彼の人生がある——その言葉が、レオの心をえぐった。


完全に、過去の人として処理されている。憎まれることすらない。ただ、存在を消されている。


画面では、美咲の密着映像が続く。


朝5時起床、ジムでトレーニング、英語レッスン、演技指導、台本読み合わせ。一日18時間、休みなく努力する姿。


「正直、しんどいです」美咲が笑う。「でも、添え物と呼ばれた私が、ここまで来られた。だから、頑張れる」


また、添え物。レオの言葉を、美咲は力に変えていた。


番組の最後、美咲からのメッセージ。


「どん底にいる人に伝えたい。人生は変えられます。誰かの添え物でも、脇役でも、必ず主役になれる日が来る。私がその証明です」


レオは画面を見つめたまま、動けなかった。


美咲は、レオのことなど眼中にない。ただ、自分の人生を輝かせることに集中している。


残金3000円。

あと2日でネットカフェも出なければならない。


レオは母親に電話をかけようとして、やめた。

プライドが、最後の一線を越えさせない。


外では雪が降り始めていた。

2月のアカデミー賞授賞式まで、あと1ヶ月。


美咲が頂点を極める時、レオはどこにいるのだろうか。


答えは、レオ自身にも分からなかった。

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