俺と私の文フリTS顛末記

深海くじら🐋文フリ東京41完売御礼💕

第1話 変容~新幹線トイレで目覚めたら

 響いてきた新大阪到着予告の車内放送で山之上やまのうえのくじらは目が覚めた。身体にかかる加速度は確実に減速を示している。

 ヤバい。寝落ちしてた。

 狭い個室の中で状況を思いだしたくじらは、圧迫感のある白い壁を見ながら便座から立ち上がり、下着と一緒にデニムを引き上げた。流れるような一連の動作が、いつもよりもスムースな気がした。

 フツー寝るかぁ、新幹線のトイレの中で。

 前のめりの歩様で自分の席を目指すくじらは、先の自分の過失を思い返す。名古屋辺りから催していた尿意に抗えず、京都で乗ってきた客のざわめきが落ち着いたところでトイレに向かった。ふたつ並ぶ狭いドアの「男女兼用」の方を手前に引いて個室に収まり、いつものように座って用を足す。重力に任せて放出し、添えた手で軽く振って雫を切って……。危機を脱した多幸感に息をついたところで唐突に意識を失ったのだ。

 血圧の急激な変化ってやつだな、きっと。限界まで衰弱した人間は排尿のショックで死んでしまうこともある、って話もあった。あれは手塚治虫のマンガで読んだんだっけ。

 首を前に倒すようにして舟を漕いでいる隣席の若者を起こさないように気をつけながら、くじらは窓際の席に腰を落とした。車窓を流れる支柱は、通り過ぎるごとにその間隔を広げている。

 もうすぐ到着だ。

 くじらは、このあとのことを思って気持ちを昂らせた。改札での待ち合わせを買って出てくれた年若い物書き仲間と、その先に待ち構えている初参加の文学フリーマーケットに。

 通路ドアの向こうであがった野太い悲鳴は風切り音にかき消され、まだ見ぬイベント会場に想いを馳せるくじらの耳には届かなかった。


 降り立ったホームはむっとした熱気で充満していた。空調で快適だった車内に戻りたくなる気持ちを抑えて、くじらは足を前に運ぶ。

 隣の若者が立ち上がるときに向けてきたいぶかしげな表情は気になったが、それよりも今は、このあと初めて逢う物書き仲間に意識を募らせていた。うまく認証してくれないスマートフォンをパスコードで開き、バッジの付いたアイコンに指を置く。DMの画面には「改札出て右すぐの駅マルシェの前に立ってます」と、はっきり表示されていた。

 立ってるったって、もっと手がかり言ってくれないとわからんじゃないか。お互い、文章と声しか知らないんだから。

 苦笑いしたくじらは、下りエスカレーターの右側に寄って短い返信を打った。

「こっちはえんじ色のTシャツを着ています。前は無地で、背中に『金毘羅』って書いてある」


 切れ目のない雑踏から身を避けつつこれと思しき場所に立ち止まって視線を巡らすと、続報にあった目印の京都サンガのタオルを首に巻いた、頑丈そうな男が浮き上がって見えた。

 あれに間違いない。

 ワンテンポ遅れて目が合った男は破顔して見せたが、一瞬で困惑の表情に様変わりした。それに構わず、くじらは胸を張ってずんずんと歩を進めた。

千百閒せんのひゃっけんさんですよね。はじめまして。山之上くじらです」

 右手を男に向かって差し出したくじらは、自分の声に違和感を感じた。まるでヘリウムを吸い込んだときのような……。

「くじら……さんって、……だったの?」

「え? なに?」

 喧騒にかき消された千百閒の言葉を聞き返すくじらだったが、それよりも早く俯いた千百閒が掠れた声を絞り出していた。

「くじらさん、胸……」

 え、と言って見下ろしたくじらは、そのときはじめて自分の身に起こっていた異変に気づいた。

 えんじ色に染め上げられた無地の綿生地は、生まれてこの方所有したことのないふたつの盛り上がりを形づくり、あろうことか、双丘の頂上を尖らせていたのだ。

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