第2話

2


「……で、ほんまにアンタ何してん?」


もう一度、女は私にそう聞いてきました。


「見りゃわかるだろ。眠ってたんですぅ」


「………そう。」


「それと、お前。どこの人?

 すげぇ訛ってる…」


「大阪よ。」


「ふぅん。何があるの?」


「え?」


「いやだから、その…大阪?っていうところ

 には何があるのって。」


「…あんた、大阪も知らへんの?」


「………名前は知ってる。

 …けど、それ以外のことは知らない…。

 知らない所だし、そんなの教わってない」


「……教わる?学校通ってたの?」


「……学校じゃない。施設で育った。

 すごく汚いとこ。

 ここからはだいぶ離れてる。」


「…大阪はたこ焼きとかお好み焼きが有名ね。

あとは…そう!お笑い。吉本新喜劇っちゅうお笑いの劇団が最近できてん。

…いざ、ふるさとの魅力についてって聞かれてみると、なかなかややこしいものね。

うまく説明できないわぁ。」


彼女は世間知らずな私に対して、事細かく「大阪」について教えてくれました。

私の知らないもの、未知の世界。

気づけばとても気持ちが昂っておりました。


「……」


「なんや、鳩が豆鉄砲食ったような顔して。」


「すごい…行ってみてぇなぁ」


「……ふふ。……アタシの家に来るかい?」



「…………は」


それは突然の提案でした。


「アタシの家、すぐそこなんだけど、来る?

 あんた家ないんやろ?

 なら住まわせてあげる。」


「…え、あ…いや、その………」


「……そうねぇ。

 あったかいお風呂…温かい御飯、

 ふかふかの布団。

 今日の夕飯はカレーライスにするつもり。」


カレーライス。そういえばまともに食べたことがない。

施設のは美味しくなかったし、珍しいものだった。


「……えっと、」


「うん?」


「いや…別に、嬉しいとかじゃなくて、

 お前は金蔓…だけど、住んでやる。」


「……その前に人にものを頼む時の礼儀ってもんを教えないとなぁ…」


「…す、住まわせてください。

 お願いします…。」


「よろしい。じゃあ、こっちだから。

 手ェ繋ご。」


「…う、うん。」


その時の私は、どれほど恥ずかしい様だったでしょうか。

耳まで真っ赤になっているのがわかりました。

これを「雷撃」と……「一目惚れ」というのだと。


「どうぞ、あがって。」


彼女の家、というのは、古いアパートの狭い一室でした。

少し薄暗い印象でしたが、逆にそれが落ち着くような気もします。

とにかく、部屋のどこもかしこもが彼女に似合っていたのです。


彼女は 鹿野山 文子と自らを名乗りました。


「文豪の文に…子供の子で、あ、や、こ」


「…へぇ」


「ほら、呼んでみて。」


「……あやこ…あや、こ…あ、や、こ」


「綺麗な名前でしょう?似合ってるかは知らんけど…ウチのお婆がつけてくれてん。」


「………」


彼女……文子の吸うタバコの煙が私の目を覆いました。

そしてその霧は消え……もう一度彼女の顔が見えました。


ふふっ。

彼女の笑い方がとても可愛いと思いました。

シュッとしたつり目に、赤くて小さい唇。

そう。口がとても綺麗で魅力的でした。

彼女の吸う煙草になりたいと思う時もある程、素晴らしく美しかったのです。



夏の、蝉の鳴き声が酷くやかましい日でした。

彼女に吸われる煙草を羨ましく思いながら、私はぼーっとしていました。


「…なに」


「…」


彼女が私に声をかけたのは知っていました。

けれどそんなことよりも彼女の美貌に夢中で、わざと応えないでいました。


「何見てんねん…ふふっ」


それはあまりにも突然のことでした。

そう言って彼女は、自分の吸っていた煙草の口を、

なんと私の口に近づけてきたのです。

先程まで彼女が口をつけていた煙草です。

それを私に向けてきたのです。

どんどん煙草は近づいてきました。


「……ッ」


目を閉じて、覚悟を決めました。

人生初の煙草ですが、そんなことよりも…


あとちょっと、あとちょっと、あとちょっとで……………



「…なぁんてな。びっくりしたやろ?…ふふっ

いいなぁ、その顔。アンタみたいにまだ小さい子供にあげる煙草なんかあらへんよ。

もっと大人になってからな。」


すごく惜しかったし、悔しかった。

できれば今すぐにでも彼女の唇を奪ってやりたい。


「好き。」


「…は?」


「好き、好きなの。文子が。好き、好き…す、き、」


「……早よ寝ェ

ガキは寝る時間やで」


鹿野山 文子に、交際中の恋人が、そしてその人が文豪だなんて、

その当時はまだ思いもしていませんでした。

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