スイカ割り
磯での悲劇から数時間後。濡れた服を乾かし、気を取り直した俺たちは、ペンション前の砂浜にいた。
傾きかけた太陽が海面を黄金色に染め始め、少し肌寒くなり始めた海風が、火照った頬を撫でていく。その砂浜の中央に、大地が地元の農家から調達してきた巨大なスイカが、挑戦者を待ち受けるラスボスのように鎮座している。
「よっしゃー! リベンジマッチだ! さっきの磯遊びはノーカンな!」
大地が、手頃な流木を伝説の聖剣のように掲げて宣言する。
「このスイカを綺麗に割った奴が、今日の勇者だ! 文句ねえな!」
「棒はこれね! 重心バランスよし、グリップよし! さっき拾ってきた自信作!」
彩良が、審査員のように親指を立てる。
「……俺はパスだ。生産性を感じないし面倒だ。リスク管理の観点から棄権する」
「えー、凪くんもやろうよ。せっかくの海だよ?」
踵を返そうとした俺の袖を、詩織がくい、と引いた。上目遣いの、期待に満ちた視線。「やろう?」と無言で訴えかけられれば、断れるはずもなかった。俺は小さく溜息をつき、渋々その場に留まることになった。
「いくぜ! 俺の野生の勘を見せてやる!」
トップバッターの大地が目隠しをされ、その場で十回、高速で回転させられる。回転が止まっても、奴は平衡感覚を失い、千鳥足でフラフラと空を仰いでいた。
「だ、大地くん、右! もっと右!」
彩良が、口元を抑えて笑いを堪えながら叫ぶ。
「あー行き過ぎ、左! そこそこ! まっすぐ!」
俺は腕を組んで無言で見守っていた。彩良の指示する「まっすぐ」の先には、スイカではなく、広大な太平洋が広がっている。
「おっしゃ、ここか! ここにスイカの波動を感じるぜ……うおおおお!」
大地は、渾身の力で流木を振り上げた。上腕二頭筋が唸る。そして、豪快に振り下ろされた一撃。
バシャッ!!
砂浜に響いたのは、硬い果皮を砕く音ではなく、盛大な水音だった。勢い余った大地は、波打ち際の海面を強打し、その反動で跳ね返った海水を頭から浴びて、ズザザッと砂浜に滑り込んだ。
「ぶはっ!? ……しょっぺぇ!!」
「あはははは! 大地くん、海割ってどうすんのー! モーゼか!」
「彩良ちゃん、テメェ嘘教えたなー!?」
全員の爆笑が、夏の海に響き渡る。呆れながらも、俺の口元も少し緩んでいた。
ひとしきり笑った後、響が静かに進み出た。
「……次は、俺だ」
彼は回転を拒否し、目隠しをしたまま棒で地面をコンコン、とリズミカルに叩き始めた。コウモリのエコーロケーションみたいだ。
「……砂による、反響音の変化。……ターゲットは、あそこか」
彼は、彩良の嘘八百な指示を完全に無視し、迷いのない足取りでスイカの正面まで歩いていく。その動きは、まるで見えているかのようだ。 スイカの前でピタリと止まり、棒を構える。
「距離、角度。……ここだ!」
シュッ、と風を切る音。鋭く振り下ろされた棒。
ドゴッ!
鈍い音が響く。 棒は、スイカの側面ギリギリ、わずか一センチ横の砂浜に、深々と突き刺さっていた。
「……くそ」
響が、目隠しを外して舌打ちする。
「音響定位は完璧だったはずだ。筋力制御の誤差か。……腕の筋肉にも、チューニングが必要だった」
「なんかわからねーけどスゲーな!響!」
大地が笑いながら話しかけている。
「次は栞先輩の番だよ!」
彩良が栞先輩に目隠しを渡す。
「わ、私ですか? ええと、平衡感覚には、自信がありませんが……」
目隠しをされ、ゆっくりと三回回された時点で、栞先輩の世界はすでに崩壊していた。
「あ、あれ? 地面が、揺れてます……! 世界が、回って……」
「先輩、そっち海! さっき大地くんが落ちた方!」
彼女はフラフラと明後日の方向へ歩き出し、何もない平坦な砂浜で、自分の足に躓いた。棒を振ることすらできず、砂の上にへたり込む。
「……面目、ありません……」
「ドンマイです、先輩! 可愛いからOK!」
彩良がくすくす笑いながら栞先輩を励ました後、俺に目隠しを渡してくる。
「次は凪くん! まさか、逃げないよね?」
彩良の挑発的な視線に、俺は静かに前に出た。
「……見ていろ。これが『精度』だ」
俺は、目隠しをされる前に、スイカまでの距離を歩測し、太陽の位置と影の角度から、現在位置との相関関係を目視で確認した。
目隠しをされる。視界が闇に閉ざされる。
周囲から、「凪くん、もっと右!」「いや左だ!」「後ろ後ろ!」という彩良と大地の妨害工作が飛んでくるが、俺はそれらを完全に環境ノイズとして処理し、意識からカットする。
(……前方へ四歩。右へ15度。さらに二歩)
俺は、脳内に描いたグリッド線の上をなぞるように、ロボットのような正確さで足を運ぶ。そして、ここだ、と計算した位置で足を止めた。躊躇はない。最短距離で、棒を振り下ろす。
ポコッ。
なんとも情けない音がした。棒は、スイカのど真ん中を捉えていた。完璧だ。
しかし、力が加減されすぎていたのか、あるいは流木の質量が不足していたのか。スイカの表面には白いヒビが入っただけで、割れるには至らなかった。
「……なぜだ。」
俺は目隠しを外して、ヒビの入ったスイカを見下ろし、眉をひそめた。
「おっしぃー! あとちょっとだったのに!……じゃあ、最後は詩織ちゃん! 凪くんの敵討ちだ!」
最後に、詩織が目隠しをして立つ。俺は、自分が叩いた場所から動かず、彼女に声をかけた。周りと違う正確なものを。
「……そのまま真っ直ぐだ。あと半歩、前」
俺の声だけを頼りに、詩織がおそるおそる足を進める。
俺が入れたヒビの、真上。
「そこだ。軽くでいい」
詩織は、大きく振りかぶることはしなかった。まるで、そこに在る確かなものを確かめるように、優しく、トントン、と棒を落とす。
パカッ。
乾いた、いい音がした。俺が入れたヒビがきっかけとなり、赤い果肉が顔を出し、スイカは綺麗な断面を見せて、真っ二つに割れた。
「……割れた。 やった!」
詩織が目隠しを外し、歓声を上げる。
「すげー! さすが詩織ちゃん!」
「おいしそー! 完璧な割り方! まるで共同作業だね!」
彩良と大地が駆け寄り、ハイタッチをする。俺も、その光景を見て、小さく息を吐いた。俺の計算だけでは足りなかった。俺が入れた亀裂を、彼女が広げてくれた。悪くない結果だ。
切り分けられたスイカを、全員で並んで防波堤に座り、食べた。 甘い果汁が、乾いた喉を潤していく。夕陽が水平線に沈みかけ、空と海を紫とオレンジのグラデーションに染め上げていた。
「結局、いいとこ取りしたのは詩織ちゃんかよー!」
大地が、種をプププと海に向かって飛ばしながら笑う。
「凪くんのアシストのおかげだね! 最初のヒビがなかったら、私、力ないから割れてなかったよ」
詩織が、隣で俺を見て、ふふ、と笑った。赤い果汁で少し濡れた唇が、夕陽を受けて艶やかに光る。
俺は無言で、口の中の種を、海に向かって勢いよく飛ばした。放物線を描いて飛んでいく種を目で追いながら、心の中で呟く。
(……アシスト、か。まあ、悪くない)
隣では、響がマイクを自分のスイカに極限まで近づけ、「シャクッ、シャクッ」という咀嚼音を、この世の真理に触れるような真剣な顔で録音していた。
波の音と、笑い声と、スイカを食べる音。記録には残らないかもしれないが、記憶には残るであろう夏の夕暮れだった。
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