灯台と肝試し1

焚き火の炎が弱まり、夏の夜の静寂が、ゆっくりと俺たちを包み始めていた。虫の声と、遠くから繰り返し寄せては返す波の音だけが聞こえる。空には、街の明かりに邪魔されることのない、無数の星が瞬いていた。


その、穏やかすぎる空気に、最初に飽きたのは、やはりこの二人だった。


「ねえねえ! なんか、このまま寝るのもったいなくない!?」 彩良が、隣に座る大地に、悪戯っぽく囁きかける。


「だよな! 合宿といったら、やっぱアレだろ!」 大地が、ニヤリと笑って応じる。


「「肝試し!!」」


二人の声が、夜の静寂に、高らかに響いた。 栞先輩の肩が、びくりと跳ねる。詩織も、少しだけ不安そうに、目を伏せた。響は……相変わらず、ヘッドホンを着けたまま、どこ吹く風だ。


「目的地は、決まってまーす!」 彩良が、懐中電灯を自分の顎の下から照らし、幽霊のような顔を作ってみせる。


「ペンションからちょっと歩いた先にある、あの、使われてない古い灯台!」


「……正気か。夜の廃墟だぞ。危険すぎる」 俺が、最も合理的な反論を口にする。


「だいじょーぶだって! 道、一本だし! それに、どうせなら、夜の灯台の古びた姿も、ちゃんと記録しとかないとね! これは、風景保存協会の、公式な夜間活動です!」


彩良が、もっともらしい理由を後付けする。


「わ、私は、その……ひ、非科学的な事象は……信じていませんが……!」


栞先輩が、明らかに動揺しながら、必死に言い訳をしている。その声は、震えていた。


「よし、じゃあ多数決! 行きたい人ー!」


彩良と大地が、勢いよく手を上げる。詩織も、少し迷った後、おそるおそる、小さな手を上げた。響は……相変わらず、沈黙している。 俺と栞先輩は、手を上げなかった。


「はい、賛成多数! 決定でーす!」


彩良は、勝ち誇ったように宣言した。


◇◇◇


「じゃーん! 運命の、ペア決めターイム!」


彩良が、どこから取り出したのか、粗雑に折られた割り箸を数本、まるでタロットカードでも配るかのように、得意げに差し出した。それぞれの箸の先には、マジックで乱暴に数字が書かれているのが見えた。


「え、やだ、怖い……」 栞先輩が、本気で嫌そうな顔で後ずさる。


「大丈夫だって! ほら、引いて引いて!」


彩良に急かされ、栞先輩は震える手で、恐る恐る一本の箸に触れた。詩織も、少しだけ不安そうに、でもどこか好奇心も混じったような顔で、そっと一本を選ぶ。


響は、ヘッドホンでコオロギの音を聞きながら、全く興味なさそうに、ノールックで一本掴んだ。大地は「よっしゃ!」と一番威勢よく一本を引き抜き、俺は、最後に残った一本を、ため息と共に、手に取った。


彩良は、全員が引き終わったのを確認すると、自分の箸をひっくり返して、ニヤリと笑った。


「えーっと、ペアは……①番! わたしと……」


彼女は、期待に満ちた目で、栞先輩の手元を覗き込む。栞先輩が、絶望的な表情で、自分の箸の「①」という数字を見せる。


「やったー! 栞先輩、よろしくねっ! ぜーったい怖がらせてあげるんだから!」


「ひっ……! い、いや、あの、彩良さん、私は、その、くじの公平性に疑義が……」


栞先輩が、必死に何かを訴えようとするが、彩良は満面の笑みで、その肩をがっしりと掴んで離さない。


「次! ②番!」 大地が、自分の箸を高々と掲げる。


「っしゃ! 俺②番! 相棒は誰だ!?」


彼の視線の先で、響が、まだコオロギに集中したまま、無造作に箸を見せる。そこには、「②」の文字。


「 相棒は響か! 最強じゃん!」 大地が、拳を突き出して響にグータッチを求めるが、響は微動だにしない。


「……だよなー」 大地が、がっくし肩を落とす。


「そして、残った③番!」


彩良が、俺と詩織を交互に見る。俺は、自分の手の中にある「③」という数字を確認する。そして、隣に立つ詩織に視線を移す。


彼女も、自分の箸の「③」という数字を、静かに見つめていた。 俺たちの視線が、一瞬だけ、交錯する。 その瞬間、彼女の表情が、ほんの少しだけ、本当に微かに、和らいだのを、俺は見逃さなかった。肩の力が、ふっと抜けたような。安堵したような、そんな表情。


その表情に対する疑問符が、俺の頭の中に、小さく浮かんだが、すぐに掻き消えた。


「よし、じゃあ出発順は、①、②、③ね! 五分差で出発! 灯台で待ってるよー!」


彩良は、まだ何かを訴えようとしている栞先輩を、半ば引きずるようにして、闇の中へと消えていった。


◇◇◇


五分後、大地と響ペアが出発し、さらに五分後。俺と詩織も、懐中電灯の頼りない光を頼りに、灯台へと続く一本道へと足を踏み入れた。 ペンションの明かりが遠ざかると、世界は完全な闇に包まれた。


湿った土の匂い、草いきれの匂いが、昼間よりもずっと濃く感じられる。無数の虫の声が、まるで壁のように俺たちを取り囲み、遠くから寄せては返す波の音が、単調なリズムを刻んでいた。


懐中電灯が照らすのは、足元の頼りない円の中だけ。その円から一歩外は、もう何も見えない。自分の足音と、すぐ後ろをついてくる詩織の、カラン、コロン、という下駄の音だけが、やけにはっきりと聞こえた。


詩織は、黙って俺の少し後ろをついてきていた。彼女の白い浴衣が、闇の中で、ぼんやりと幽霊のように浮かび上がって見える。俺は、できるだけ前だけを見て歩いた。背中に感じる彼女の気配が、なぜか、妙に意識を乱す。


(……ただの闇だ。ただの音だ。普段と何も変わらない) そう自分に言い聞かせても、闇が濃くなるほど、耳に届く虫の声が大きくなるほど、背後の彼女の存在感が、増していくような気がした。


不意に、前方の闇の中から、甲高い悲鳴のような声が、風に乗って微かに聞こえてきた。栞先輩のものだろう。詩織の歩くテンポが、ほんの少しだけ、速くなった気がした。


さらに進むと、今度は別の方向から、大地の「うおっ!」という間抜けな声と、それに続く響の、抑揚のない冷静な声が聞こえてくる。


「……今のは、アオバズクの鳴き声だ」


「いや、そういうことじゃなくて! 今、なんか白いのが横切ったんだって!」


俺は、聞こえてくる音から、前方の状況を推測しながら、淡々と歩を進める。


その時だった。 ざわ、と、強い海風が吹き抜け、俺たちの周りの木々が、大きく揺れた。バサバサ、という葉擦れの音が、闇の中で不気味に響く。 俺のすぐ後ろで、詩織の肩が、小さく跳ねる気配がした。


そして、次の瞬間。 彼女の指先が、俺の服の袖を、かすかに、本当に、わずかに、掴んだ。 俺の足が、一瞬だけ、止まる。心臓が、喉の奥で、一度だけ、大きく跳ねた。 俺は、何も言わず、ただ、ほんの少しだけ、歩くペースを落とした。


その、静かな時間が流れた、直後だった。


「いやあああああああああっ!!!」


先ほどまでとは比べ物にならない、鼓膜を突き破るような、栞先輩の絶叫が、夜の森全体に響き渡った。


「…今の、栞先輩…?」 袖を掴む詩織の指先に、力がこもる。 「……ああ。尋常じゃない」 俺たちは、顔を見合わせ、どちらからともなく、声がした方向へと駆け出した。


数十メートル進むと、懐中電灯の光の中に、信じられない光景が浮かび上がった。 道端に腰を抜かしたように座り込み、顔面蒼白でわなわなと震えている栞先輩と、その横で笑いを堪えきれずに腹を抱えている彩良の姿だった。


「あははは! ご、ごめん先輩! でも、今のマジで面白すぎ…ひぃっ!」


「(涙目で)わ、笑いごとでは、ありません…! い、今の…む、虫が…!」


「……何があった」 俺が冷静に尋ねると、彩良は、笑いすぎて涙を浮かべながら説明した。


「それがさー、私が懐中電灯で足元照らしたら、そこにでっかい虫がいて! それ見た先輩が、この世の終わりみたいな声出して、そのままへなへなーって!」


そこで聞いたのはなんとも情けない話だった。 

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