第23話 また見てはいけないものを見ちゃった……!!

 三日後の木曜日。

 第4会議室で、わたしは完全に煮詰まっていた。


 <みにっきゅ>コラボの文房具企画のアイデア自体は十個ほど閃いている。

 けれど、コストや実現性の面から振るいにかけていくと――残ったのは、たった四案。

 今週中にもう一案以上、形にしなければならない。


 第4会議室は、最大八人掛けの長机を囲む、プロジェクトMの私たち企画開発チーム専用の作業スペースだ。

 席は毎日自由。朝来た順に好きな場所へ座る“早い者勝ちルール”を、わたしの提案で導入していた。

 今日は、わたしと神谷が並び、田島はその向かい側。

 顔を上げれば、二人の表情がすぐに見える距離だ。


 (うーん……あと一歩が出てこない)


 頭を抱えながら、ふと視線を他の二人に向けた。

 同じく会議室で作業している、同期の神谷と後輩の田島。


 田島が恋敵ライバルではないとわかってから、

 神谷の田島へのあたりが少しは柔らかくなるかと期待していた。

 ……が、まったくそんなことはなかった。


 どうやら彼らが水と油の関係なのは、間違いないらしい。


 プロジェクトMの企画チームの構図は、もうすっかり出来上がっていた。

 田島が調子に乗って、神谷が睨み、嫌味を言う。

 そしてそのたびに、わたしが間に入ってなだめる。


 ――三人で進めるはずのチームなのに、

 まるで子ども二人を抱えた保育士の気分だ。


 もちろん、高峰部長もときどき様子を見に来てくれる。

 ドアが開いた瞬間、ギスギスした会議室の空気がふっと浄化されるような気がした。

 その穏やかな声と笑顔だけで、空気が整うのだから不思議だ。



 「うーーーーーん……」


 資料用の<みにっきゅ>の絵本をめくりながら、思わず声が漏れた。

 ページの上で、丸い瞳のキャラクターたちが笑っているのに、こちらはまったく笑えない。


 隣から低い声が落ちてくる。


「なんだ、三枝さえぐさ。煮詰まってるのか?」


 顔を上げると、神谷が腕を組んだままこちらを見ていた。

 冷静な眼差しなのに、ほんの少しだけ口元が緩んでいる気がする。


「そうだね。アイデア自体は出てるんだけど……中々、悩ましいわ」


「お前、今、企画何案まで出せてる?」


「四案……だね」


「明日中にあと一案か。どこで詰まってる?」


「やっぱりコスト面が頭痛いなあ」


 自嘲気味に笑ってみせると、神谷がわずかに身を乗り出した。


「ちょっと見せ――」

「ですよねーーー!! 俺もっス!」


 その瞬間、勢いよく割り込んできた声に驚く。

 田島がノートPCを抱えて、椅子ごとズズッとこちらに寄ってきた。


 田島はモニターをこちらに向けながら、勢いよくまくしたてる。

「俺もアイデア自体は二十くらいあるっスけど、そこからコスト面とか考えて形になりそうなのは四案。あと一案がなかなか……」


 その熱量に、思わず苦笑いがこぼれる。

「田島もかぁ。わかるわ、悩ましいよねえ」


 田島は「でしょ?」と、仲間を見つけたように笑ってみせた。

 ――その瞬間、隣の空気がかすかに変わる。


 「……」

 

 私の横で、神谷がわずかに眉をひそめた。

 ほんの一瞬、空気がぴりっとした気がする。

 なんだろう。何か、地雷でも踏んだ?


 けれど、次の瞬間にはもういつもの神谷に戻っていた。

 神谷が小さく鼻を鳴らす。

「お前ら、まだまだだな。――ちなみに俺は、もう十案できてる」


 ドヤァッとでも言いたげな表情。

 俺様を褒めろオーラが全開だった。


「えっ、四日も経たずに十案!? すごっ」

「マジっすか!! さすがっス!」


 わたしと田島が同時に反応すると、神谷は満足げにうなずいた。


 


 ――その後もしばらく、資料の<みにっきゅ>の絵本を眺めながら考え込んでみたけれど。


「うーーーーん……だめだわ。このままだと閃かない気がする」


 そうつぶやいて立ち上がる。


「長めに昼休憩取るから、ちょっと気分転換に市場調査がてらランチ行って……」

「えーーーーっ! ハイハイっ! 俺もお供するっス!」


 神谷と二人きりになるのを恐れたのか、田島が食い気味に手を上げた。


「な……っ! だったら俺も……」

 なぜか便乗しようとする神谷。


「えっ? でも神谷さん、十案も出せてるなら、気分転換とかいらなくないっスか?」


「ぐっ……。ま、まあ、そうだな。

 フン。俺は残ってるから――未完成組で、仲良くしとけ」

 一瞬、神谷が焦ったように見えた。

 けれどすぐに、いつもの神谷に戻る。


「な、なんすか未完成組って!」

 田島がむくれたように抗議する。

 わたしも苦笑して、思わず肩をすくめた。


「ま、いいじゃない。私たちは私たちで、気分転換してこよ」


 そう言って、わたしと田島は連れ立って街へ繰り出すことになった。


 

 * * * * * *


「やっぱり、外に出て正解だったわ」

 市場をぐるりと見て回り、近くの喫茶店でランチを取ることにした。

 落ち着いた店内には、珈琲の香りがふんわり漂っている。


「大人の女性向け文具は、やっぱり実用性があるものが売れてたよね」

 メモを取りながら言うと、田島が大きく頷く。


「ッスよねえ。コンパクトでシンプルなものに“可愛い”を融合できたら最高っス」


「そうだよね。わたしもその路線で考えるわ。

 田島は? あと一案、浮かびそう?」


「ハイ! 俺も方向性は見えたっス!!」


 二人で思わず笑い合った。

 会社を出る前、「第4会議室を出たら“みにっきゅ”の名称は禁止。呼ぶときは“M”で」と釘を刺している。

 なので、周囲に聞こえても問題ない。

 田島が注文していたランチプレートが先に届く。


「どうぞ。冷めちゃう前に食べて」

 

 田島が夢中でハンバーグを頬張っている間、わたしはふと窓の外に目を向けた。

 その瞬間、息が止まった。


 窓の外を、金色の髪がふわりと横切った。


 思わず息を呑む。

 陽射しを受けて輝く金色の髪。

 軽やかな仕草に、周囲の視線が吸い寄せられている。

 通りすがりの女性たちが、まるでアイドルでも見たように振り返った。


(うそ……あおい!?)


 間違いない。

 あの明るい金髪、少しクセっ毛で長めの前髪。

 すらりとした立ち姿に、誰もが目を奪われる。

 久々に見る碧は、前よりずっと――洗練されて見えた。

 胸がどくどくと音を立て、息が浅くなる。


 そのまま信号待ちをする碧に見惚れていると、彼の前にひとりの男性が立った。

 背が高く、彫りの深い顔立ち。

 どこか外国の血が混じっているような整った容姿に、

 ラフなのに品のあるスーツ。まさにイケオジという言葉が似合う男だった。


(……誰? 知り合い?)


 イケオジは何かを言いながらが碧の手を取った。

 碧は――ふっと、微笑んだように見えた

 そのまま、軽く手を引かれるようにして近づく。


 その時、店員がやってきて、

 わたしのレディースランチがテーブルに置かれた。

 「ありがとうございます」と会釈をして、

 ほんの数秒、視線を外した。


 再び窓の外に目を向けると――

 碧とイケオジが、抱き合っていた。


 まるで映画のワンシーンのように、

 碧がその胸に身を預けている。

 金色の髪が、イケオジの肩にかかって揺れていた。


(え……な、なに、あれ……?)


 光の反射で表情までは見えなかった。

 でも、どう見ても――親密そうにしか見えなかった。


 光を受けた碧の髪がきらきらと輝く。

 道行く人たちの目が、二人へと向けられていた。

 

(ま、またじゃん……! また見てはいけないものを見ちゃった……!!)


 フォークを握る手が、止まる。

 胸の奥がズキズキして、うまく呼吸ができない。

 遠いはずなのに、なぜか彼の笑顔がすぐそばに感じられて――。


「先輩? どうしたんスか?」

 田島の声に、我に返る。


「な、なんでもない! なんでも……ないからっ!」

 慌てて笑ってごまかしたけれど、

 心臓の鼓動だけは、どうしても誤魔化せなかった。


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