第24話 ――怖い! 怖すぎる!!

 その日の夜。


 自宅の玄関のドアを閉めた瞬間、全身の力が抜けた。

 「はぁ~~~……」と思わずソファに崩れ落ちる。


 あのあと――あおいのことでまた動揺してしまいそうになったけど。

 田島が一緒だったのが救いだった。

 他愛もない話をしているうちに気が紛れたし、

 会社に戻ってからは、市場調査で得た情報をもとに企画のたたき台を作ることもできた。


 明日中にまとめて見直せば、なんとか五案は提出できそう。

 よし。……なんとかやり切った。


 そう思った途端、蓋をしていた気持ちがあふれ出した。


 「ああ~~~! もう、また碧が男といちゃつくところ見ちゃった!!」

 ソファのクッションを抱きしめながら、わけもなくジタバタする。


 なんなの!? また彼氏なの? 別れるって言ってなかったっけ!?

 考えれば考えるほど、碧のことがわからない。

 ……もしかしたら、知り合いで、海外の挨拶みたいな軽いノリだったのかもしれない。

 でも、あんな距離感で……?


 「はぁ……」と、ため息が漏れる。


 『わかりました! 別れたらまた連絡します!』 

 あの宣言から一ヶ月近く経つのに、彼から「別れました」の連絡はない。

 もう、期待しないほうがいいのかもしれない。


 碧の勤めるバーも、彼の家も、どちらもわたしの会社から徒歩圏内。

 だからこそ――また、見てしまうかもしれない。

 そのたびに、こんなふうに心が乱れるなんて……。


 悔しかった。


 ふと目に入ったのは、棚に飾ってある赤い薔薇のドライフラワー。

 碧から誕生日にもらったものだ。


 「こんなの、いつまでも飾ってるから……!」


 無性に腹が立って、それを掴み、ゴミ箱に放り込んだ。


 ――カサリ、と乾いた音。


 「……うん。少し吹っ切れた……かも」

 まだ完全には忘れられないけど――それでも、立ち止まるわけにはいかない。

 


 * * * * * *


 10月17日、金曜日。夕方。第4会議室。


 「よし!」

 見直しと修正も終えて、目標だった<みにっきゅ>コラボ文房具の企画五案を、ようやくまとめることができた。


 「……できたーー!」

 思わず声に出してしまう。


 向かいの席から、神谷が顔を上げた。

 「お、まとまったか」

 ふっと笑みを浮かべる。

 「これで未完成組卒業だな」


 その笑顔が、いつものいけすかない上から目線の嘲笑じゃなかった。

 やわらかくて、少し照れくさそうで――。


(こ、これが……伝説級の“神谷スマイル”!?)


 少しドキリとしているところに、田島の明るい声が割って入る。


 「おおっ! おめでとうございます!! これで全員ノルマ達成ですね!」


 そう言う田島は、昨日のうちに五案をまとめ、先に未完成組を卒業していた。


 「いや~! よかった! 昨日はどうなるかと思ったけど……神谷も田島もありがとう!」


 「フン。まあ、手こずったわりにはまあまあ頑張ったな」

 「っスね! さすが俺ら企画開発チームっス!」


 三人の声が重なり、会議室の空気がふっと和らぐ。

 外はもう夕暮れ。窓の向こうにオレンジ色の光が差し込んでいた。


 * * * * * *


 10月17日、金曜日。18時過ぎ。


 

 第4会議室には、高峰部長がやって来て、私たちの企画の最終チェックをしていた。

 結局、わたしは五案、神谷は十二案、田島は六案を、来週の定例ミーティングに通すことになった。

 ここからさらに、全メンバーの意見をもとに振るいにかけるとのことだった。


 「全員、短いスケジュールの中よく頑張ってくれた。お疲れさま」

 部長の言葉に、思わず背筋が伸びる。


 「よし。バタバタしていて決起会もまだだったし――今日はこのあと、軽く飲みに行こうか?」


 「ハイッ!! 行きます行きます!!」

 田島が誰よりも早く手をあげた。


 「わたしも行きますっ!」

 わたしもすぐに続く。

 頑張った自分を褒めてあげたい気持ちと、

 部長と飲める嬉しさが入り混じっていた。


 「神谷君は? ……もちろん急な誘いだし、無理強いする気はないから断ってくれてもかまわないよ」

 部長がそう言うと、神谷は少しだけ間を置いて答えた。


 「……すみません。ちょっと予定があって。またの機会に」

 短くそう答えるその口調が、いかにも神谷らしかった。


 そして――わたしと部長、田島の三人は、駅前の居酒屋へと向かった。


 この時はまだ、あんなとんでもない事態になるなんて――

 夢にも思っていなかった。




 

 * * * * * *

 


 

 10月18日、土曜日。午前9時過ぎ。



 

 目を開けると、見慣れた天井があった。

 ――はずなのに、どこか変だ。


 頭の奥がズキズキして、視界がゆらゆら揺れている。

 喉はカラカラ、身体は妙に重い。


(……これ、もしかして二日酔い? うわ、最悪……)


 額を押さえながら、昨夜の記憶を手繰り寄せようとする。


(でも……そんなに飲んだっけ、私?)


 ぼんやりした視界の端に、何か――いや、誰かの気配を感じた。

 すぐ隣から、かすかな寝息が聞こえる。


(……え? うそ、まさか……誰かいる!?)


 心臓がドクンと跳ね、思わず上半身を起こす。

 その瞬間、布団がバサッとめくれ――視界に金色の髪が飛び込んできた。


 枕に頬を埋めて、気持ちよさそうに眠っている青年。


(え……あおい!?)


 目をこすっても、頬をつねってみても幻じゃない。

 どう見ても、碧。しかも――バーの制服姿。

 タイとベストは外しているけど、シャツとズボンはちゃんと着ている。


 わたしも……服はちゃんと着てる。昨日のまま。

 ……そこはセーフ。うん、ギリセーフ。


 ほっとしかけた、そのとき。


 ――ソファの方から、かすかな物音がした。


(……え? 今、何か……動いた?)


 心臓がどくんと跳ねる。

 そっと首を巡らせ、音のした方をのぞき込む。


 ……そして、その瞬間。


 目に飛び込んできた“それ”を見て――息が止まった。


 (……!? ……????)


 視界の端で、わずかに動く影。

 ゆっくりと焦点が合って――その全体像が、脳に焼きついた。


 上半身はシャツ。

 そして、下半身は……まさかのブリーフ一丁。


 ソファの上には、ぐっすりと寝息を立てている男がいた。


 「…………」


 ぎゃあああああっっ!!!!!


 声にならない悲鳴が喉の奥で炸裂した。

 頭の中が真っ白になる。

 私の位置からは顔まではよく見えない。

 ただ、確かに知らない男が自分の部屋にいる――その事実だけが、はっきりしていた。

 

 誰!? 誰なの!? 泥棒!? 変態!? 通報案件じゃないの!?


 ――怖い! 怖すぎる!!


 あああ、どうしよう。

 もうあまりにも情報量が多すぎて半泣きになっていた。


 わたしのすぐ隣で、ふてぶてしく寝てる碧も十二分におかしい状況ではあるが、

 でも今はそんなこと言っていられない!

 この状況、ひとりじゃ無理!!


 「碧、碧!! ちょっと起きて!!」

 小声で肩を揺さぶる。


 「ンん……」


 碧がゆっくりと身じろぎする。

 寝ぼけまなこのまま、長いまつ毛を震わせて――ほんの少しだけ目を開けた。


 (……綺麗すぎる……)


 一瞬、見惚れてしまう。

 違う、そうじゃない!! 今はそんな場合じゃない!!


 「碧ってば!!」


 「……ん? おねーさん……? おはよ」

 とろんとした瞳。寝起きなのにこの完成度。

 ああもう、チクショー。腹立つほど美しい。


 ――じゃなくて!


 「ねえ、碧っ!! ソファでパンツの変態が寝てて怖いんだけど……誰!? 知ってる!?」


 碧は数秒ぽかんとしてから、

 ぷっと吹き出した。


 「パンツの変態って。もー! よく見てくださいよ」


 「バッキャロー!! 見れるわけあるかッ!!」

 よく見ろって言われても、無理!!

 パンツで寝てる男なんて、直視できるはずがない!!


 「駿さんですよ」


 「……はあ?」



 「だから駿さん」

 

 「…………?」


 

 「……………………!!!!!」

 

 “駿さん”って、まさか――。



 「ぶ、ぶちょおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 絶叫が部屋中に響いた。

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