死にたがりやさんに、麻痺する囁きを。
伊吹 ハナ
夜の海にて
「俺がついてきてくれって言ったら。お前はどこまでもついてきでくれるの」
夕暮れなんかとっくに過ぎた海辺。雑に流れ着いた流木を椅子代わりにし、どれだけ水平線を眺めていただろうか。
着込んでいるとはいえ風が吹けば寒い。身を縮めてくしゃみをしてしまえば隣から苦笑する声が聞こえる。
「……やっぱお前はついて来なくていいよ」
僕が何も言わないでいる間に彼はそう呟き、立ち上がって波打ち際まで歩いていく。
靴が濡れた。一度立ち止まり、そしてザクザクと進み足首、膝、腰まで海に浸かっていく。
こちらを振り返って。何も言わずに見つめていれば悲しそうに俯いていく。
「……もういいんじゃない」
死にたがりやさん。
「かえろ」
「……明日なんか来なければいい」
「そう」
冷たい海の中に入るのは嫌だけどこの人をこちらに戻さなければならない。ザプザプ音を立てながら彼の元へ行きそっと手を握る。
「かえりたくない、こんな世界にいたくない」
貴方は今までに何を見て、何に失望して、この世界にいたくないのだろう。尋ねてもいいけど、今は答えてくれそうにもないから。どうにか引き留められるように寄り添う言葉をかける。
「そう。そんなに言うなら僕はついて行こうかな」
そう返せばピクリと反応する。死にたがりなのに結局僕が一緒になるのは拒否してくる自分勝手な人。だからたまには僕のわがままに付き合ってよ。
「でも。僕はもう少し貴方と一緒に、生きてみたいなあ」
「……」
「一緒になるのはもう少し後でいいんじゃないかな」
「……」
「ほら、風邪引くから家帰ろ。一緒にお風呂入って寝よ?」
何も言わなくなった目の前の彼を抱きしめる。
名前を呼んで、そちらの世界に行くなと念を込める。
「大丈夫」「僕がいるから」と囁き続けるのはまるで彼の思考を麻痺させる毒のようだ。
死にたがりの貴方を、この世界に留めるのは残酷なことなのかもしれない。でも、もう動かなくなった彼に安心して、手を引いて陸へ引き返していく。
何もなかったように帰って、何もなかったように夜ご飯を食べて、一緒に眠って。
そして何もなかったように目覚めたらおはようと挨拶をしよう。
貴方は苦しいのかもしれないけれど。麻痺させてでもこの世に残してしまうくらい、僕には貴方の存在が大切だから。
死にたがりやさんに、麻痺する囁きを。 伊吹 ハナ @maikamaikamaimu
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