第13話

剣の稽古が始まって七日が過ぎた。朝の砂は冷たく固く、打ち込みの音は低く短い。昼には足跡が帯のように濃くなり、夕方には風で薄く消える。木刀の柄は汗で黒くなり、手に乗る重みは前より静かだ。掌の膜は厚くなり、痛みは鈍く深いところへ沈む。


午前は二人一組で三本ずつ打つ。上、横、刃筋の角度を確かめる。重い打ちは浅く受け、軽い打ちは前で止める。止めが決まれば音はすぐ消え、胸の前に薄い空気の壁が残る。息は五拍で吸い、五拍で吐く。呼吸が合えば、腕は自然に軽くなる。視線は相手の胸、足は砂を静かに踏む。


見本は派手ではない。足の幅と腰の向きが揃っている。指導係は親指の置き方を一度だけ直し、視線は相手の胸に置けとだけ言う。二巡目で握りが固くなり、音がこもった者には、柄の位置を指の根に戻せと手で示した。


「右の踵は浮かせるな。柄は指の根で持て」


三巡目、ライアンの止めは高かった。指導係が二本の指で角度を少し下げる。止めの高さが整うと、音は短く切れた。風が砂の表面だけを削り、白い線が一つ伸びる。


午前の終いに、足の運びだけを十本。前へ一歩、斜めに二歩、後ろへ半歩。踵は半歩切って向きを戻し、軸は腰で保つ。数は口に出さない。木の影で汗が冷え、布の内側に細い塩の線が残る。


昼、城内の通り道を確かめる当番が回る。樽と店台の間を広げ、荷車が通れる幅を取る。欠けた石は粉で埋め、段差は足でならす。声は少なく、手は早い。縄のささくれが掌に引っかかり、店主は頷きだけ返した。小さな釘は一度だけ押さえ、枠の歪みは布をかませて抑える。


裏庭に戻ると、木の匂いに油が混じっていた。木刀を布で拭き、塩の白さを落とす。繊維が指に柔らかく掛かり、手のひらの膜は新しく張っている。布は湿りを吸い、拭き目が細い筋になって残った。焦げた柄の滑りは一定で、握りの位置の基準になる。


午後は相手を替えて四本、六本、また三本を重ねる。打ちが重なるほど、呼吸は短く静かになり、音は減る。足の幅が広がりすぎれば、指導係は袖を軽くたたき、狭く戻せと目で示す。止めの角度が立たなければ、顎で低く指す合図が一度だけ落ちた。


稽古の終わり、素手で型を十だけ。数えない。止めの位置を胸の前でそろえ、肩の力を抜く。足の裏の膜は新しく、砂の目を拾う感覚がはっきりしてきた。


夕方、道具置き場の点検が入る。木箱の縁を指でなぞり、ささくれを爪で落とす。紐の結びは二重、余りは内。火口の袋は乾いている。名札の角は乾き、冷たい。倉の軒に戻ると、油の匂いに鉄の匂いが薄く混じった。金具が二つ、布の上で重なる音が一度だけ鳴る。


そのとき、軒の陰で低い声がひそひそと聞こえた。はっきりとは聞こえない。切れ切れの言葉だけが残る。気配が短い距離を行き来する。


「目は利く。列で回せ」


「夜明け前、一本だけ」


「静かに始めて、静かに止める」


誰の声かは分からない。足音は軽く、倉の戸は半分のままだ。冷たい空気が足元をすべり、影が一度だけ揺れる。音は立たない。ライアンは踏み出さない。踏み出せば気配が割れる。


ライアンは足を止め、木刀を布で包む。胸に結んだ兄の木刀の焦げた柄がひも越しに当たり、鼓動がそこで深く鳴った。息は乱さない。肩を落として力を戻す。倉の角で一度だけ辺りを見るが、誰もいない。


夜になった。砂の線は薄く見え、内庭は静かだ。裏庭の円で十だけ打ち、刃筋の向きを確かめて終える。無理に増やさない。息も荒らさない。円の外周には古い足跡が残り、風で縁だけが崩れる。木のきしみは乾いている。


寝所へ戻る途中、広場の掲示板が目に入る。書記が紙を重ね、糸の端が揺れる。ろうの匂いが薄く残り、木枠の釘穴が一つ増えている。紙の端はまだ乾きかけで、角がわずかに反った。小さな札が端に留められ、内容は物資の配布時刻だ。ライアンは視線を外しかける。行は短い。名は書かれていない。


名も印もない札は風に揺れる。ライアンは靴の釘を確かめ、寝所へ戻った。地面の砂が釘に白くつき、歩幅は崩れない。指の皮は張り、ひびは浅い。


横になると、今日の止めの角度が頭に残る。手のひらの膜は薄く痛むが、深い痛みではない。肩のだるさは細く続く。寝台の藁が背中に当たり、粗い布が肌を擦る。焦げた柄は胸の内側で静かに重い。


屋根の上で風が向きを変え、角笛が遠くで短く一度鳴る。音は夜の底でほどけ、胸の奥に静かに沈んだ。音の向きだけが残り、余韻は広がらない。


目を閉じると、裏庭の円がくっきり浮かぶ。砂は冷たく、線は細い。木のきしみは乾いている。夜明け前、内庭に小さな足音が集まるのだろうか、と一度だけ思う。答えは出さない。


目を閉じ直す。息を数える。夜はまだ深い。けれど気配は近い。暗さは同じなのに、物の形がぼんやり見えてくる。指は自然に止めの形に戻り、呼吸は五拍で落ち着いた。

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