第12話

夜明け前の鐘が二度鳴った。内庭に白い息が重なり、固く締まった砂が短く音を返す。列の前に木剣の束が置かれ、腕章を見せて順に受け取る。


「朝の稽古を始める。合図は声ひとつ。打ち込みは三本まで。止める角度を守れ」


声は低く短い。この日は隊務のない訓練日だ。剣の指導係が一歩出て、足の幅を砂に印で示す。肩を落とし、腰をわずかに引き、あごを少し下げる。見本の動きは大きくないが、筋は通っている。


木剣は片手で受けない。両手で胸の前へ運び、小指から順に巻いた。親指に力を入れすぎない。手のひらで重さを受け、ひじは張らなかった。柄の座りを一度だけ確かめる。


息を合わせた。五拍で吸い、五拍で吐く。吸いの終わりに刃を上げ、吐きの一で落とす。響きは砂に吸われ、音は低かった。背中全体で小さな震えを拾って消す。


指導係が見本を示す。上段の一打は砂に点を残し、横の一打は浅い線を引く。止める角度は胸の前で決まり、柄の震えはすぐに収まった。足は肩幅、つま先は正面に置く。


「止める形を先に作れ。打ち込みはあとでいい」


合図が落ち、二人一組で間合いを取る。ライアンは若い車方と組む。足は肩幅、右へ半歩、正面へ戻す。木剣は胸の前で静かに立てた。


一本目。相手の剣は重くないのに、手の内が揺れた。力が指へ集まる。柄が手のひらから逃げそうだ。息は浅くなり、砂の点がわずかに伸びた。


指導係が横を通る。二本の指でライアンの親指を押し、角度を半指だけ変える。視線は剣先でなく、相手の胸に置けと示す。呼吸が少し深くなる。


二本目。今度はひじに力が残り、止めが前へ流れた。砂の点が少し伸び、足が余計に一歩出る。肩が先に動き、吐く息が遅れる。


「ひじでは止まらない。背中で受け止めろ」


短い指示が落ちる。背の面を意識し、肩甲骨の内側で震えを吸う。止める角度が胸の前に戻り、柄の震えはすぐ消えた。足は線の上で静かに止まる。


三本目は横だ。肩を落とし、腰の回しを半分だけ使う。腕で引かず、足で送る。打点が軽く砂を払った。音が短く収まり、間がひと呼吸だけ伸びる。


休みが入る。水袋が回り、木剣の表面に布がかけられる。手のひらの膜が薄く割れたが、血は出ない。皮は新しく張り、痛みは浅い。息は落ち着く。


午後は足さばきに移る。斜めへ二歩、正面へ戻し、後ろへ半歩。重心は低く、ひざは前へ出しすぎない。靴底が砂をやわらかく押し、戻りの一歩が静かになった。


受けの稽古。重い打ち込みは浅く受け、軽い打ち込みは前で止める。肩は上げない。ひじも浮かせない。カツンという木の音は、午前より一段低い。列の呼吸がそろい、砂ぼこりがふわっと薄く舞った。


「横の止めが甘い。腰で収めろ」


指導係が短く言う。腰骨の位置を指で示した。ライアンは足の幅を指二本ぶんだけ狭め、腰の返しを小さく速くする。止める角度は朝より迷わない。柄は手のひらに座り、背は自分で伸びた。


夕方、締めの三本を置く。上、横、止める角度を確かめた。砂に白い線が一本引かれ、木剣の束が静かに積まれる。器の音が遠くで小さく続き、台所の明かりの煙が内庭をかすめる。


「明日の朝から七日間、朝夕に稽古を置く。記録帳に印をつけろ。遅れるな。手入れを怠るな」


返事がそろい、行列が薄くほどけた。ライアンは木剣の縁を布で拭き、汗の塩を落とす。木目が指に柔らかくかかり、重みは静かに落ち着く。


路地の明かりが揺れる。彼は頭を下げ、靴の釘を確かめた。焦げた柄を胸に結び、裏庭の円を一度だけ踏む。音は短く、夜気が頬を冷やす。


寝所へ戻る途中、書記が記録帳に印をつけた。今日の本数や指摘が短く記され、刻みが増える。字は小さすぎず、線は真っ直ぐに引かれている。


夜は短い。屋根の上で風が向きを変え、遠くで角笛が一度鳴る。手のひらの膜はまだ薄いが、痛みは深くない。明日の砂の感触と、止める角度だけがはっきり残った。

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