第6話

出立の朝、荷車は二台だ。帆布は乾いて白く、側板の内側に予備の当て板と綱と、車輪止めのくさびが括り付けられている。木の側板は冷たく、節が指に当たる。輪に油の匂いが残り、金具は薄く光っていた。


角笛が短く鳴り、列が動く。志願者は荷車の左右に散り、坂では肩を貸して押す。横風が来て帆布の角が一度逆立ち、同時に風の層が変わる。前の背の揺れで歩度を合わせ、靴の踵で地を押さえた。


結び目は歩きながら確かめる。緩みは巻きで仮に留め、本結びで締め直す。綱の端は掌幅で折り返し、余りを噛ませておく。指は迷わない。側板の縁に擦れが出れば布を一枚かませ、角でひもを当てる角度を変える。


午のころ、川辺で休む。小さな火を起こし、にごった水を布でこして、湯で薄い粥を作った。湯気が顔に当たり、目に軽くしみる。塩気はわずかだ。木椀の縁は欠けているが、手に馴染む。


書記が割符を掲げ、名を読み上げる。木椀が回り、腹が静かになる。荷の配分を調え、列は再び北へ向きをそろえた。影は短く、風は細い。背の紐を一度締め直し、足の向きを揃える。


午後、道は緩く上りに変わる。石の継ぎ目で車輪が弾み、側板が一度鳴った。肩で受け、押し戻す。前の背の揺れで刻みを取り、呼吸は一定に保つ。ひとりが歩度を崩すと波が尾へ伝わる。列の中の空気の重さでそれが分かる。


結びの確認は二巡目に回す。手は綱の撚りを指の腹で追い、毛羽立ちの向きで荷重の偏りを読む。緩いひもは二度回してから本結びに落とし、余りは内側に折り込んだ。ひもの端は風を受けない向きへ寝かせる。


夕刻、土塁と木柵の町が見える。門の上で旗が揺れ、見張りが腕を上げる。やがて門は暮れとともに閉ざされ、鐘が一度鳴り、開門刻の札が掛けられた。


門前で野営の支度に移る。布を敷いて腰を下ろし、荷を枕に仮眠を取る者、小さな火を守る者。列は自然に伸び、背は同じ方向を向く。持ち場の割り振りは声ではなく指で示し、余計な言葉は出ない。


荷車の影で、くさびを足で押して外し、車輪の角度を少し変える。坂の向きが変わればくさびを差し直す。火口は湿らさないよう袋の奥に入れ、替えの布は一枚だけ出す。夜は長い。


布の端で地面の冷えを遮り、木刀は布のまま膝の横に置く。見張りの交替は小声で回り、遠い塔から鐘が一度だけ鳴った。眠りは浅い。星は薄く、雲が遅い。焚き火の灰が風に舞い、火の輪が低く息をする。耳は足音を拾い、目は闇の縁で止まる。体は静かに固まっていた。


夜明け前、吐く息が白く重なる。門の脇に卓が据えられ、ろうそくの火で書記の影が揺れた。羽根の先に黒がにじみ、王紋の板に紙が留まる。列の先頭は肩を寄せ、順番に名を置く。


「名を告げよ」


書記が短く言う。ライアンは名を告げ、書記は耳で受けて名簿に音を写す。車方が証人として一歩出て、名を呼ばれた。ろうが垂れ、印章が押される。


木札が手に落ちる。端に切り欠きが増え、赤いひもが一筋通る。胸の奥で音が小さく跳ね、呼吸が深くなる。札の角は乾いて冷たい。列は静かに前へ進んだ。


誓いの読み上げが続く。


「これよりの命令に従え。逃げるな。列を乱すな」


声は短く復唱され、顎がそろう。副長が歩きながら間隔を見て、手の合図で二列をそろえた。指二本が角度を示し、手の甲が前後の余白を払う。号令は少なく、動きが先に出る。


「力は日が高くなってから。持久はその後だ。命令の確認は最後に行う」


係の言葉が落ち、卓の端で木札が軽く鳴る。ろうの縁にはまだ温かさが残っている。空は薄く白み、石の目地は蒼く濡れた。風の向きは北へ変わる。


列は荷車の陰で待機に移る。水袋の口を確かめ、靴ひもの結びを一度だけ締め直す。木刀の布を手で押さえ、背の内側で落ち着かせた。指の関節は白くなり、やがて色が戻る。


隣の若者の帯が緩み、砂袋が腰で揺れた。ライアンは結び目を指で押し、ひもの向きを変えて締め直す。若者は短く礼を言い、肩の位置が落ち着く。背が一つ、列が静かに整った。


門の影が縮み、雀が柵を越える。冷えは残るが、背中の火は細く長い。ライアンは指を開き、掌の膜が新しく張ったことを確かめた。足の裏の皮は硬く、ひびの痛みは薄い。


角笛が東の空へ一度だけ置かれる。息がそろい、足が自然に前へ出る。試験の鐘はまだ鳴らない。だが、体の中の輪郭はもう立っている。列の影は伸び、帆布の白は朝の光で淡く透けた。荷車のくさびは回収済み、結びは二重、余りは内。準備に抜けはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る