灰より起ち、守りに立つ

篝火

第1話

ライアンは濡れた根を蹴って森を駆ける。十四歳の脚は軽く動き、雨上がりの苔が靴底に吸い付く。葉を払うと水珠がぱしゃと跳ね、湿った匂いが胸に満ちた。


野いちごを一粒かみ、果肉がぷちと弾け、鋭い酸味を舌に受ける。小さな甘さが遅れて広がる。口の端を拭い、呼吸を整えた。耳は遠くの水音を拾う。


辺境にエルム村がある。東は黒翳の大森林、西は小麦畑が続き、南をセリグ川が流れる。家々はその恵みで暮らし、日の傾きで働きを区切る。


夜は暖炉が乾いた音を立て、父が椅子を引いて物語を語る。火は赤く揺れ、子らは身を寄せて耳を澄ます。母は碗を配り、塩をひとつまみ足した。


「正義は剣の光だけではない。弱きを抱く盾にもなる」


言葉は胸に落ちる。兄は釘を数え、姉は糸巻を回す。末のライアンは箒の柄で構えをまね、笑いが短くこぼれた。


秋の終わり、通りの空気が変わる。漆黒の馬が土を踏み、銀の胸甲が陽を跳ね返す。騎士団が列を整え、人々は道端に膝をついた。


団長は馬上からライアンを見る。穏やかな眼の奥に堅い芯がある。背筋を伸ばし、敬礼を合わせた。憧れは輪郭を持ち、胸は熱を帯びる。


それから稽古が始まる。畑の端で素振りを重ね、水桶を担いで坂を往復する。星明かりの下で敬礼の角度を何度も確かめた。


父は多くを語らず背に手を置く。母は笑って粥に塩を足す。ひと月が過ぎ、初冬の冷えが土に染みた。指の皮は固くなり、握りはぶれない。


ある夜、彼は水甕を納屋へ運ぶ当番で外に出る。風が軒を鳴らし、家の灯が小さく揺れる。遠くで金具がガチャンと触れ合い、胸の奥が固くなった。


戸板に重い衝撃が続き、金具が二度はじけた。表に二人の足音、裏からも一人。彼は飼葉桶の陰へ体を滑らせ、息を浅くする。


乾いた藁が首筋にあたり、喉が勝手に鳴る。板の隙間には泥のついた靴。刃が石畳を擦る音が夜気を裂く。油煙の匂いが強まった。


「金を出せ。食い物を出せ。逆らえば全部燃やす」


藁屋根の端で火が上がる。ぱちぱちと乾いた火の粉が跳ね、低い煙が地を這う。犬の唸りが途切れ、刺激臭が喉を刺した。


戸口で若者の叫びが上がり、すぐ押しつぶされる音に変わる。鈍い衝撃のあと、歯が一つ石にコトンと転がった。暗い色が石を濡らす。


路地の向こうで女の声が鋭く響き、幼い泣き声が一度だけ上がって消える。胸の奥が冷たく縮み、体の自由が薄れた。


裏手に影が一つのぞき、短い鉤で戸を引きはがす。松明の明かりが金具に揺れ、装備のばらつきを目で拾った。相手は統一の印を持たない。


別の影は物置の錠を外し、袋に穀物を詰める。声の方向を数え、少なくとも三人と見積もる。足音の間隔は荒かった。


「急げ。夜明けまでに運び切れ」


家の中で椅子が倒れ、母の制止の声が走る。兄が窓板を押さえ、姉は息を詰める。父は灯を落として気配を消した。


ライアンは飼葉桶の陰から手を伸ばし、父が削った木剣を握る。掌にささくれが刺さり、冷たさが意識を引き戻す。歯は音を立てなかった。


戸が割れ、表で誰かが倒れる音がする。斜めに投げ込まれた松明が床を焦がし、油がジュッと小さく鳴って黒い煙が立つ。


倒れた男の腕が痙攣し、土間の血がどろりと広がる。匂いは鉄と脂に変わり、喉が逆立つ。彼は吐き気を飲み込んだ。


別の影が軒をくぐり、家の奥へ踏み入る。刃が柱をかすめ、木肌が裂けた。父は手近の棒で受け、短く押し返す。音は短い。


床の上で足が滑り、影が膝をつく。その一拍で刃が胴を斜めに割り、温かいものが衣の下からずるりと流れ出る。影は息を飲み、倒れた。


外で壺が砕け、穀粒が霜の上を転がる。火の粉が舞い、髪の焦げる匂いが混じる。遠くで誰かが助けを呼ぶが、声はすぐ細くなった。


ライアンは一歩も動けない。手の中の木剣だけが重い。握りは汗で滑り、節が白く浮いた。耳の奥で自分の血の音が鳴る。


父は目だけで合図を送り、家族を壁際へ寄せる。姉が小さくうなずき、母は外套を探る。兄は窓板の隙を塞いだ。


戸口の影が二人になり、短い槍の穂先がゆっくり入ってくる。穂先は灯りを受けて鈍く光る。彼は体を更に沈めた。


父は間合いに踏み込み、槍の柄を外へ払う。二人の肩が触れ、体勢が崩れる。父の棒が喉の下を打ち、乾いた音が一つ走った。


倒れた影が喉を押さえ、湿った空気を吸おうとして噎せる。吐息が泡立ち、床に斑が散る。もう一人は後ろへ下がった。


外で火の回りが速くなり、梁が鈍く響く。ぱちぱちが強まり、煙が低く満ちる。目が痛み、視界が滲んだ。


ライアンは家族の背に体を寄せる。足は震えたが、呼吸は刻む。耳は声と足音を数え、次の位置を探る。掌は汗で湿り、木剣の角が骨に当たった。

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