第7話 薄れゆく記憶
フルーにおやすみの挨拶をして床に就いた璃玖は、興奮冷めやらぬまま今日の出来事を反芻していた。だが、やがて意識は自然とレオとマロンのもとへと向かっていく。
フルーはもちろんとても可愛い。連れてきてくれたベルトホルトにも心から感謝している。でも、だからといって二匹のことを忘れられるはずがない。
レオ、ちゃんとごはん食べてるかな。マロン、淋しがってないかな……。
心臓を握り締められるような痛みを感じたそのとき、璃玖は慄然とした。
レオとマロンの姿が、はっきり思い出せないのだ。
レオは黄色だっただろうか、オレンジ色だっただろうか。斑点は全身に散っていただろうか、尻尾にしかなかっただろうか。
マロンの耳は立っていただろうか、垂れていただろうか。尻尾は太かっただろうか、細かっただろうか。
無意識のうちに他のことも思い出そうとすると、限りなく恐怖に近い驚愕は倍増した。他の記憶もまた薄れはじめていることに、気づいてしまったのだ。両親や友達の顔立ちや体つき、住んでいる家や街や通っている学校の様子、好きなマンガやアニメやラノベのストーリー――。
どうして、どうして、どうして……!?
カタカタと歯を鳴らしながら、弾かれたように起き上がった。自分を抱きしめるように、右手で左の二の腕を、左手で右の二の腕を摑む。それでも震えは止まらない。
「くぇ?」
フルーのふしぎそうな声で我に返った。ナイトテーブルを見ると、ベルトホルトが用意してくれたベッド代わりの箱の中で、フルーが頭をもたげている。のそのそと璃玖のほうに向かってきて、箱のふちに前足を掛けた。口をぱくぱくさせ、みずみずしいサーモンピンクの舌と口内を覗かせる。
「心配してくれてるの?」
手を差し出すと、フルーは躊躇いなく乗ってきてくれた。そっと持ち上げてもう一方の手で包みこむ。そこにはぬくもりはないが紛れもない生き物の息吹があり、璃玖を少し落ち着かせてくれた。
***
翌日、朝食の途中で、
「あの……ぼく、ちょっと気になることがあるんです」
璃玖は意を決してベルトホルトに切り出した。
「……何だ?」
「その……もとの世界の記憶が薄れてきてるような気がするんです。レオとマロンのことを考えてて気づいたんですけど、家族とか友達のことも、家とか町とか学校のことも、好きなマンガ……えーと、本のことも……」
最後は情けないくらい声が
「それは……おかしなことではない」
ベルトホルトは璃玖のこぶしに自分の手を重ねる。
「目の前にある世界に、記憶が圧倒されているだけだ」
その手のぬくもりは本物だったが、ベルトホルトの口調はどこかぎこちなく、不安が払拭されることはなかった。そのためか、
「ぼくは……もとの世界に帰れるんですか?」
ずっと封じこめていた問いを、璃玖はとうとう口にしてしまった。
「ああ……帰れる」
ベルトホルトの口調は相変わらずぎこちなさを孕んだものだったが、少なくとも肯定にはちがいなかった。安堵した璃玖だったが、次の瞬間には残酷な――だが、当然すぎるほど当然の事実に気づいて愕然とする。
もとの世界に帰ったら、ベルトホルトさんともフルーともお別れだ。もう二度と会えないかもしれないんだ……。
もとの世界に帰りたいという気持ちと同じくらい、ベルトホルトやフルーと一緒にいたいという気持ちが強くなっていることに、我ながら驚く。
でも、でもダメだ。母さんや父さんがどんなにぼくを心配しているかわからない。マロンがどんなにぼくを恋しがっているかわからない。レオだって、ぼく以外のひとの手からごはんをもらったことがない。
もちろん、ぼくだってみんなに会いたい。ぼくはもともと向こうの世界の人間なんだ。向こうでやりたいこともたくさんあるし、友達もいるし、将来の夢だってある。それに、ベルトホルトさん以外のひとには良く思われていないみたいなのに、この世界で生きていけるはずがない……。
いくら自分に言い聞かせても、ベルトホルトへの好意やフルーへのいとおしさも、彼らと別れなければならないと思ったときのつらさも、募るばかりだった。
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