第4話

 道啓は屋敷の裏手、誰も見向きもしないような小さな窓から忍び込んだ。

 彼はまず、与兵衛の行動の傾向性を数日にわたって密偵の弥平に観察させていた。

 その情報によると、毎晩与兵衛は帳簿をつけた後、酒を飲み、奥の寝室で眠りにつく。

 道啓はその隙を狙う手筈であった。

 

 屋敷内は静まり返っていた。

 虫の羽音だけが緊張感もなく響いている。

 しかし、道啓の耳は微かな物音さえも聞き逃さなかった。

 風に揺れる障子の音、柱の軋み、そして遠くで聞こえる番犬の鳴き声。

 道啓はそれら全てを情報として処理し、自身の動きを調整する。

 

 与兵衛の寝室にたどり着いた道啓は、物音を立てずに襖を開ける。

 与兵衛は泥酔して眠りこけていた。

 道啓は彼を殺す事は敢えてしない。

 殺しは「供養」にはならないと道啓は知っていた。

 彼の思う「供養」とは、対象から罪を奪い、その魂を解き放つ事だからだった。

 道啓はまず、与兵衛の懐から鍵を抜き取る。

 その手つきはまるで風が触れるかのように繊細だった。

 鍵を使って部屋の隅にある金庫を開けた。

 中には、探していた不正の証拠と賄賂の記録が収められていた。

 道啓は借用書と記録を抜き取り、代わりに偽の書面を差し込んだ。

 道啓は証拠を懐にしまい、金庫を元の状態にそっと戻す。

 最後に、彼は眠る与兵衛の耳元にそっと囁いた。

「そなたの罪は、すでに浄土へ旅立った。これからは、己の行いを悔い、静かに生きるがよい」

 それは与兵衛の持つ魂へのまことの「供養」であった。

 

 道啓は屋敷を後にする際、一切の痕跡を残さなかった。

 彼の存在は、その場に一陣の風が吹き抜けたかのように、誰にも知られることはない。

 

 翌朝、与兵衛は金庫の中身を確認し、不正の借用書が偽物になっていることに気づいた。

 真っ赤に充血した狸顔はしかし、いつ、誰が、どのようにしてすり替えたのか、見当もつかなかった。

 彼はすぐ奉行所に駆け込もうとする、がそもそも不正の記録を盗まれている事実に、歯噛みして何も手出しが出来なかった。

 

 ──道啓の「始末」は、ただ悪人を罰するだけでなく、相手に罪を自覚させ、二度と悪事ができないようにするものであった。

 それは、慈悲深い僧侶と、非情な始末屋という二つの顔を持つ道啓だからこそ可能な、特異な手腕であった。

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