第五回「霧魔 白昼城中に現れ、民心を騒がす」

 「霧魔だ!!」


 悲鳴交じりの声が響いて、場は一気に混乱に陥った。


 逃げ惑う人々の跫音、悲鳴。

 陶器の割れる音。怒声が入り交じる。 

 いつの間にか空は曇り、霧が立ちこめ視界が見えなくなっている。濁った水の悪臭に眉を顰めて様子を窺う。


「ふ、ふぇ……!? 真っ昼間に、こんなところに霧魔なんて!! 白夜様。僕は一体どうすれば……!?」


 確かに。霧魔が出るのは太陰つきの影響の強い時間帯――即ち、夕暮れ時から明け方にかけて。季節にもよるが、太陽の影響が弱まる曇り空ならともかく、今日のような晴れた日の真昼中から出てくることは滅多に無い。


「僕は白夜様と違って、視えないんですよ!?」


 弱い霧魔は普通の人間には視えない。かすかに黒い霧の様に見えるだけだ。先程から漂っている、濁った水の臭いと、冷えた空気でその存在が知れるばかり。その得体の知れ無さが、恐怖を煽るのであろうが。実際、あの黒い霧に触れると精神に異常を来す者もいる。


「……――」

 

 静謐な真紅の瞳に、炎の影が揺らめく。

 その目は、霧の中に幾つもの人間の首が歪に継ぎはぎされ、下肢が蜘蛛のような脚を持ったそれを捉えていた。

 それらの首に張り付いている顔は、実に様々な表情をしていた。怒り、悲しみ、苦しみ――ありとあらゆる、負の感情。

 霧魔に実体は無いので、白夜の眼に映っているのは実際の形という訳ではない。その存在の放つ気の印象を、眼が像として捉えているに過ぎない。


「……視えぬ方が良い」


 は、令潔に視えていたら失神ものだろう。

 一方の白夜の目は冷静にそれを捉え、小揺るぎもしない。

 それは、敵を見定める武人の目というよりは、本質を見極めようとする探究者の眼差しだった。

 

「普通の武器も武術も通用しないじゃないですか!! 挙げ句に人間や動物の身体を奪おうとしてくるし――恐怖以外の何物でも無いです!!」


 令潔は、窓の外を見下ろす白夜の背にしがみつき、そっと外を窺う。


「なら目と耳を塞いでいれば良い」 

「それ、余計怖いやつですううう。僕は碌に剣も術も使えない、ちょっと食いしん坊で可愛いだけのへなちょこ従者なんですからぁぁぁぁ!!」


 白夜の衣の背をぎゅうぎゅう握りしめながら叫ぶ。

 ――自分で言うな。という思念が呆れと共に白夜の脳裏を掠めたが、口には出さずにおく。


「昼間に出て来た点では興味深いが……大した霧魔ではない。すぐ討伐される」


 見え方は不気味だが、動きはかなり鈍い。普通に逃げられるだろう。

 その上、霧魔の力が結集する核たる“霧魄”も一つしかない。中央部の見えやすい位置だ。いくらでも狙いようはある。

 

 霧魔は、人の姿に近いように見えるものほど強い。令潔の言う通り、人の体を奪う者もあり、そういった場合、かなり厄介だ。

 “討伐”するにも、皇族の扱う神火や冰族の扱う雷霆でなければ、術を以てしても一時散らせるだけ。完全な消滅は不可能だ。


 それ故、霧魔の討伐には皇族や冰族の人間が当たる必要があるのだが――

   

「“興味深い”って……これだから! 討伐隊が来る前に白夜様がやっつけ――むぐぐっ!!」


 白夜は令潔の口に先程の豆沙包を突っ込んで黙らせた。


 そこへ、逃げ遅れた子供が恐怖に堪えかねたらしい。よりによって、霧魔の進行する真ん前に飛び出してきた。


 真紅の眼が僅かに動き、無意識の内に左袖に控えていた右手が動く。

 が、すぐ近くに迫る気配を察して、白夜は静かに手を下ろした。

 

 直後。

 子供の背後。迫る霧魔を――炎が一閃した。

 剣を揮ったのは案の定、異母弟の烈王・晃夜だった。


 かと思えば、今度は火矢が飛来し、霧魄を過たず打ち砕いた。

 爆ぜた炎が霧を巻き込み、一気に燃え上がる。


 声なき怨嗟の風が吹き抜け、白夜の黒髪を翻した。


「――……」


 炎は瞬く間に勢いを増して燃え広がったが、霧魔の消滅とともに炎も消える。人や付近の物に燃え移ることは無い。


「大丈夫か!?」


 霧魔に襲われ掛けた子供に駆け寄り、晃夜が声を掛けるのが聞こえた。

 子供は気が抜けたのか、声を上げて泣き出した。


「見事だったな晃夜――いや、烈王」


 晃夜の背後に、武官達を引き連れた叔父・毅王きおうが近づくのが見えて白夜は窓から離れた。霧魄を打ち砕いたのは、あの叔父の火矢だ。


「まだ神火を使えるようになって浅い筈だが。もうそこまで使えるようになったか」

「叔父上! いえ。まだまだです。叔父上の弓射のお陰で速やかに霧魔を討ち取れました」


 晃夜が声を弾ませて応じる。戦いの終わった後の、張り詰めた空気から一転、彼らの親しげな会話と、「さすが毅王殿下、寸分の狂いも無い弓射の腕前」「烈王殿下もお若いのに見事」など武官達の感嘆の声とで和やかな雰囲気に包まれる。


「はは! まぁ今後も修練を怠らぬことだ。その六義剣法は剣先の繊細さこそが命だ。炎を――より己が手と同じく扱えるようにな」


 その光景を窓から見下ろしていた白夜は、気配を消すように一歩退いた。


「行くぞ、令潔」

 

 この丹橋府――正式には丹橋毅王守護府の任に当たっている毅王は、皇族の中でも特に血の気が多い。皇族の責務に対しては実直だが、常日頃「読書など軟弱者のすること」と公言して憚らない。

 そういう人物であるから、「文弱」だの「見かけ倒し」だの、およそ禛の皇族らしからぬ白夜の評判に以前から眉を顰めている。もし白夜がここにいることが見つかったら――守護府まで連れて行かれた挙げ句、「鍛え直してやる」などと足留めされる可能性が非常に高い。

 

「ふあいっ!!」


 先程白夜が無理矢理詰め込んだ包を咀嚼しながら令潔が応じた。



――――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます!!

第一章はここまでとなります。


【登場人物】

祛白夜きょ・びゃくや:今上の第一皇子。穆王。無口・無表情・無愛想。

祛晃夜きょ・こうや:今上の第二皇子。烈王。武に秀でた華やかな皇子。

鄭令潔てい・れいげつ:白夜の従者。食いしん坊。甘い物に目がない。

毅王:白夜、晃夜の叔父の一人。丹橋城、およびその周辺の守護を担う。

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